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No nameはふと空を見上げた。空一面、高層雲で覆われている。No nameはその場に立ち止り、注意深く雲を観察した。
「…そう言えば明日は雨の予報だっけ」
そしてしばらく考えた末に、今来たばかりの道を引き返すことにした。高層雲は直接的に雨を降らす雲ではないが、乱層雲に変化すれば雨が降る確率は格段に増すのだ。
予報では今日は終日、雨の心配はないと言っていたような気がするが、なんとなく今の空模様を見て不安になったのだ。それに直結するかどうかは不明だが、妙に気分も重苦しい。
No nameは一旦家に戻り傘を手にした後、再び駅に向かった。
*
時間も午後9時を過ぎた頃。
No nameは自身の用事を済ませて、帰宅しようと駅に向かっていた。
時間が時間なので、帰宅途中のサラリーマンと言うより、ナイトデートを満喫しているカップルの方が多く見受けられた。
「………」
No nameは何気なく目の前を歩くカップルを見つめた。何を話しているかは聞こえてこないが、彼氏が話しかけたことに対して彼女が幸せそうに頷いて笑いかけている。うまくいっているのが傍から見てもすぐ分かる。
No nameはなんとなく切なくなった。
好きな人がいないわけじゃなかった。しかし、その恋も自分の消極性が潰えさせたに等しい。
No nameの脳裏にその男の姿が浮かんできた。生まれ持った銀髪の天然パーマで、死んだ魚のような目をしている。
─今、何してるんだろうなぁ。…どうせ、相変わらずずぼらな生活してるんだろうけど。
そんなことを考えていると、No nameの頬に雨の雫が触れた。気のせいかと天を仰ぐと、No nameの気のせいではないということを証明するかのように次から次へと落ちてくる。
雨が降ってきたのだ。
「…あ、やっぱり降ってきた……」
周りを見ると、やはりこの雨は予想外だったようで皆が鞄を傘代わりにしてダッシュしたり、服を濡らすことを諦めとぼとぼと歩いてる人がいる。No nameは持っていた傘を広げた。
─きっと、銀さんも傘なんか持ってないだろうから、雨に八つ当たりとかしてるんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、No nameは再び駅へ向かって歩き出した。
駅に到着すると、突然の雨で皆が走ってきたようでいつも以上に人で溢れかえっていた。
No nameが人込みをかき分けて改札へ向かおうとした時、後ろから聞き覚えのある声がした。
「ったくよォー、雨降るんなら俺が家に帰ってからにしろってェの。面倒くせェなァ」
No nameは思わず自分の耳を疑った。そして恐る恐るその声の方へ振り返った。
そこにはつい先ほどまでNo nameの脳裏に浮かんでいた張本人である坂田銀時が立っていた。
「……」
「しゃねェか…傘買うのももったいねェし…諦めて濡れて…ってあれ?」
「…銀…さん…?」
「おー、No nameじゃねェの!久しぶりだなァ」
「あ…うん…久しぶり…。こんなとこで何してるの?」
あまりに会うのが久しぶりで、No nameは全くと言っていいほど銀時と視線を交わらせることができない。
「あァ、仕事帰りだよ。んで…今から万事屋へ帰ろうとしたらこのザマ」
銀時は顔をげんなりさせて灰色に染まった空を見上げた。No nameはそんな銀時に遠慮がちに話しかけた。
「…予報では雨は降らないって言ってたもんね」
「…その割にNo nameはちゃんと傘持ってんじゃねェの」
そう話す銀時の視線がNo nameの手元にある傘へ向いた。そのことにNo nameは妙にドキドキしてしまう。
「あ…うん。出掛ける時…高層雲が視界に入って…もしかしてそれが乱層雲に変化したりなんかしたら雨降るかもしれないって思って…」
「……相変わらず、そーいう知識は衰えてねェんだな、お前。つーか俺が専門用語分かんねェの知ってて言ってるだろ」
No nameの返答を聞いて銀時は少し顔をしかめながら、自身の人差し指でNo nameの額をつついて言った。
「……ごっごめんなさい…っ」
銀時のその反応に、No nameはまたやってしまったと心の中で反省した。褒められたり、見つめられたりすると妙にそのことを意識してしまい、照れ隠しに饒舌になり言わなくてもいいことまで言ってしまうのだ。
「…や、別にいいよ。そういうつもりで言ったんじゃねェし。…それより、マジでどーすっかなァ、この雨…濡れて帰るしかねェか」
「…あ、だったら」
「ん?」
「私の傘…使う?私ここから電車だし…駅から屋根ばっかりで、もう傘いらないし」
No nameはどうしてだか思わず口から出まかせを言っていた。駅から自宅までは傘がないとずぶ濡れになってしまう。
そんなNo nameの提案に銀時は先ほどの表情から一変し、キラキラした表情をNo nameに向けた。
そんな子どもみたいな銀時の表情にNo nameの心がぎゅっと締めつけられた。
「マジでかァ!?」
「も…もちろん!使って?」
「乗りかかった船ってこういうことだな!サンキュ」
「…いいのよ。じゃあ気をつけて帰ってね」
No nameはなぜだか一刻も早くこの場から去りたくなった。久々に再会した好きな人を目の前にするとどうしていいのか、何を話していいのかが分からないというのが本音だった。
「じ、じゃあ…私、電車の時間あるから」
そんなNo nameの不自然さに銀時は徐々に気づき始めたのか、No nameの瞳をじっと見つめた。
「……」
しかし、No nameは銀時の瞳を見るどころか、一向に合わせようとしない。終いには逃げるように立ち去った。銀時は駆けていくNo nameの背中をじっと見つめていた。
*
電車に揺られ、自宅最寄りの駅に着いた時には雨がさらに激しく降り続いていた。
No nameは大きくため息をついた。そして諦めて一歩踏み出そうとしたその時後ろから傘をさしかけられた。
「……え?」
「…どこが屋根ばっかの道だって?」
No nameが慌てて振り返ると、少し不機嫌そうな顔をした銀時が立っていた。
「ぎ…っ銀さん…!ど、どうしてっ!?」
「…No nameがあまりにも挙動不審だったんで、もしかして傘のことただの出まかせなんじゃねェかと思ったわけ。んでその真偽を確かめるべくこうして追いかけてきたんだよ。本当にNo nameの言うとおり屋根だらけの道をお前が歩いて帰るの確認したら黙って帰るつもりだったけど…案の定こうだもんなァ」
「……」
銀時の答えにNo nameは目を見張った。
─つまり、私の心を見透かされていたってこと…?
