小説

□勘違いでススム恋
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  ◇ ◇ ◇


 昨日のことなど特に気にしていないのか、麻人はいつもとわからない声音で「おはよう」と言ってきた。麻人なりに気を使っているのか、気にも留めていないか……恐らく後者だろう。
 本当は、ほんの僅かでも気にしてくれているかも……なんて、思ったりもしたが、そんな期待をする方がおかしかった。どんなに同じ幼馴染でも、麻人が誠司以上に自分を見てくれることなんてない。心配してくれることなんてない――。
 ただ、それを思い知らされただけだった。
 わかっていたこととは言え、いつも以上にテンションが上がらない。元々そうお喋りな方ではないが、いつにも増して喋る気にもなれない。
 だから正直、今日は誠司を待たず、一人先に帰ってしまおうかとも思っていた。今は麻人の口から誠司の話を聞きたくなかった。だが、麻人と二人っきりの時間を過ごしたいのも本音で……その口から語られるのが誠司のことだとしても、誠司の知らない麻人を知る時間を手放す強さは持てなかった。

「じゃあ、日誌出してくるから」
「いってらっしゃーい」
 職員室へ向かう誠司を、ブンブンと手を振り麻人が見送っている。
 そんな毎日行われる風景を、横目でチラリと見遣り、誠司が、戻ってくるまでの約十分間の時間を潰すため、鞄から本を取り出す。パラパラと捲ると、ふと影が射す。
 ああ、麻人か。
 思いながらも視線を上げることなく、読みかけのページを探した。昨日慌てて本を閉じた所為で、しおり挟むのを忘れてしまっていた。
 ある程度目星をつけ、そこから少しずつページを捲っていく。この辺りか、と目で文字を追い始めるが、さっきから本に掛かる影が動いていない。それに違和感を感じ、耳を澄ませたが、聞き慣れた声も聞こえてこなかった。そこに来てやっと虎太郎は視線を上げる。
 平素であれば前の席を我が物顔で陣取り、聞いてもいない話をし始める麻人だったが、何故か立ったまま、ジッと虎太郎を見ていた。
 一体どうしたというのか。
 いつも愛想のいい笑みを浮かべている麻人が、小さく眉間に皺を寄せ、その口をムッと噤んでいる。
 やはり、昨日のことを何かしらおかしいと感じていたのだろうか。
 それとも、素っ気無い態度に腹を立てているのだろうか。
 そんな奴じゃないとわかっていても、今まであまり感じたことのない雰囲気に要らぬ不安が増していく。
「――ねぇ、コタ」
 思いの外真剣な声音に、一体自分が何をしたのか、その答えを模索する。朝は普通に接してくれていた。となると、その後に問題があったと考えるのが自然だろう…。
口数は少なかったかもしれないが、それ以外はいつもと大して変わらなかったはずだ。誠司の話を適当に聞いていたことなど、今更でしかない。
 ――好きだ、とバレてしまったのだろうか?
 いや、そんなことあり得ない。口に出すどころか、態度にも出していない……はず。
 どうして麻人がこんな表情をするのか、虎太郎には全く見当がつかなかった。
 小四からの付き合いだが、こんな表情をした麻人は見たことがない。いや――昔こんな表情を見たことが……だが、それがいつかは思い出せない。もしかしたら、自分の思い違いの可能性だってある。
「……何?」
 暫くの逡巡後、虎太郎は窺うようにそう口にした。理由がわからないのだから仕方がない。
「……誠司が、好き?」
 思わず思考が止まった。
 “誠司”と“好き”。
 どちらも聞き慣れた単語のはずなのに、その単語の繋がりと疑問符が違和感を感じさせる。どう思うかであれば、すぐにでも答えられたかもしれない。だが――好き?
 その問いに至った経緯が全く理解できず、虎太郎は考え込むように俯いた。今までだって一度たりとも誠司を好きだ、と口にしたことはないし、幼馴染みとしての感情以上に好きだと思ったこともない。一体どこでそんな勘違いをしてきたのか……。
「麻人、俺は…」
 はっきり否定しようと上げた虎太郎の顔が瞬く間に赤く染まり、続く言葉を飲み込む。
 驚いたのもあるし、その驚きの後で胸中にジワジワとしたものが広がっていくのを感じたからだ。
 上げた顔の先――それこそ眼前に、見惚れる麻人の顔があった。
 殊の外、近くにある麻人の顔。僅かに動いただけで、その鼻先へついてしまいそうなほどの距離に、息すら飲み込んでしまう。
 言葉など継げるはずがなかった。
 まじまじと見つめる麻人の目。いつも誠司ばかり見ている目が、今は自分に向けられている……。そう思うと、更に顔の熱が上がった。
 眉根を寄せ、麻人の顔が引いていく。
 身を起こした麻人をどうしたのかと窺い見るが、その面持ちは不機嫌そのもので、何を聞いていいのかさえわからなくなる。
「……には…渡さない」
 僅かに麻人の唇が動き、小さな声で呟いた。だがあまりに小さな呟きは虎太郎の耳には全て届かず、途切れた単語だけが僅かに聞こえた。
 同時に麻人は踵を返し、無言のまま教室を後にする。虎太郎は、その姿をただ呆然と見つめていた。
「渡さない、って……」
 解するように麻人の言葉を口にする。だが口に出したところでその意味がわからない。
 どうして麻人は、あんなにも思い詰めた顔をしていたのか。どうしてあんなことを聞いてきたのか……。
 ふと思い出す。
 そういえば麻人に、誠司が好きか訊かれていたのだ。それに対して虎太郎は答えを返しそびれていて――。
 もしかすると…。
 思い当たった考えにまさかと首を振るも、否定することもできない。
「俺には…渡さない?」
 もし先刻のやりとりで、虎太郎は誠司が好き、と麻人が勘違いしてしまったのなら、渡さないと言われた意味も理解できる。でも、誠司を好きになるなんて、ありえない。
 口が良いとも言えず、人付き合いも苦手で…そんな自分に何の隔たりもなく接してくれたことは嬉しかったし、好きじゃなきゃ今でも一緒にいたりしない。
 けど……それでも……麻人に対するそれとは意味が違う。

