α-2

□ステップトリーダ
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「−−−そろそろ検査の時期ね。」

朝。
忙しない空気に混じって朝食の香りが漂う、何度も繰り返されてきた日常の風景の中。
名がダイニングで水を飲んでいると、洗い物をしていた伯母が思い出したように話しかけてきた。

『もうそんなに経つ?』

空になったグラスを伯母に渡して、新しくなったカレンダーを見つめる。

『そっか。3ヶ月ってあっと言う間だなぁ。』

独り言のつもりで吐いた台詞だったのに、伯母から、なに年寄りみたいな事言ってるのよ、と茶々が入った。

『バイト始めてから、余計に早く感じるのよ。
伯父さんは、部屋?』

「ええ。上に行くなら、早く支度しなさいって言ってちょうだい。」

はあい、と間延びした返事を伯母の背に返して、名は階段を上がる。
名の部屋の隣が伯父の書斎だ。
控えめなノックを二回する。返事を待たずにドアを開けると、伯父はPCの前に座っていた。どうやら今日使う資料をチェックしているらしい。

『伯父さん、採血してもらえる?』

ブラウスの袖のボタンを外して腕を捲る。

「ああ、ちょっと待って。

その辺片付けて道具出しててくれるか?」

言われたとおりに机の上に載った本を重ねて端に置き、伯父の大きな鞄の中から注射針やら試験管やらを引っ張り出した。慣れた手付きでそれらをセットすると重ねた本の上に左腕を載せる。
白い腕の表面には青白い血管がいくつも走っている。
肘正中の静脈を指で突ついて、感触を確かめた。
−−−この中に流れるものが、何なのか。
化生の血を引くと言われているが、科学的に分析を掛けてしまえばただの人間でしかないと証明される。だが、確実に、この中に流れるものはヒトには持ち得ない力を宿している。
答えなど出ないと分かっている疑問を逡巡していたせいか、眉間に皺が寄っていたらしい。伯父が苦笑いして、機嫌でも悪いのか、と訊いてきた。へらりと笑って誤魔化すと、それ以上訊いてくることはしない。

「あれ、いつもよりスピッツ多いね。検査項目追加するのか?」

名の伯父は血液など人体の体液・組織などの分析を行う企業に勤めている。彼女の母親が健在だった頃も、その血液検査を請け負っていた。異能の源が血液であり、力を行使する際には自傷行為による出血が不可欠であるため、彼女達は血液を媒介とする感染症に注意を払う。そのため、定期的な血液検査は欠かせないのだ。通常、感染症の項目だけなら一本の試験管で十分なのだが、名は種類の違う試験管を数本準備していた。当然、伯父は首を傾げる。

『うん。感染症に追加して血液型の詳細と、血算に生化学・・・免疫と内分泌も。』

あれこれと検査項目を挙げていくと、ちょっとした献血とまではいかないが、そこそこの採血量になる。呆れたように笑いながら、伯父は手際良く採血を進めた。

「何でまた、こんな事になったんだ?」

『バイト先の所長のご希望です。』

「・・・変わったご趣味で・・・。」

学者馬鹿だから無理もない、と名は忍び笑った。でも、と少し表情を引き締めて、

『何かしらの手掛かりを見つけられるかもしないから、って。』

言って、血液が入った試験管を指先で弄ぶ。そうか、と相槌を打った叔父の声は優しかった。











数日後、伯父が持ってきた検査データを持参して、名はオフィスに出勤した。受け取った封筒はまだ封を開けていない。自身でもその理由は分からないのだが、なんとなく独りで開けて中を確認するのが怖かったのだ。きっといつも通りの変わり映えしないデータの筈だと、そう思ってはいるものの、前回・前々回と己の身体に起こった変化を思うと、何か異常なデータが出てきても可笑しくないんじゃないかと思えてしまう。
どんよりと湿った気分でオフィスのドアを開けると、麻衣が元気な笑顔で迎えてくれた。

