黒龍の章〜飛影×蔵馬〜
□【Bitter bitter SWEET】
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「話が違うだろ!!!」
キ〜ンと耳をつんざくような怒鳴り声。
私室のソファーにゆったりと腰掛け、報告書に目を通す魔界の女帝。
先程から目の前でがなりたてる部下の声も、まるで空気の一部とでしか感じてないような余裕の態度で“へいへい”軽くと手を振りあしらう。
視線一つ寄越さない態度に憤慨して妖気が一瞬高まるも、どうせ一蹴されるだけだと瞬時に平静が取り戻される。
それは諦めの判断か、身に付いた学習か........
「明日の休みは前々から決まってただろ?今さら“前言撤回だ”の一言で納得できるか!!!」
「仕方ないだろ。この百足の連中が魔界の流行り風邪で次から次に使いモンにならなくなってるんだからな。ピンピンしてる奴が代わりに仕事をする、至って単純な論理だろ?」
“文句あるのか?”と涼しげな顔をチラリと部下に向け、すぐに報告書に視線を落とす。
「そんな論理なぞ知るか!!パトロールぐらい俺じゃなくても他の奴に.....」
「あのな〜、飛影。お前のいう他のやつらをひっかっき集めても、人手不足なんだよ。ウダウダ言ってないで大人しく諦めろ。休みなら別の日に改めて.....」
「別の日?俺は“明日”を指定して休みを取ったんだ。“別の日”なんかいらん」
そう....
あいつに約束したから。
必ず【14日】に逢いに行くと。
は〜....っと大きなため息が聞こえた。
「そんなに狐に逢いたいならこっちに来させりゃいいじゃないか。パトロールが終わるまでここで待っててもらえば......」
「そんな事させれるか!!!!」
「お前も我侭なガキだな〜。譲歩って言葉を知らないのか?」
「知らん!!!」
全く.....
このガキはただでさえ融通がきかないのに、狐の事になると更に拍車がかかるから堪ったもんじゃない。
バレンタインか?
そんな大切なモンかね......
まぁ、どうせ狐に“絶対来て下さいね”なんてウルルっと頼まれたんだろうが。
ちょっとは大人の厳しさを教えてやらんと、他のやつ等に示しが付かんだろ!!
「あ〜、ハイハイそうですか。別に休んでもいいぞ。その代わり次の休みがいつになるか.....お前分かって言ってるんだろうな?」
「......なっっ....」
“NO”とは言わせない威圧的なオーラに、さすがの飛影の文句も影を潜める。
相手は一国の主。
別に上司だから云々とは思っていないが、怒らせては後々面倒が起きるのは十分に分かってて。
「....っのババァ〜.....覚えてろよ!!!!」
大して効きもしない捨て台詞を残し、乱暴に扉をあけ部屋を出て行く。
怒り心頭の飛影の耳に、さも可笑しいと言わんばかりのケタケタ笑いが聞こえてなかったのは不幸中の幸いだった。
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「.....というわけで、すまない.....明日は行けそうにない」
魔界からの使い魔が携えてきた言霊の中で、申し訳なさそうな顔が謝罪の言葉を繰り返す。
人に頭を下げるなどもってのほか.....と思ってる邪眼師も、たった一人の前でだけその考えを取っ払う。
唯一無二の相手といえば、約束の反故を伝える言霊を前に終始柔らかい微笑を浮べたまま。
「そういう状況なら仕方ないですよ。それより飛影は流行風邪にかかったりしてないですか?それが心配.....」
果たせない約束に腹を立てることもせず、ただ案じるは最愛の恋人の身。
言霊の中でフ〜っと大きな溜め息が零れる。
ニコニコと笑う顔の中心で透き通るように煌く2つの宝石の中に、見え隠れする小さな落胆。
翡翠の輝きに埋もれて、目を凝らさなければ分からない程の小さな小さな哀しみの色。
そんな些細な瞳の変化に飛影が気付かないはずはなく.....
