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「No name…」

いつもは冷静な土方が、少し声を震わせながらこちらを振り返って言った。
その表情を見て、No nameは嫌な予感がし、恐る恐る土方に問いかけた。

「…どうしたんですか?」

「やべェ…開かねェ」

固く閉ざされた扉を開けるため全身の力を手に集中させているが、扉はびくともしなかった。

No nameはそんな土方の言葉を聞いて、一瞬自身の耳を疑った。


「じょ、冗談……ですよね…?」


*


話は数時間前に遡る。
いつも通り平凡な朝を迎えて、いつも通りに平凡な朝食を済ませ、会議に出席、そのあといつものように江戸の町へ巡回に繰り出そうとしていたところ、近藤に呼ばれたのだ。

「No name」

「なんですか?局長」

「お前、今日の仕事なんだっけ?」

「はい!今日はいつも通り江戸の巡回になってますっ!」

「あ、やっぱそうか。んじゃそれ他の奴に頼んでおくから俺の言伝の方を聞いてくれないか?」

「…ええ、そりゃもちろん構わないですけど…」

「おお!それはよかった!助かったよ」

そう言うと近藤は妙に納得したように首を縦に振った。

「あの…それでどうすれば?」

「あぁ、肝心なこと言ってなかったなァ。俺としたことが」

「……」

「実はよォ、今朝方松平のとっつぁんから呼び出されたんで、ちょっと行ってきてほしいんだよ」

「…わ、私一人でですかっ!?」

近藤の予想外の提案にNo nameは思わず声が上ずってしまった。

「そんなにびびらなくても大丈夫さ。トシも一緒だ」

No nameの不安な内心を見透かしたかのように近藤が付け加えた。No nameもそれを聞いてほっと胸をなでおろした。確かに土方が一緒にいればこんなに心強いことはない。

「んじゃ、よろしく頼むわ」

「はいっ!No nameNo name、行ってきますっ」

「おう」

No nameは背筋をぴんと伸ばし、丁寧な敬礼をすると、近藤も右手を挙げて応えた。


*

土方が一緒に行くとは言え警察庁長官に会いに行くのだから、少なからずNo nameは緊張していた。
しかし、終わってみると、そんな心配はほぼ無用だった。土方に重要な会議だと聞かされていたので、ある程度身構えていたのだがなんてことはなかった。簡潔に言えば、上様のお守をしながら旅行に同行しろとの命を受けただけなのである。その内容も土方ばかりが話していて、なぜ自分が一緒に付いてきたのかさえ疑問に思うほどだった。

「肩の力を抜けよ」

会合終了後、何も話せなかったことについて悔やんでいるのを見透かしたかのように土方が声をかけてきた。

「…え」

「どうせ自分の最低限の仕事こなせなかったことに対して悔いてんだろーが、んなことはなかったよ」

土方は煙草に火をつけて、それを口に加えながら言った。

「…でも私何もしてませんよ?」

「それでいいんだよ」

土方がNo nameをなだめるようにそう言った。そして思い出したように付け加える。

「…ま、本当のこと言えばNo nameを連れていったのはとっつぁんに言われたからなんだが」

「長官がなんで私を…」

「自分から志願して新撰組に入隊した変わり者の女の面を拝みたかったって話だ」

「…はぁ」

「ま、あのオッサンのことだから…どうせ近藤さんにNo nameの話を聞きつけて呼びつけたんだろ。…下心が見え透いてる」

「下心?」

No nameが聞き返すと土方が少し言いにくそうに返した。

「…あー…まぁ、あの人は若ェ美人に目がないんで、気ィつけろって話だよ」

No nameはなんとなく納得がいかなかったが、土方の微妙な反応を見て黙っていることにした。しばらくして、二人で歩いてるとエレベーターの前に着いた。

「…んじゃ、屯所に帰るか」

「はい」


そして二人でエレベーターに乗り込んだときに不慮の事故が二人を襲った。…とは言ってもそれはほとんど土方によって引き起こされた事故と言っても過言ではなかった。
先ほど吸っていた煙草の火を土方が消さずにエレベーターに乗り込んでしまったために、その煙がエレベーター内の火災報知機が反応し、緊急停止してしまったのである。

*

「…いや、冗談じゃねェ」

「どっどうするんですか…!?」

「外と連絡を取りてェが…携帯を車の中に置き忘れちまった」

「そんな…!あ、でも私無線持ってますっ!」

No nameが思い出したように明るい声でそういうと、土方の方は首を横に振った。

「エレベーターの中じゃこの無線は使い物にはならねェよ」

「…じゃあ誰かが気づくまでこのままってことですか…?」

「…そういうことになるな」

「嘘…」

「ま、心配することはねェよ…平日の真昼間だ。誰かがすぐに気づく」

「そうだといいんですけど…」


しかし待てども待てども誰かがやってくる気配がしなかった。
それどころか、電気が完全に停止してしまっているせいで、だんだんとエレベーター内の空間の温度が下がってきているのをNo nameは自身の肌で感じ取っていた。
その証拠に吐いた息が白い。

「…寒っ」

No nameは隊服の上から身体をさする。
だが、それは少しの気休めにはなるものの一向に寒さがマシになる気配がない。
すると、No nameの肩に乱暴に自分のサイズよりも随分大きい隊服がかけられた。