−−−それがまた、心苦しい。

こんなにも自分を慕ってくれている彼女のささやかな望み−−−自分のことを話してあげることを拒否している自分に、何も変わらない態度で接してくる麻衣は、眩しすぎるのか直視できない。
これまでの人生で培ってきた、標準装備の微笑みだけを浮かべて、名も麻衣へと挨拶を返す。そしてそのまま、資料室のドアをノックした。少しの間をおいて内側からドアが開き、顔を出したリンとその場で立ち話をする。

『検査データが届きました。これからナルに報告するんですが、リンさんもご覧になりますか?』

少し離れたところでモップを掛けている麻衣が聞き耳を立てているのには気がついていたが、この会話を聞いたからといってどうということもない。だから声を潜めることもしなかった。
リンは首肯して後ろ手でドアを閉め、名を伴って所長室へと消える。
麻衣は床にモップと突き立てて、柄の上に顎を載せた。

「−−−ちぇ。」

同じオフィスで働いているのに、自分だけが蚊帳の外。寂しさで拗ねた気持ちになるけれど、何故だと駄々をこねられる類の問題じゃないのは理解している。自分の好意と同じだけの好意を、相手にせがむのは違うから。

「道のりは厳しいなぁ・・・。」

呟いて、麻衣は再びモップを動かし始めた。

一方、所長室。

『今回の検査データが届きました。指示の通り過去二回分のデータと、諸々の検査項目を追加してあるよ。』

名は言って、鞄の中からA4判の封筒を取り出し、ナルへと渡す。

「まだ開けてないのか。」

少し意外そうな声でナルが言ったので、名は微苦笑した。

『何となく、ね。』

そう、とだけ返して、ナルはデスクにペーパーナイフを取りに行く。躊躇う様子もなく封を開け、デスクに軽く腰掛けて中身を取り出した。
ナルの瞳が紙面を左右に滑る。数枚は無言で眼を通していたが、何枚目かで手が止まった。

「血液キメラだったのか。」

感情の読めない闇色の瞳が名に向けられる。ナルの言葉に、リンは少しばかり驚いたようだった。

『特殊な血液型だって言ったじゃない。』

名は相変わらず微苦笑を浮かべて、肩を竦める。

「・・・キメラか・・・。モザイクではなくキメラ・・・。

名、兄弟はいなかったはずだな?」

『ええ。一人っ子よ。』

ナルの質問は予想の範疇だった。血液キメラは70万人に1人という割合でみられる、稀な血液型である。その内の多くは二卵生双生児で、双生児ペアの8%に出現する。単胎で出生した児の場合、子宮内で二つあった受精卵の一つが死亡し、健在である方に吸収されてキメラが誕生するのだ。

ーーー胎内にいたときから、この身体は誰かの犠牲の上に成り立っている。

その想いが、名に自嘲の笑みを浮かべさせた。

「因みに、名の母親の血液型は?」

ナルは紙面の端から僅かに彼女へ視線を上げて訊ねる。その陰の表情には気がついてはいたが、今口にすべき事は別にある。
名は思い出す風もなく即答した。

『A型。Rh+。稀血ではないわ。』

「母親と伯母は双生児ではない?」

問われて、名は奇妙な感覚を覚えた。

『・・・二卵生、双生児・・・。』

続けて、祖母は?という質問を投げられたが、祖母は既に他界しており、祖母の姉妹の話や血液型などの話は聞いたことがなかった。これには緩く首を振る。

『血液型は分からないけど、双子だったかどうかは、地元の老人会の人に聞いてみればわかるかもしれない。』

ナルは一つ頷いた。GOの合図だと解釈する。

「ーーー家系的に双生児が多く出生する例はある。

双生児、というのは、重要なファクターかもしれないな。
他の検査データに異常はみられないし。」

ナルは紙の束をリンへと突き出した。リンがそれを受け取って目を通し始める。
名はナルの言葉を反芻していた。自分の家系は女系が優性であることは知っている。直系の親族が殆どいないのは、一族が短命なことに加えて兄弟姉妹が異常に少ないのも一因なのだろう。もし、祖母も双生児だったとしたらその確率は天文学的な数字になる。いや、それだけでなく、名にとっては双生児が頻出するという現象自体に神の作為を感じてしまう。
無意識に自分自身を抱き締めていた。

