小説

□勘違いでススム恋
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 この気持ちに気づいたのがいつだったか……はっきりとは覚えていない。気づけば、女が男を、男が女を恋慕するような感情を、いつの間にかあいつに抱いていた。
 相手は所謂幼馴染み。ただ、普通と呼ばれる恋愛と違って、互いが男という性別である、という片想いするには大層な障害がはだかっている。
 どんなに理解ある社会になってきているとはいえ同じ男に対してこんな感情を持つことが普通とは違う事であることはわかっている。だがあいつのことを考えるだけで――まるで乙女のような表現だが――ドキドキと胸が高鳴り、時には頬を赤らめてしまう。おはようと声を掛けられるだけで朝から気分が高揚したり、何気なくポンポンと頭を撫でられるだけでジワリと涙が滲みそうになることもある。
 感情が表に出にくい方だと本人も自覚しているが、傍に居る時は殊更態度に出ないよう気を張っている。元から鉄火面と呼ばれるほど表情筋に乏しいらしい彼の顔は、思うほどあからさまな態度は出ていないのだが、そんなことにすら気付かないほど、彼――瀬戸虎太郎は、幼馴染みである倉掛麻人に恋をしていた……。
 これが漫画や小説であれば長年片想いをし続けた少年は、ふとした事をきっかけに、同じように想い続けてくれていた幼馴染の気持ちを知りハッピーエンドを迎えるのであろう。しかしそれはやはり創作の中での出来事であって、現実に幼馴染みに恋をしたからといって、皆が皆、ハッピーエンドを迎えられるわけじゃない。
 幼い頃からの互いを知っているからこそ、男女間ですら上手く確率は100%とは言えないくらいには難しい事に思える。それなのに、男同士……普通に考えれば、友達だと思っていたのにそういう対象に見られていた、という点で嫌悪感を抱かれてもおかしくない。一般的に考えて、望みはないに等しいだろう。
 しかしその性別に関しては、自分達の間では些細なことかも知れない。じゃあ何故ハッピーエンドを迎えられるわけじゃないと断言できるのか。性別の問題をクリアできればあとは自分の行動次第で想いを遂げることができそうなものだが、虎太郎の前には、それ以上に高い壁があった。


  ◇ ◇ ◇


 祖父譲りの胡桃色の髪が風に遊ばれ、サラサラと揺れる。黙っていれば可愛らしいと言われる顔も、十六ともなればその幼さに嫌気を覚えるが、焦ってもそう簡単に顔が変わることはない。
 女子よりやや高めの身長は、男子としてはもの足りず、幼さを増す要素になってしまっている。いつかは伸びるだろうと願ってはみるが、背の低い父を見ると諦めるしかなかった。
 黙っていればとあったが、別に虎太郎がお喋りというわけではない。どちらかと言えば物静かな方だろう。だが開く口から出る言葉は辛辣で、チクチクと棘を持ったものが多く、耐性のない人にとってはなかなか耐え難いところがあった。
 それに対して、麻人は漆黒の髪で、コロコロとよく変わる表情と明るさを持ち、口調も柔らか。人当たりがいいのもあるが、まるで犬のように人懐っこい性格で気付けば自然と人を引き寄せている。
 対照的で一見相容れる事すら難しそうに感じるが、そんな二人のバランスを上手く保ってくれたのが、例の壁となるものであった…。



「誠司、今日もスゴかったよなぁ」
「そうだな」
 黙々と本を読む虎太郎の前の席を陣取り、まるでそのときの光景を思い出すかのように遠くを見ながら麻人が話している。
 虎太郎は大したリアクションを見せることなく、慣れた様子で淡々と相槌を打った。大して耳に入れているわけじゃない話にうつ相槌は当然適当なものだが、麻人は気にする様子もない。
「あんな難しい問題、スラスラ解くんだもんなぁ」
「そうだな」
 それを分かっているからこそ、虎太郎は読んでいる本から目を逸らすことなく麻人が話し続ける誠司自慢をきいているのだが、知らず本を握る指先に力が入る。
 相手が気にしてないのなら相槌をうつ必要もないように思うが、相槌をうっておかないと、後々面倒くさいのだ。話を聞いてないのではないかと麻人が話していた内容を復唱させられ――大体はその日誠司がしたことを適当に言えば当たるのだが――外れたときはまた一からその話を聞く嵌めになってしまう。
 正直、好きな人の好きな人の話など、誰が聞きたいと思うか……。込み上げる嫉妬に何度涙を零しそうになったか…もう数える事すら面倒に思える。
 そう――虎太郎の前にある性別よりも高い壁……それがもう一人の幼馴染みである新垣誠司の存在だった。
「頭が良くて優しくて……クラス委員長まで任される誠司って、やっぱりカッコいいよなぁ」
 虎太郎と出会う前からの仲である誠司に対して、麻人は盲目的な好意を示していた。