笑顔の裏に隠された本心なんて言われないでも分かる。
---バカ狐が.....-----
2人で重ねた時間の中で同じように訪れる特別なイベント。
己にとっては然したる意味もなかったモノも、共に過ごすうちに大切なモノへと変わっていった。
“お前の都合に合わせて勤務を組み込む俺の身にもなれ”
口うるさい躯の嫌味ですら、軽く受け流せる。
特別なイベントを一緒に過ごす度に見せてくれる、満開の笑顔を思えば。
特段の事情がない限り、人間界でイベントがある度に必ず降り立つ鍵のかからない窓。
パトロールの人手不足なんて特段の事情にもならない。
「蔵馬.....休みが取れたら必ずそっちに行く、約束する」
「本当に無理はしないで下さいね」
にこやかな微笑みが言霊の中へ消えていく。
無理してでも逢いに行ってやりたい。
されど......
己に課されたパトロールという足枷。
こういう時、力ずくでも引き千切ってやりたくなる。
それが出来たら悩みも苦労もしない。
言霊の中に消えた映像。
だけど少しだけ見せた哀しみの表情が頭から離れてくれそうになかった。
「飛影....これないんだ」
消えてなくなった言霊。
何もない空間にポツリと零れた声。
飛影の自由を縛りつけるパトロールが恨めしい。
----仕方ないですよ----
---無理はしないで....-----
嘘。本心ではそんな事はこれっぽちも思ってない。
“約束したでしょ?何で?”
“何がなんでも逢いに来て”
心の中でもう一人の自分が言えない本音を囁く。
もちろん表には出ないけど。
フッと瞳を伏せ小さな息を吐く。
重たくなった足取りで、中断してた作業に戻るべく台所に向かった。
充満する甘い香り。
「せっかく作ってったんだけどな.......」
流し台に置かれた銀のトレーの上に、綺麗に整列したハート達。
甘さを控えたブランデーチョコ。
毎年欠かす事なく手渡してきたバレンタインの贈り物。
「今年は無駄になっちゃったね......」
作ったんだから、逢いに来た時に渡せば?
そうかもしれないけど。
それじゃ意味がない気がする。
バレンタインに興味ない人にとったら、14日にこだわる事の方が無意味なのかもしれないけど。
「“こだわり”だけが理由じゃないいんだけどね」
本当はただ飛影に.......
-----逢いたいから-----
ただそれだけ。
実際次の休みにはなんて言っても、次の休みがいつかなんて確実な約束がある訳じゃない。
魔界の流行風邪は厄介だと聞いてる。
完全に収束するまでは、躯の言う人手不足状態が続くんだろうし。
いつ.....逢えるのかな.....
逢えるんだというプラスの要素しかなかった頭の中が、“逢えない”マイナスの要素を簡単に受け入れれるはずがない。
明日には訪れるはずの甘い時間を思い描いてた思考を、急に現実に戻せと言われても.....
「無理だよ.....」
無理な事を強引に受け入れようとする方が無理に決まってる。
一目逢って、言葉を一言交わすだけで良かった。
そうすれば、逢えない日々もきっと我慢できる。
だから.......
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「くそっっっ......」
やりきれない苛立ちを抱えたままのパトロール。
時おり無鉄砲な輩に遭遇して手を煩わせる事が多々あるのに、今日はすんなりと片付いていく仕事。
それは、これでもかと発散される殺気のせい。
黒い炎を背に、切れ味鋭い三白眼を吊り上げ苛々オーラを撒き散らす姿を見て怖気付いた妖怪達が、逆鱗に触れてはならぬと身を潜める。
かくして通常の半分の時間をかけるだけで終わった任務。
煩わしいパトロールが終わって解放されるべき気持ちなのに、益々苛立ちは募る。
今から駆け抜けたところで人間界へは悠に数時間はかかる。
行ったところで約束の14日には間に合わない。
“仕方ないですよ”
そう言って微笑んだ顔に射した影が、色濃く思い出される。
----休みが取れたらそっちに行く-----
交わしたのはいつ果たせるかも分からない約束。
あの躯の様子じゃ、すんなり叶えてやれそうもない。
されどどうしてやる事も.......
チっと大きく舌打ちを鳴らし、面倒な報告をするべく百足へと戻り始めた。
長い廊下を歩き躯の私室に向かう途中、すれ違う同僚達から浴びせられるやけにニヤニヤした視線。
“悪いな、飛影”だの“お先に”だの意味不明な言葉を残し立ち去っていく。
何言ってるんだあいつらは......
首を振り目的の部屋に向かおうと一歩進めた足が、そのままの状態で固まった
。
後ろに去っていくやつ等から香ってくる甘い蜜の匂い。
それはこの場所では決して香るはずのない、むしろ香ってはならない....
