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片思いの間は、近くにいるだけで、声を聞くだけで、あなたの姿を思い浮かべるだけで、ただただ幸せな気持ちになれた。
その分、不安に押しつぶされそうになったりすることもたくさんたくさんあったけれど。
いつかあなたの隣に私が並ぶことができたならいいな、たくさん話をして、いろんなところに出かけたいな──そんなことを考えて。

しかしながら、いざお互いの気持ちが交わると、そんな願望よりも恥ずかしさの方が上回り、気がつけば身を引いている自分がいた。

*

「No name」

神威の自分の名を呼ぶ声に、No nameはドキッとする。付き合い始めてからそれなりの時間が経過したが、神威が自分の名前を呼んでくれることにNo nameは未だに慣れることができなかった。

「…あ、何?」

No nameは自分なりの精いっぱいの笑顔を神威に向けた。

その日も神威はいつものように休憩がてらNo nameの部屋にやってきていた。
と言ってもいつも神威の話をNo nameが隣で聞くというスタイルなのだが。

「…張り合いのない毎日だよ、どっかに殺し甲斐のある強い奴いないかな?」

「…そう簡単には見つかるもんじゃないでしょ?」

「ま、そうなんだけど。…たまにはそういう奴らを相手にしないと身体が鈍るんだよね」

「気持ちは分かるけど、…でも狙われる相手は堪ったもんじゃないね、確実にこっちの戦闘能力の方が高いから、絶望しか待ってないんだもん」

「よく分かってんね」

時折り笑顔を見せながら、No nameは神威の話を聞いていた。傍から見れば仲睦まじいカップルに見えるのだが、いかんせん心の距離はまだまだ遠いような気がしていた。

その理由をNo nameは自分で気が付いていた。それは、自分が神威の名前を呼ばないことにある。
他の人にとっては何でもないことのように思えるが、No nameにとって神威の名前を呼ぶことはとても大変なことだった。
さらりと呼べればいいのだろうが、呼ぼうとしても自分の中の感情が高ぶり、恥ずかしさのせいで声に出すことができないのだ。


そんなことを考えていると、まるでNo nameの心の中を読み取ったかのように神威が口を開いた。

「…ずっと思ってたんだけどさ」

No nameはドキリとした。
今までずっと話していた神威の表情が少し怖く見えたからだ。いつも笑顔でいることが多いせいもあるかもしれない。
No nameは少し声を震わせて答えた。

「…何?」

「なんで俺の名前呼ばないの?」

「…えっ」

No nameは思わず目を見開いていた。
まさか神威の方からそんな指摘をされるとは思わなかったのだ。

「呼んだことないでしょ、俺のこと」

神威はNo nameに確認するように再度そう言った。

「…どうして…」

「…前から気になってた」

「……」

「お互いの名前呼ぶのってさ、コミュニケーションの第一歩でしょ。それがないんだもん、そりゃ気になるでしょ」

「……」

神威の指摘に何と返せばいいのか分からず、No nameは思わず黙り込んでいると、神威は顔に薄い笑いを浮かべて尋ねた。

「俺のこと好きじゃない?」

「!」

「…なんていうか…話し方も堅いし…俺と話してても怯えてるように見える」

そんな神威の言葉にNo nameは言葉を失っていると思いを吐き出すように続けて言った。

「俺はNo nameの笑顔とか無邪気さに惹かれた。俺の隣でそういう表情見せてくれたらいいなってさ。だから告った。でも、いざ一緒にいるとさ。何かが違うんだよね。堅いっていうか。普段はそうでもないんだけどね…でももし俺と一緒にいることでそんな風になってるんだったら、別れた方がいいんじゃないのかってね」


神威の言葉にNo nameははっとした。
まさか自分の恥ずかしさのせいで控えめにしていた行動が神威に対してそんな印象を与えているとは思わなかったのだ。

「違うっ!…違うの…っ」

No nameは思わず叫び、首を横に激しく振った。

「…じゃあどうしてそんなことになってるんだい?」

「…何もかもが夢みたいで。私だって付き合うまではいろんな願望を思い浮かべてた。全てが現実になればいいなって…でも、いざ目の前にしちゃうと何もできない。一緒にいられる嬉しさよりも恥ずかしさが先に来ちゃって、どうしても抑えつけちゃうの…!」

「……」

「本当は好きなの、大好きなの。言葉に出せないだけで…だから別れるなんて言わないでっ」

No nameが感情を爆発させて懇願するようにめちゃくちゃな言葉を神威に投げかけた。しかし神威は平然と続けた。

「やだね」

「!」

「だってフェアじゃないでしょ。でも…まぁ理由が分かったから許してあげないこともないけどさ」

「本当…?」

「もちろん。…でも条件付きだけどね」

「条件?」

「…そ。…No nameが俺の名前を呼ぶ、これでどうだい?」

神威はNo nameを試すようにそう笑いかけた。自分にとって大変な注文を押し付けられているにも関わらず、神威の不意打ちの笑顔にドキドキしている自分がいる。

「No nameが俺の名前を呼べたらもう二度と別れるなんて言わないよ」

「……!」

「できる?」

No nameは恥ずかしさでどうにかなってしまいそうな気持ちになった。
そんなNo nameの気持ちを理解して言っているのか神威はニヤニヤしながらNo nameを見つめている。

「……」

No nameは高鳴る心臓をぐっと抑えるように大きく息を吸い込んだ。
そして、ありったけの思いをこめた。

「か…神威……」

顔を真っ赤に染めて神威から少し視線を逸らしながら、No nameは言った。

「はい、よくできました」

そう言うと神威は大きな手のひらでNo nameの頭をぽんっと叩いた。
そして、No nameが逃げないように腰元にもう片方の手を添えた。

「…え…何…?」

不思議そうな顔をするNo nameに、神威は何も答えずただただ意味深な笑顔を向けた。
No nameは神威の行動の意味が分からずあたふたし始める。
そんなNo nameの姿を神威は愛おしそうに見つめながらNo nameの頭の上に置いた手をゆっくりと頬にスライドさせた。

「ね、ねぇ…神威…?」

No nameの呼びかけを無視して、神威は尚も意味深な笑顔をしながら口を開いた。

「…初めてついでにこれもいいんじゃない?」

「…え…?」


そう言うと神威はNo nameの頬に添えた手で顎先をそっと持ち上げ、自分の唇をNo nameの唇に押し当てた。



(…ちょっと…何して…)
(何って…キス?)
(そんなことじゃなくて…どうして…)
(いいじゃん、別に。嫌?)
(嫌とかそういうんじゃなくて…恥ずかしい…っ!)
(俺しか見てないから気にしないでいいよ)
(……)
(…それに、これでもう俺から逃げられないでしょ?)






((2012.01.31))

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