 小学四年生の時、それまで通っていた学校から転校することになったのだが、転校先は文武両道で有名な進学校・香桜学園の初等部。そこで初めて虎太郎は二人に出会ったのだ。
 初めてあったときから高等部になった今でも、麻人の誠司自慢は変わっていない。初めて交わした言葉も今と変わらない誠司自慢だったのを虎太郎ははっきりと覚えている。
『俺、倉掛麻人!こっちは新垣誠司!カッコいいだろ!』
 正直このとき虎太郎は麻人のこの発言に、どこかネジが飛んでんるんじゃないかと思っていた。
 だがそんな麻人を誠司もまた甲斐甲斐しく世話し、甘やかしている。この二人はお互い様なのだ。今思えば、この時から既に麻人のベクトルは誠司へと向いていた。
 それをわかっていながら、どうして麻人に惚れてしまったのか……不毛というか自虐的というか……。

 懐かしさと拭いきれない哀れさに思わず自嘲の笑みが漏れた。
「…………タ………コタ……虎太郎!」
 ハッと顔を上げる。眼前には眉根を寄せ、怒ったような顔の麻人。
 ――しまった、つい物思い耽ってしまっていた。
読んでいた本も頭に入っていないどころか、一ページも進んでいない。何行目かまで目を通した記憶はあるが、それすら曖昧だ。
 麻人の表情に焦りを覚え、慌てて麻人の話の断片だけでも思い出そうとするが、それは極めて困難なことだった。元より殆ど話を聞いていないのだ、思い出せるはずがない。
「あ、…えっと……何だっけ?」
虎太郎は早々に諦め、素直に訊ねた。
 それで麻人があっさり流してくれるとは思わなかったが、ここはもう観念して、もう一度話を聞くしかない。
 平素であれば適当に誠司の行動を口にして逃げるのに、今日に限って頭の回転が鈍く、何も思い浮かばないのだ。何だよもう!と怒る麻人が脳裏にありありと浮かぶ。
「……具合、悪いのか?」
 だが返ってきた反応は、虎太郎の予想に反したものだった。反するというよりも、全く予想だにしておらず、脳が理解するのに時間を要した。
「コタ?」
 首を傾げる麻人の手がチラチラと虎太郎の目の前を行き来する。
「おーい?」
 呼んでいるのはわかっているが、麻人が大切な誠司の話より自分を気遣ってくれたことが信じられず……それでもそんな麻人の言葉を嬉しく感じる自分もいて、麻人にとっては何気ない一言だろうが、麻人がどれ程誠司を好きか知ってる虎太郎にとっては、喜ばずにいられなかった。
 勿論、その全てが顔に出る訳じゃない……が、驚きは隠せない。大仰に驚いて見せることはないが、それでも珍しく見開いた目が驚きを表している。それが麻人を心配させている一因になっているのでは、とも思うが、それに気付くよりもやはり、麻人の言動に気がいってしまう。
「大丈夫?」
 些細なことが嬉しくて、反面、心のどこかで必ずと言っていいほど誠司と比べてしまう自分が嫌だった。
 どう足掻いても、誠司には勝てない。出会ったとき、既にそれは確定していた。
 家が向かい同士の二人は、それこそ物心ついたときから一緒だったのだ。それに比べ、自分はたった六〜七年。年月の差じゃないと思いたくても、埋めることのない差が確実にそこにはあった。
 現にそれは麻人の誠司に対する感情にはっきりと表れていて、近くで過ごした年数の分だけ、それを感じ続けていたのだ。麻人の気持ちは理解しているが、それでも自分の感情と折り合いをつけるのは難しく、日増しに苛つく感情が強くなっていく。もしかすると、そんな感情を抑えるために無関心を装っているのかもしれない…そう思ってしまうほどだった。
「……大丈夫」
 なんとかそれだけ答えると、虎太郎は手にしていた本を閉じ、鞄へと仕舞い込んだ。
「ごめん、今日……早く帰るように言われてたんだった」
 言いながら席を立つ。
 本当はそんなこと言われていないが、このままこの場にいることがなんだか辛くて、鞄を肩に掛けると、足早に教室の出入り口へと向かった。

 とてもじゃないが、真っ直ぐ麻人の顔を見ることが出来ない。
 麻人はただ純粋に誠司を好きなだけだ。自分と同じ好きだという感情が、ただ自分じゃない違う人に向いているだけだ。それは何ら悪いことではないし、虎太郎が責める理由も権利もない。
 わかっていても、胸の苦しみが取れることはなかった。胸が痛くて、痛くて…苦しい。向き合って笑う二人に何度胸を締め付けられたか、麻人の嬉しそうな笑顔に何度嫉妬を覚えたか…。
もう嫌というほど心臓が高鳴ったり、締め付けられたり、傷めたりを繰り返してきた。だから何度も何度も、自分に言い聞かせる。
 麻人は誠司が好きなんだ、と。これ以上傷つくな、と――。
 振り返ることなく教室を後にし、静かな廊下で蹲った。グッと胸元を握り締めればクシャリと制服が皺を作る。掴めない筈のその奥が、同じようにクシャリと締め付けられたように痛みを訴えていた。


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