黒龍の章〜飛影×蔵馬〜

□【trick on you】
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「飛影!こっちですよ。早く早く!」



ゆっくりとした歩みの前で嬉しそうに手を振る無邪気な恋人。

いつもは仏頂面の三白眼が口元を綻ばせる。



週末は人混みで溢れる街並みも、月曜日という事もあり、人はまばら。

それでも道行く人のほとんどが、通り抜ける甘い花の香りに思わず振り返る。

いまだにうだる様な暑さの中、フワリとすり抜ける涼しげな空気。

そこには色鮮やかに染まる深紅の髪が靡いていて。


軽やかな足取りの歩みが止まり、後ろを振り返る。

その瞳には透き通るような翡翠が光を反射してキラキラ輝いていた。

思わず見惚れてしまうような綺麗な瞳.......

急ぎ足の人々と時間がなぜかゆっくりとした流れに変わっていく。

その場の視線が全てたった一ヶ所に集まってるようで........




「ねぇ、飛影?先に映画見ます?それとも.......」



------あれ.......?-------



後ろを歩いてたはずの飛影の姿がいつの間にか見えなくなっていた。



「飛影.......?」



投げかけた名前は空中に吸い込まれるように消えていき、返ってくるのは行き交う人々の足音と、走り抜ける車のクラクションだけ。

キラキラ光る翡翠に影が差し、笑顔がス〜っと消えていく。

その姿を探そうと、来た道を戻りかけた時、クイっと腕を引っ張られた。

すぐに掌が温かさに包み込まれる。


蔵馬の手を包みこんだ温かさはそのままに、お互いの指が絡み合う。


人前で、しかも飛影自ら手を繋いでくるなんて滅多にない.......むしろ初めての事。

戸惑いながらもソッと目線を上げると、さっきまでゆっくり後ろを付いて来ていた歩調が一転、ほとんど強引に蔵馬を引っ張るように歩いている。



「飛影?どうしたんですか?そんな急がないでも.......」




「映画でいい」




「えっっ?」




「だから、先に映画にしようと言ってる」



「あっっ....はい、ならこっちに......」



指差したのは、飛影が歩く先とは違う方向。

一つ溜め息をついて、向きを変えた。

その手はしっかりと絡めたまま。

離れない温かさに蔵馬の頬にほんのりと赤味が差してきた。



「飛影が手を繋いでくれるなんて.....珍しいですね」


嬉しそうな問いかけに無言のまま。


理由なんて言えるわけなかった。


“道行く奴らの視線に嫉妬した”なんて.........


チラリと蔵馬を見やれば、頬が薄桃色に染まり、恥ずかしそうに睫を伏せながらもホンワリと微笑を浮かべて。

思わず抱き締めたくなる姿。

自ら繋いだ手なのに、それを後悔するなんて不思議な矛盾が湧き上る。


沸々と湧き立つ欲情をどうにかギリギリの理性で押さえ込む。

聞こえない位の小さな舌打ちを鳴らし、絡めた指を解いた。



「あっっ........」


急に離れた温もりに、小さな声が洩れる。

汗が滲む程の暑い気温の中なのに、なぜか手が冷たく感じて。



-----手ぇ.....繋いでて欲しいのに.....-------


肝心の飛影は数歩先を歩いて、その手はポケットに入れられたまま。

繋ぐ意志すらない様子で。

何だか堪らなくなって声をかけた。



「ねぇ.......飛影.......」


それは小さな掠れた声だったけど、しっかり耳には届いているようで、ピタッと歩みが止まった。
その顔は正面を向いたまま振り向きもせず。



「手.........繋いでちゃ駄目......ですか.....?」



恥ずかしさも相まって、少しの雑音でかき消されそうな声しか出なかった。

一瞬の沈黙がその場を支配する。

飛影はピクリとも動かないまま。




「あっ....ゴメンね、何でもない」



余計な事言ってしまったのかと慌てて言葉を打ち消した。

沈黙が痛くて、その沈黙を作り出したであろう自分の言葉が恨めしくて、地面に視線を落とした。



(せっかくのデートなのに、機嫌損なわせちゃったのかな......)



シュンっと俯いてると、太陽光を反射してた明るい地面に黒い影が落ちた。


スッと差し出された左手。

躊躇いがちに視線を上げると、困ったような瞳とぶつかる。

瞳の奥にある真意を測れなくて、しばらく動けないでいるとフッと空気が揺らめいた。



「どうした?手繋ぎたいんじゃないのか?」



「......いいんですか?」



「お前、質問に質問でかえしてたら返事になっていないじゃないか」



可笑しそうに笑う飛影の瞳には優しい色が浮かんでいて。

ホッとすると同時に、一緒にいれるんだって喜びがジンワリと染み出してきた。


瞳の中の翡翠がクルクルと動き回る。



「ねぇねぇ、飛影?今日はずっと手ぇ繋いでて下さいね」



たかが手を重ね合わせるだけ------

目の前の狐はそんな些細な事でも一喜一憂する。

俺の反応を気にして哀しみに沈んだかと思えば、少し手を伸ばしただけで、満面の笑顔が溢れる。


だが.......

お前は気付いているか?

その仕草に、その表情にどうしようもない程、心を乱されてるのは紛れもなく俺自身だという事に。

人目もふらず、この腕に収めてやりたい衝動を我慢しているのに.......




----"手繋いだらダメですか"------




お前の望みに首を横に振るわけがないだろ?

躊躇いを見せたのは激情を抑える為。


それなのに......



----"ずっと手を繋いでて下さいね"-----


無邪気な笑顔で、いとも簡単に理性を吹き飛ばしやがる。



「いい加減自覚しろ、バカ狐」




「ん?何か言いました?」




ボソッと呟いた言葉は勿論届くはずもなく。




「いや.....何でもない。行くぞ」




再び掌で包み込むように握れば、心底嬉しそうな顔でついてくる。


細い指をキュッと絡ませて.......
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