黒龍の章〜飛影×蔵馬〜

□【Sweet cocoa】
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「飛影、いらっしゃい」



カーテンを靡かせる風を引き連れて、小さな明かりの灯る窓辺に降り立つと、迎えてくれるのは咲き誇る満開の花よりも綺麗な笑顔。

そして、いつだって無防備にギュッと抱きついてくる。

この逢瀬が最高の幸せとでもいうように。


果てしない距離を越える事すら無上の喜びに変わる瞬間.....


そして今日も------



一年を通して決して鍵のかかる事のない窓。
銀色の月光を背に黒いシルエットが静かに浮かび上がる。

外部からの蟲の進入を拒むように張り巡らされた結界は、シルエットの主の前ではその役割を果たす事なく大人しく道をあける。

その先で待ちわびるであろう愛しい恋人を想い、室内に滑りこんだ。

真っ先に映るべき柔らかな笑顔
伸ばしてくるであろうしなやかな腕。


それが今日は違った........


室内に一歩踏み入れた途端に感じる重たい空気。

いつもは穏やかな時間が流れている空間が、どんよりしていて。

目の前で待ってるはずの部屋の主は、机に向かい小さな画面を前に何やら忙しそうに手を動かしている。

つまりは飛影に背を向けている状態なわけで........

声をかけようか迷ってる間にフッと急がしそうな手の動きが止まり、クルリと振り返った。

ほんの一瞬見え隠れした疲れきった表情はすぐに綻ぶ笑顔に変わり、直後に申し訳なさそうな表情へと変化した。


「飛影、いらっしゃい。すみません、どうしても明日提出しないといけない書類があって......もう少しで終わりますからちょっと待ってて下さいね」


もう一度ニッコリと微笑を残して、またクルリと背を向けた。

不思議な喪失感が飛影の中で蠢く。
いつもなら...もう腕の中に抱きしめているはずの存在。

僅かな時間でも惜しいぐらい求めてるのだと痛感する。

ほんの少し足を進めて後ろから抱きすくめる事も出来るが......



----明日提出しないといけない書類が------


チラリと壁時計に目をやると針は22時を指して。

フッと一つ、飛影にしては小さなため息をつき、マントを無造作に投げ捨てるとベッドサイドに腰かけた。

余計な時間を取らせるよりは、大人しく待っているのが最良の選択。
随分と辛抱強くなったものだと苦笑いが洩れる。

それとなく一言も発しない蔵馬に視線を移した。

目線は小さな画面から逸らされることなく、手元のキーを凄まじい勢いで叩いていく。
細く長い指が軽快なリズムを刻む度に、画面に流れる規則正しい文字群。

時折“あっ!”っと小さな声が上がり、は〜っと大きな溜息が洩れる。

何やら頬杖ついて首を傾げたかと思うと、ジ〜っと画面を見つめ、また軽快な打刻音が響き始める。


全く飽きの来ない動きをしばらく眺めていたが、ふと何かに気付いた緋色の瞳がス〜っと細まった。

軽快なリズムが時々ピタっと止まり、小さく肩で息をつく。
僅かに短くなってきているその間隔。



(相変わらず無頓着なバカ狐が........)



普段と同じ盛大なため息は目の前の恋人の耳に入る事無く、室内を吹きぬけた夜風と共に流れていった。


時計の針が23時を示した頃、無機質な打刻音しか響いてなかった部屋にようやくほっと息をはく音が混じり、パタンと何かを閉じる音がした。



「ん〜っっ、終わった〜っっ!疲れた〜!甘い物が欲しい〜っっ!!」



蔵馬の口からようやく解放を告げる言葉が出てきた。

一つ伸びをすると、凝り固まった身体が一気に解れていくようだった。



「あっっっ!!!!」



身体を伸ばしきったまま、思い出したように声をあげ慌てて頭上に伸びた腕を下ろす。



「飛影......ゴメンね、待っ.......」



回転椅子ごとクルンと向きを変えようとしたら、後ろからフワリと抱きしめられて.......頬に柔らかい何かが触れる感触。

それが何かはすぐ分かる........



「やっと終わったか」



耳元で囁く低音が擽ったくて思わず首を竦めた。

まわされた腕にそっと手を重ね、キュッと握り締めた。



「ごめんね、飛影。待たせちゃって」




「別に構わん」



ぶっきらぼうな言い草とは反対に、抱きしめてくれる腕は優しく包み込むようで。

その腕に頬を寄せてたら回転椅子ごとクルリと視界が流れて、目の前いっぱいに燃えるように鮮やかな紅が広がり........

唇に触れたのは蕩けそうな甘やかな感触。

啄ばむようなkissをしばらく繰り返し、二人の距離がほんの少し離れた。



「飲み物でも入れてきますね」



頬を薄桃色に染めて、いそいそと立ち上がろうとしたのは、半分照れ隠し。

だけどその動きは腕を掴まれた事で一瞬にして封じられてしまい、翡翠に映ったのは呆れと少しの苛立ちを湛えた緋色の瞳。



「そんなモノより先にする事がある」
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