「民間伝承は集められたか?」

ナルの声にハッとして顔を上げると、彼の闇色の瞳がこちらを見つめていて、その深い色に浮かんだ優しい光に寒々しかった気持ちがふっと和らいだ。

『まだ、そんなには。口伝が多いのか、図書館の蔵書では扱いが少なくって。だから、今度実家に戻って、老人会の人から詳しい人を紹介してもらう予定なの。』

そう告げると、ナルは少し考える風にデスクの上に乗っていたマップや観光情報誌の山を一瞥してから、短く"いつ?"と訊いてきた。

『再来週の週末にアポイント取ってる。』

「僕も行こう。」

ナルの口からさらりと吐き出された言葉を咀嚼するのに、一瞬の間ができる。リンが僅かに眉を寄せているのが雰囲気でわかった。

「リン、こっちのことは任せる。名の所に寄った後、僕はそのまま北陸方面に向かうからそのつもりでいてくれ。」

有無をいわさず一方的に話を畳むと、一人でさっさとデスクに腰掛けて分厚い洋書と向き合ってしまった。
リンが数字やアルファベットが細かく並んだ紙束を名へと差し出し、軽く目礼して部屋から出ていく。
名はリンが出て行ったばかりのドアと本に囓りついているナルを見比べて、ほんの少し迷いながら自分もドアに手をかけた。

「・・・何か、気になることでもあるのか?」

不意に投げられた質問に、名の動きが止まる。

「一人で検査データを見るのが怖かったんだろう?」

ナルの口調は問いかけているようではあったけれど、その声音は確信を得ているかのように揺るぎないものだった。

名はドアノブから手を離し、けれどナルの方は振り向かずに少しだけ俯く。傾いだ頭が、冷たいドアに力無くぶつかった。

『・・・。』

何を、どう言葉にしたらいいのだろう。

ナル達と出会ってから力を使役する回数は増えた。
それは、自分で望んだことだ。
けれど、大きな力を使った後に訪れた自身の身体の異常な変化に、不安と恐怖が生じたのは事実。初めてその変化が起きたとき、側にはナルがいたけれど、この間の変化のことは話していなかった。見つからないように力を使ったことも、一時的とはいえ身体が変化したことも、ーーーリンを犠牲にすると決めたことも。

ナルには話していないのだ。

ーーー話せない、

瞑目した世界は暗く、閉ざされた牢に似た閉塞感を感じさせる。

『ーーーそんな、大した意味はないよ。本当に、何となく。』

だから気にしないで、言いながらドアに頼りない自分の背中を預けて顔を上げ、いつものように笑って見せた。
細めた瞳から見えるナルが、小さく溜め息を吐いて立ち上がる。分厚い洋書を片手に持って、名の目の前まで歩み寄ると、唐突にズシッとした重みと衝撃が名の頭蓋にのし掛かった。

「それで笑っているつもりか?」

重い本が頭にあるせいで顔が上げられない。

「何に対して怖がっているのか、不安に思っているのか、言って貰わなければ手の出しようがないだろう。」

鼻の奥がツンとした。

優しい、ナル。

どうして気持ちが分かるんだろう。

こっちなんて見ていなかった癖に。

でも、どうか、私の事を暴かないで。

浅ましい私を、汚い私を。

私は優しくして貰う資格なんてない。

『・・・痛いよ。』

名は呟くように言って、頭の上に乗った本ごとナルの腕を払った。

『ナルの、気にしすぎだよ。』

ははっと乾いた笑い声を出してドアの向こうへと身体を滑らせる。

『じゃあ。何かあったら呼んで。』

いつもの台詞でナルとの間に衝立を作って、ドアを閉めた。




ーーー怖いのは、自分の心。


ーーー不安に想うのは、貴方。







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