 私立の、ましてやお坊っちゃまばかりのこの学校に初等部の途中から編入し、正直、親のコネで入ったのだと噂し、よく思わない輩も多かった。
転校初日、口下手で無愛想だった自分を良く思わなかったのだろう。クラスメートに呼び出され、それこそ古典的にも屋上で数人に囲まれていた時だった。ああだこうだと気に食わない言い分を次から次へと口にしてくる連中に、呆れ半分といった態度でバカバカしいと声にしてしまった瞬間、キレたクラスメートの一人に殴られそうになったところを助けてくれたのが麻人達だった。あの時麻人が声をかけてくれなかったら、確実に殴られていただろう。
 それ以来、何だかんだと話しかけてくる麻人と仲良くなっていったのだが、仲良くなって親切で頼りがいのある存在だと思ったのは本当に最初だけで、距離が縮まってからは頼れる存在とはとても言い難く、何かしては誠司が世話を焼く始末。誠司の方が断然頼れる存在だった。

 それでも、麻人を好きになった。
 強気かと思えばすぐに甘え、泣いたかと思えば次の瞬間には笑っている。子どもっぽいのに急に大人びた表情を見せて……いつの間にか、目が離せなくなった。まるで弟みたいな感覚で、庇護欲を掻き立てられた。
 第二次性徴を迎える頃にはそれが違う感情だと気づいたが、それと同時に麻人の感情にも気づいてしまった。麻人の目が追う先に必ずいる人物。麻人を好きだと気づいたときには、失恋してしまっていたのだ。麻人は昔から誠司のことを好きで、今でも変わらず誠司を……わかっていることなのに、ズキリと胸が痛い。
 麻人の言葉一つ、態度一つでこんなに胸が痛くなるのに、誠司を好きになるなんて……。

「好きなわけ……ないだろ…」
「何が?」
 急に声がかかり、ビクリと虎太郎の肩が揺れる。声がした方へと視線を動かせば、そこには先刻麻人ととの話で中心となっていた人物。
 考えが口に出てしまっていたのだろう。誠司が首を傾げながら歩み寄ってくる。
「どうかした?」
 その羨ましいほどの長身は麻人とあまり差がないように見えるが、二人が並ぶと若干誠司の方が高い。髪色も生まれたままの黒さだが、誠司の方が濡羽のような色をしている。
 身長も髪色も似ている二人と一緒にいれば、必然と自分の小ささや髪色が目立ってしまう。
 目立つことは何よりも嫌いだった。幼い頃からそう育てられたのだから仕方ないが、それでも一緒にいられるならいいと思った。もう思いを告げることができないのならば、せめて傍に……。
「虎太郎?」
 近くまで来た誠司が再び首を傾げる。
 名前を呼ばれ、虎太郎は目を瞬かせた。
「何でも、ない」
 それだけ答えたが、誠司はどことなく納得がいかない表情をしている。
「ふーん……麻人は?」
 納得いかなくても、根掘り葉掘り訊いてこないのが誠司らしいと思いながら、虎太郎はそんな誠司の寛容さを羨ましく思った。自分も誠司のように心が広かったなら、少しくらい麻人の気持ちを動かすことができただろうか……?
 また女々しいことを考えてしまった。
 虎太郎は考えを打ち消すようにぶんぶんと首を振った。そして誠司に視線を返し、答えようと口を開く……が、何と答えればいいのか、言葉に詰まる。
「麻人は……」
「麻人は?」
「多分……帰った」
 そんな曖昧な答えしか返せなかった。実際、いつも机の脇に掛けてある麻人の鞄がない。話の途中で取ったのか教室を出る直前に取ったのかはわからないが、ない、ということは、戻ってくるつもりはないという意思表示だろう。
「ふーん……」
 またしても先刻と同じような表情を見せる誠司に、やっぱりこんな説明じゃ納得できないか、と虎太郎は嘆息をついた。だが他に説明のしようもないことも確かで、あと言えるとすれば、麻人が教室を出ていくに至った経緯くらいだ。
 しかし内容が内容なだけに、それを当人に話すのは流石に憚れる。
「……帰るか」
 どう説明すればいいものかと思索していると、誠司が眼前まで鞄を上げ、帰ろう、と促してきた。きっと言いづらいことがあるのだと察してくれたのだろう。
 こうやって無理矢理聞き出そうとしない誠司の態度には、本当に感謝したくなる。これが麻人なら一から十…それこそ根掘り葉掘り聞いてきただろう。
「どうかしたのか?」
「いや…何でもない」
 本当に、どうして麻人に惚れてしまったのか……思わず苦笑が漏れていた。


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