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江戸に住む人たちの安全を第一に考えて、最近積もりに積もっている新撰組への不信感を少しでも払拭するために、寝る間も惜しんで考えたはずだった。
何日も何時間もかけて考えて書きあげた企画書は、上司の近藤のたった一言で“一生懸命作り上げた企画書”から“ただの紙切れ”へと化した。

その現実がしばらく受け入れられずにNo nameが茫然と立ち尽くしていると、近藤が頭を掻きながら言った。

「…まァ案としては悪くねェけど、実現するとなれば少々無理があるんじゃねェかと思う。そういうわけだから悪いが、それは白紙に戻して最初からやり直してくれ」

「……はい」

自分の企画が却下された時点でショックを受けていたNo nameは、かすれるような声でそう返した。
もはや言い返す気力さえ失っていた。
それどころか、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。悔しくて今にも涙が溢れそうになるが、近藤にだけは絶対に涙を見られたくなかった。
No nameは溢れだしそうになる涙をぐっとこらえて、そのまま会議室を後にした。

しばらく屯所内の廊下を歩いていたNo nameは全身の力が抜けその場に座り込んでしまった。
今の自分の心の中に渦巻いている感情をどこにどうやってぶつければいいのかが分からないでいた。

─やっぱり…向いてないのかな、私が新撰組なんて。

今まで何かしらの壁にぶつかる度に何度となく自分の中で問いかけてきた疑問である。
しかし、今まではその疑問にぶつかる度に自分を奮い立たせてここまでやってきたのだ。
近藤が自分に厳しく接してくるのも、自分が成長するための糧として欲しいのだろうとか、社会で生き残ることがそんなに甘くないことくらい自分でも十二分に把握しているつもりだった。それを踏まえた上でここまでやってきたのだ。

いつの間にか、膝に顔をうずめていたNo nameの隊服が少し湿っていた。
そこでNo nameはようやく自分が涙していることに気がついた。
今までこらえてきた何かが決壊するように思えた。
No nameがそのまま声も上げず、俯いたまま泣いていると自分の目の前に誰かが立つ気配を感じた。

「こんなとこで何やってんですかィ」

呼びかけられたその声を聞いて、No nameは思わずはっとした。

「……総悟…」

No nameが顔をあげると、総悟はNo nameの顔を見つめて言った。

「泣いてたんですかィ」

「…欠伸したから目元潤んだだけだよ」

取り繕うには不十分すぎる自分でも顔をしかめたくなるようなわけのわからない言葉が思わず口から飛び出していた。
総悟も同じようなことを思ったようで、呆れたような顔をしながらNo nameに言った。

「…もっとマシな理由、考えられなかったんですかィ」

総悟にそう言われてしまい、No nameは反論する気が失せた。

「…うるさい」

No nameがそう言うと、総悟は鼻から小さく息を吐いた。やがて、ふと気がついたようにNo nameが右手で握りしめていた紙に目を向けた。

「…あれ…そりゃァ…」

総悟の言葉でNo nameは気がついたように慌てて両手で却下された企画書を隠した。

「…それ、No name先輩がこの前から必死に書いてた企画書なんじゃねェんですか?…なんで握りしめてるんでィ」

「…いいのよ、別に。握りしめようが、引き裂こうが。これ…もう企画書じゃなくてただの紙くずへと化したから」

No nameの言葉で大体の事情を把握したようだった。

「…あァ、要するにボツにされたんですねィ、近藤さんに。提出する前、あんなに大見得切ってたくせに」

いつものノリで総悟も嫌味ったらしく答えたつもりだったのだろう。しかし、総悟が何気なく言った言葉は想像以上にNo nameの心をえぐった。

「……!」

総悟もNo nameがいつものように言い返してくると思ったのだろう。しかし、No nameは何も言い返さなかった。総悟はそんなNo nameを不審に思ったのか、前髪を掻き上げながら言った。

「…なんでィ…何か言い返してくれねェと、こっちも調子が……」

続かねェ…と総悟が言いかけたが、No nameの頬に涙が伝ったのを見て、言うのを止めた。

「…見ないで」

総悟がNo nameの顔を凝視しているのが伝わったのか、No nameは強い口調でそう言った。

「……」

「総悟に涙なんて見られたくない」

「どういう差別ですかィ、それァ」

そう言うと、総悟は座り込んでいたNo nameの前にしゃがみこんだ。

「…もしかしてNo name先輩、俺が先輩の涙見たからって脅しの材料に使うとでも思ってんですかィ」

怪訝そうな表情をしてそう言う総悟にNo nameは慌ててつっこんだ。

「違うわよっ!なんでそうなるのっ!」

「じゃあどういうわけですかィ」

「…後輩に見本を示さなければならない立場にある私がが軽々しく涙流してるとこなんて見せるわけにはいかないから」

No nameの言葉を聞き、総悟はふっとひとつため息をつき、No nameの側に腰を下ろした。

「…強情な女は嫌いじゃねェですけどねィ……泣きたいならはっきり泣いた方が楽になれるってもんでさァ。…それに、先輩の涙見たからって減るもんじゃねェでしょ?」

「生意気なこと言うじゃない…総悟のくせに」

No nameがそう言うと、総悟はふっと笑って言った。

「俺はあんたが思ってるほどガキじゃねェんでさァ」


「あー…もう…っ!」

総悟のその言葉で、No nameは半ばやけくそになりながら近くに座る総悟の隊服の裾を掴んで続けた。

「…隊服借りるからっ」

No nameの言葉に総悟は当初、きょとんとしていたがすぐに理解したようにNo nameに寄り添うようにすぐ隣りに座った。


しばらくて、ようやくNo nameが落ち着いた頃、今もなおNo nameの隣りにいる総悟に語りかけるようにして口を開いた。

「…向いてないのかもね、私。新撰組に。…この辺が潮時かな」

「辞めるってことですかィ」

「…もし私が近藤さんに辞表提出したら、総悟は引き止めてくれる?」

「…さぁねェ…別に俺からすれば、No name先輩が新撰組を辞めようが関係のねェ話ですから。止めないと思いまさァ」

No nameは思わず苦笑していた。
相変わらず、この沖田総悟という人間は歯に衣着せぬものの言い方をする。

「…そりゃそうよね」

No nameが大きく息を吐き出してそう答えた。すると、総悟は真剣そうな顔をNo nameに向けて言った。

「…けど、先輩がいなくなったら困ると言えば困るんですけどねィ」

「え」

「…だって先輩がいなくなったら、先輩のこと弄るっていう俺の日課が一つ消滅することになるだろィ」

「…何よ…そのふざけた日課…」

No nameが少し顔をしかめてそう言うと、総悟は相変わらず真剣な表情をして続けた。

「これが俺なりの引き止め方でさァ」

「…さっき止めないって言ったくせに…」

「先輩の場合、たとえ俺が止めに入っても聞かねェだろィ…“一回決めたことだから絶対に曲げない”とかなんとか言って」

総悟の言葉にNo nameは目を見開いた。
自分の心の中を見透かされたようだった。

「…俺が止めて聞いてくれんなら最初から止めまさァ」

「……」

「ま、そんなこと言っても俺には先輩を引き止める権利なんてもんはないんですけどねィ」

「……総悟…」

そう言うと、総悟はNo nameから少し視線を逸らしながらNo nameの左腕を掴んで言った。


「でも…本音を言っていいっつーんだったら…」

「…へ…?」

「辞めないでくだせェ」



(…ダメだなぁ、私)
(…何がですかィ)
(今そんな風に言われちゃうと、嫌だなんて言えないんだもん)






((2012.11.29))

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