No nameが返事できずにいると銀時が続けていった。
「だいたいお前は昔から…」
「……」
「…まぁいいか。…んで?家どっち?」
「え」
「え、じゃねェよ。…この状況でNo nameをこのまま帰すほど俺は薄情な人間じゃねェし?…つーかこれお前の傘だし」
「……」
「だから送ってってやるっつってんの。…つーか言わなくても分かんだろ?」
「…あ、そっか…」
銀時のその言葉にNo nameは妙に納得して頷いた。そんなNo nameの様子を呆れたようにため息をついて言った。
「…んで?家どっちなんだよ」
「あ…あっち」
No nameが右側の道を指さすと、銀時は頷いてNo nameにさしかけていた傘の下にもぐりこんだ。
「えっちょっ…銀さん…何して」
突然の相合傘にNo nameの鼓動がまた急激に加速した。
「あー?…何って…こーしねェと俺もお前も濡れちまうじゃねェか」
「……そうなんだけど」
「何か問題でもあんのか」
「い、いや…なんていうか…近いなって」
「あァ…そういうことか」
銀時の妙に納得したようなその返答にNo nameはどう返していいのか分からず、そのまま黙ってしまった。
そしてしばらく二人は無言のまま歩き続けた。
No nameは何気なしに銀時を見つめていると、銀時の左肩が少し傘から出ているせいで濡れていることに気がついた。
「……」
─もしかして…私がさっき近いとか言ったから…気を遣って……
No nameは高鳴る胸をじっとこらえて、何も言わずに銀時が持っている傘の手元を持ち、自分から銀時に寄り添うように立った。
「…何してんだ?」
「銀さんの左肩、濡れてるから」
「……」
不思議そうにNo nameを見る銀時の顔を見上げてそう言うと、銀時は驚いたように少し目を見開き、じっとNo nameを見つめてきた。そしてはっと我に返ったように続けた。
「……さっきまで近いのがどうとか言ってたくせによォ」
「あっ…あれは…その…緊張しちゃって…」
「あー…別に言わなくてもいいよ、どうせそんなことだろうと思ったし。お前、こういうのに全く免疫ないもんなァ」
銀時は面白そうに笑ってそう言った。
そんな銀時を見ているとNo nameは何とも言えない気持ちになった。
─このまま時間が止まればいいのにな…
しかし、そんな願いとは裏腹に、歩を進めれば進めるほど自宅へ近付いていく。
やがて、No nameの瞳に自宅の屋根が映った。
「…あ」
「ん?」
「私…ここなの、家」
「へぇ…いいとこ住んでんじゃねェの」
「そうでもないよ」
「…ふぅん」
「…あ、あの」
「何?」
「ありがとう」
「別にいーよ。これくらいどーってことねェし…んじゃ俺帰るわ」
「あ…うん……気をつけてね」
「おう」
「お休みなさい」
「お休み」
そう言うと銀時は踵を返し今来た道を歩き始めようとする。
そんな銀時の背中を見て、No nameは何か声をかけようとするが、何も思い浮かんでこなかった。そんな自分に再び嫌気がさした。
No nameはため息をついて一歩踏み出そうとするが、雨のせいで滑りやすくなった道に足元を取られた。
「きゃっ」
─こけるっ!
No nameは思わず目を閉じた。
…
…
しかし、いくら時間が経っても体が打ちつけられる感覚がしない。
「…あれ…?」
No nameが恐る恐る目を開けると、銀時に肩を支えられていた。
「…気をつけろって人に言えた義理か?お前…」
呆れたようにため息をつきながら銀時が言った。
「…あ、ありがとう」
先ほどではないが、銀時の顔がまた信じられないほど近くにあり、No nameはまたドキドキし始めた。
「まァ、おかげで俺の羽織が汚れたけど許してやるよ」
銀時はふっと笑った。
─この人は…どうしてこんなに…私の心を揺さぶるんだろう…
「…銀さん」
「ん?」
「…お…お詫びにその羽織…洗濯…するから部屋…あがってくれない?」
No nameがそう言うと、銀時の顔から笑顔が消え、大真面目な顔をして言った。
「…随分と変わった誘い方するんだなァ、お前」
「べ…別にそういうわけじゃ…」
「…でもまァ…しゃーねェからあがってやるよ」
そう言うと、銀時はNo nameの少し濡れた頭をつかんで続けた。
「…それに他にも俺に言いたいこと、ありそうだしな」
(…何の話…)
(とぼけんな)
(えっ)
(目は口ほどに物を言うっつーだろ)
(……)
(…お前はその典型だよ)
(な…)
(離れたくないんなら離れたくない、好きなら好きって最初からそう言えば…こんなに時間がかかることはなかったよ)
((2012.07.06))