「え…!?」

No nameが振り返ると、土方が中のシャツ一枚になっていた。
どうやら、その場に座る土方がNo nameの肩めがけて上着を投げかけたのだ。

「…土方さん…あの…」

「着とけ」

「…でも」

「…こうなったのは俺のせいだろ」


表情には出さないが、申し訳なさそうに言う土方にNo nameは安易に寒いと言ってしまったことを後悔していた。

「…土方さんが風邪引いちゃいますよ…?」

「俺のことは気にすんな」


なおもそういう土方にNo nameは無言で土方の隣に腰を下ろした。そして、土方の肩に上着を掛け返した。

「…着とけっつったろ」

「嫌ですっ!私のせいで土方さんがもし体調でも壊したら責任感じちゃいます」

「だから、これァ俺の自業自得なんだからそれくらいどうとでもしてやるよ」

「…とにかくっ!いいんですっ!それに土方さんの上着を着てるよりこうやってひっついてた方があったかい」

「……」

No nameの発言に驚いたのか土方はしばらくその場に固まってしまった。No nameもあわてたように付け加えた。

「…あ、別に変な意味じゃないですよ…?」

「…好きにしろ」

No nameのまっすぐな瞳に見つめられ、土方は少し目線をそらしながらぶっきらぼうにそう答えた。


やがて体力の限界か、閉鎖的な空間の精神的な疲労のせいか、はたまた隣に土方がいることに対しての安心感か、No nameは突然、強烈な睡魔に襲われ、土方の肩に自分の頭を預けそのまま眠ってしまった。


*


「ん…」

No nameが目を覚ますと見覚えのある部屋にいた。

「あれ…ここ…っ!?」

「屯所にあるNo nameの部屋だよ」



驚いて部屋を見渡していると聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。No nameが声の方を見ると煙草を口にくわえた土方が胡坐をかきながら壁にもたれかかっている。

「土方さん…っ!?どうして…」

No nameが聞き終わる前に、土方の静かな怒りがNo nameに向かって飛んできた。

「…というか、寝すぎだ。何時間寝るつもりなんだよ、お前」

「え…っ!」

土方に指摘されあわてて腕時計を確認すると、あれから六時間以上が経過し、とっくに仕事の時間が終わっていた。
途端にNo nameの頭の中が真っ白になった。

「…ごっごめんなさいっ!私…っ」

No nameがパニックになるのを横目に土方は冗談交じりに言った。

「…まぁいいよ、今日は。イレギュラーな事態っつーんで近藤さんの許可ももらってきた」

「…ありがとうございます……」

土方の言葉にNo nameは安堵のため息をつき、そして思い出したように聞いた。

「…って!結局私たちどうやって助かったんですか?」

「…あァ。俺たちと連絡がとれねェっつーんで心配した近藤さんたちが駆け付けてきたときにエレベーターの異常に気がついたそうだ」

「ってことは…エレベーターの異常が確認されるまで放置されてたってわけですか…?」

「情に篤い上司でよかったよ、冷酷なやつだったら帰ってこようがこまいが無視だろうからな」

「……本当ですね…」


No nameは納得したように頷いた。

「そういえば…」

「どうした?」

「…助かった後、どうやってここまで運んでくださってんですか?」

ふと思い出したように、No nameは土方にそう尋ねた。

「どうやってって…」

No nameの思いがけない質問に土方は言葉を詰まらせた。そしていかにも答えにくそうな顔をしている。
すると、突然No nameの部屋のふすまが開き、一番隊隊長の沖田が部屋に入ってきた。

「横抱きでさァ」

「総悟…っ!?」

「よ…っ横…!?」

─それって…俗に言うお姫様だっこというやつじゃ…っ!?

No nameがあっけにとられていると、沖田が続けて言った。

「傑作もんでさァ。俺たちが駆けつけてあの分厚い扉蹴破ったらNo nameがひっついて寝てたんですからねィ」

「…あ」

No nameは思い出したように土方の顔を見つめた。しかし、当の土方は何かをあきらめたような表情を沖田に向けている。そして、沖田の方はそんな土方の表情を面白そうに見つめている。

「でも知りやせんでしたよ、土方さんがあんなに紳士的だったとはねィ」

「他に運び方があるか?」

「俺なら地べた引きずってやりまさァ」

そう言いながら沖田は黒い笑いを浮かべている。No nameは沖田のその表情に背筋がゾクッとした。

「…お前に聞いた俺がバカだったよ」

「あ…あの土方さん…」

「ん?」

「どっどうもすいませんでした…私が土方さんのお手を煩わせるなんて」

「謝んな」

「え…っ、でも…」

「…あんなことになったのは俺の責任なんだよ…だからお前に謝られるのは筋違いだし、俺がお前の面倒見るのも当たり前のことだ」

土方はNo nameの視線から自分の視線を少し外して言った。


「素直じゃねェや、土方さん。それだけの理由じゃねェくせに」

「あァ!?」

「正直に言ったらどうですかィ、本当は今日の会合にもNo nameを連れていきたくなかったって」

「…てめェ!それ以上余計なこと言ったらたたき斬んぞッ」

「……え、それってどういう…」

「何もねェ!No nameは気にすんな!」

「……?」


(…No nameをとっつぁんに会わせるっ!?)
(ついこの間あいつのことをとっつぁんに口、滑らしちまってなぁ…)
(断る)
(…頼むわ、トシ。一回会えばとっつぁんも納得すると思うんだよ)
(あの変態オヤジに大事な部下を汚ねェ下心のために連れていけるかッ)
(部下ァ?何言ってんでィ。それ以上の感情持ってるくせに)
(…別に好きじゃねェさ)
(あれ?俺別に“好き”なんて言ってやせんけど?)



【おしまい】





((2012.06.07))

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