香りの正体を一瞬で把握すると同時に、固まってた足が凄まじい勢いで廊下を駆け抜けていった。
目指す部屋と廊下を隔てる扉が、バンッと派手な音を立てて開け放たれる。
「お前は〜!!!!こんなトコで何してる??!!!!」
突然の乱入者にキョトンと瞳を丸くして扉を見つめていたのは、人間界にいるはずの.....
「あっっ、飛影お帰りなさい。もうパトロール終わったんですか?」
百足では決して見る事のない微笑みに、一瞬ドキッと飲みこまれかけた心を手繰り寄せて引き戻す。
「“お帰りなさい”じゃない!!!何でお前がここにいる?????」
「いちゃ...いけませんか?」
「“いけませんか?”だと?あれ程その無防備な姿で魔界には来るなと.........」
ポロリと零れかけた本音が慌しく喉の奥に引っ込んでいく。
己の恋人だけしか写してなかった緋色が、ようやく周囲の様子に気付いた。
ニヤニヤ笑う上司。
面白そうに事の成り行きを見守る野次馬達。
クールな邪眼師が感情剥き出しに怒鳴る姿なんて滅多にお目にかかれるもんじゃない。
みな興味津々といったところか。
奇異な視線に直撃され、ハタとらしくない己の態度に眉をしかめた。
ゼーゼーと乱れた呼吸を整え、平静さを装う。
「で?何でここにいる?」
進歩の見えない質問に、躯の口から"ハ〜"っと大きな溜め息が零れた。
「お前はそれしか言えないのかよ。愛しの子狐ちゃんがワザワザ来てくれてるんだぜ?素直に喜べよ」
頼もしい援護射撃に気を良くしたのか、ニコニコと楽しそうな顔に更に笑顔が加わる。
飛影がその笑顔を前にしては、文句すら言えない事を分かった上での確信犯か......
案の定、満開の花が撒き散らす可憐な微笑みにおちてしまいそうになる。
だからといって、こんな場所に蔵馬がいるのを許せる理由にはならない。
どんな場所であれ、逢えるのは素直に嬉しい。
だが.......
場所が魔界、しかも百足となるとまるっきり話は変わってくる。
ここの連中がお前をどんな目で見てるのか、分かってないだろ......?
飢えた狼の群れの中に、子狐をポンっと放り投げるようなもんじゃないか!!!
無防備も大概にしろ、バカ狐が......
ハァ〜っと盛大な溜め息が漏れる。
「こい、蔵馬」
とにかく安全な自室で監視して早急に人間界へ送り返そうと、強引に腕を掴む。
そのまま引きずってでも連れ出そうとする飛影の目にとんでもないモノが映った。
躯が座るソファーの前。ガラステーブルの上に広げられてたチョコレートBOX。
個別包装された様々な種類のチョコが沢山詰まってた。
"何でこんなトコにチョコレートがある???"
浮かんだ疑問に被さった声。
「飛影。お前の狐ちゃんは出来すぎた奴じゃないか。ワザワザ14日にチョコレートの差し入れなんてな」
ケラケラ笑いながら向けられた視線。
隣の蔵馬を見れば困ったような顔をしてた。
------“悪いな”“お先に”--------
すれ違った同僚達の意味深な台詞。
目の前にあるチョコレートの山に大した意味はない。
唯の社交辞令。
分かってるつもりなのに。
苛々も募ってた上に、差し入れ程度のチョコにすらいらぬ嫉妬心が燃え上がる。
ただでさえ穏かならぬ波風のたってた心に、嵐が吹き荒れたのだからひとたまりもない。
掴んでた細い腕からパッと手を放した。
「なるほど。お前はワザワザここにチョコレートなんぞ届けに来たのか?」
ガラリと変わった空気。
優しさを含んでいた声がまるで冷たい声に変化する。
「あれだけ一人で魔界には来るなと言ったのに。俺との約束を破った理由がチョコレートを届ける為か?バカらしい。俺は部屋に戻る。用が済んだらさっさと帰れ」
「ちょっ.....飛影....これはっっ......」
怒りのスイッチが入ってしまった飛影が耳を貸すはずもなく、慌てた蔵馬の呼び掛けも無視し力任せにドアを開けると部屋を出て行ってしまった。