短編ブック

□寒い中どうも
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黒子テツヤはつまらない男だった。
色白な奴で、女経験はほとんど無さそうだが女に全く好まれないという訳でもなさそうだった。
柔和な人柄で、笑うこともあれば悲しむことだってある。ただし、静かに涙を落とす奴の姿は想像に難い。
目はいつも何かを見据えて、瞳はこの国の誰より透き通った色をしていて美しい。
ぱっちりと開いた瞼の奥にその水色の瞳を潜ませている。
そのくせ煩わしいほど熱いハートを持つ。
どう仕様もない男、というわけでもない。

わたし達は高校の同級生だった。
火神という友人伝いで知り合い、高校三年間一度もクラスを共にすることなく会話もそれ程したことがなかった。
わたし達が学生服を脱いでから既に五年近くの年月を経て、わたしは彼のことを記憶からすっかり落っことしていた。
彼はそれほど印象の強い男ではなかった。

何故突然思い出したように黒子のことを考えたのかというと、たった今、黒子がうちの座椅子に、背を向けて座しているからだ。
表情こそ見えないが、後ろから見た首の角度などから推測するには、渡したお茶を抱え込むように両手で握り、その水面でも眺めている様子だ。

私がお風呂を済ませ、寝巻き姿で遠い秋田に住まう友人と電話をし終えた頃だった。
時計で言えばおおよそ針が一周まわったあたり。夜の十一時半くらい。だったかしら。
アポイントメントもなしに一人暮らしの私を訪ね、私が玄関のドアを開けると、何の気なしに「久しぶりに会いたくなった」。だと。

お互いに目を丸くし、私はとりあえず、と友人だか知人だかわからない彼をアパートへ引き入れた。
もう気温が下がって雪など降り始めたというのに、彼の格好はまるで薄着だったからだ。

ジャージ1枚でマフラーも手袋も、上着すらも羽織っていない黒子をわたしは部屋にあげた。
暖かいお茶を出してやり、コンビニで買い置きしていた干し芋も出してやった。
ついでに暖房もつけてやったし、なんなら暖かいルームウェアだって貸してやったのだ(その時気づいたが、黒子の身長は高校の時からあまり変わっていなかった)。

聞くと黒子はランニング途中、突然わたしのことを思い出して会いたくなったという。
どうしてわたしが家にいるとわかったんだろう。それにわたしの賃借してあるアパートをどうやって見つけたんだろう。

黒子は私の疑問に微笑みながら、すべて、火神に聞いたら知っていたと答えた。
あいつか、わたしの個人情報をばらまいているのは。
わたしが気を悪くしたのを察した黒子は困ったように眉尻を下げた。

すみません、ぼくが無理にお願いして聞いたんです。
思い立ったいま会いに行かないと、縁が途切れて弘美さんとはそれきりになる気がして。

黒子が申し訳なさそうにするからわたしも申し訳なくなってきて、なんだかお互いごめんごめんと弁解しあってるみたいでおかしかった。
久しぶりに黒子と笑い合った。
大して仲が良かったわけでもない異性を一人暮らしの住処に招き入れたことを多少は不安に思うところもあったが、すっかりと忘れていた。

わたしはたまたまあった缶ビールを2本出してきて、呑もうと言った。
季節外れのキュウリを塩で揉んでゴマ油で和えて即席のつまみもつくった。
黒子が特に拒否もしなかったので肯定と受け取り作りおきのおかずもレンジで温めた。

黒子はじっと待つような表情でこちらを見続け、わたしが席に落ち着くと少し表情を和らげた。


「するんですね、料理。」
「簡単なやつだけね。」


同時に缶ビールのプルタブを鳴らし、目を合わせて笑んでから優しく缶をぶつけた。
カンパイ!
ーー音頭だけは元気よく。
わたしはすぐに口をつけたが、黒子の缶を握る手は浮いたまま口元へいく様子はなかった。
その口元が、考えるようにつぐまれている。

わたしが彼の名前を呼んで首を傾げると、「お酒を飲む前に言っておかなければと思って。」と薄く色付いた唇を震わせた。


「高校時代から好きでした。ぼくと付き合ってください。」
「は……?」


黒子テツヤという男は不思議な男だった。
委員の仕事で本の整理をしているといきなり背後に現れたり、影が薄いかと思えば全国優勝を果たしたうちの高校のバスケ部のレギュラーだという噂が流れたり。
数年ぶりに会ったかと思えば明らかに告白としか受け取れない言葉を真っ直ぐな視線とともに投げつけてきたり。


「ええっと、酷いこと言うかもしれないけど、わたし達そんなに仲良かったっけ……?」
「……ひどいです。会話こそそれほど多くはありませんでしたが仲は良かったと思っていました。」
「まずい。ごめん黒子くん。わたし友人の友人程度に思ってました。」
「おそらく弘美さんが覚えていないだけで、二人で映画を観に行ったりもしましたよ。『海辺の車椅子』。」


ああそうだ!あまりにも凡庸な内容すぎて記憶から抜け落ちていた。
高校生のわたし、男の子とデートまでしたのか、やるなぁ。
それはそうとわたしは黒子に異性として見られているらしい。しかも好かれている。
今更のことではあるにしても好意を寄せてくる異性を部屋にあげている状況に常識人として疑問がうまれた。
が、何の危機感もうまれず自然な対応ができるところを見るとわたしは黒子に確かな信頼を置いていたらしい。
覚えはないが。


「それで、どう答えますか?」


わかってるだろう。
今まで知人程度にしか思っていなかったんだよ。
それなのに黒子がはきはきと言葉を紡ぎつづけるから、わたしは迷って、答えを出した。


「悪いけど、いきなり好きだと言われても実感が湧かない、かな。正直今日会うまで黒子のこと忘れてたし。高校時代もいい友人くらいにしか思ってなかった。こんなわたしのこと好きって言ってくれてありがとう。でもごめん」


うん、満点。


「……」
「…………それに、黒子はわたしのこと全然知らない。たぶん部活で疲れてて一瞬夢見ただけだと思う。」


減点だ。なんで黒子は満点の回答で納得してくれなかったんだろう。
彼がわたしの言葉のつづきを待つから、余計な事まで口を滑った。

わたしにはろくに恋愛経験も無ければ女としての自信もなかった。告白されたのだって初めてだ。
好きだった先輩に告白したことはあるが、返事も聞かずに逃げた。昔から恋愛に臆病だった。


「ぼくは弘美さんのこと、よく知ったつもりでいます。」
「……え、」
「火神くんに気性荒く怒るとことか、怠慢して一度にたくさんの荷物を持ち運ぼうとするとことか、案外宿題を出さないとことか、でも友達との約束は必ず守るとことか、借り物をしたら律儀にチョコレートと一緒に返したりするとことか、」
「ちょ、ちょっと待って、なんで……?」


なんで知ってるの。
黒子は優しげに「その場に居ましたから」と笑った。
あ、れ、……そういえば。火神との口論が止まらなくなった時、仲介に入ってくれたのって誰だっけ?
重い荷物を一緒に運んでくれた人、時々宿題を見させてもらっていた人、雨の中待ち合わせした人、たまに教科書を貸してもらっていた人。


「あ、あれ、黒子、もしかしてわたしたち結構仲良し……?」
「いくらぼくの影が薄いと言ったって、忘れすぎじゃないですか?」


黒子がムッとした顔で缶に口をつけた。
か、かわいい……じゃない!そうじゃない!流されるなわたし。

わたしはまるで魔法が解けたかのように黒子との記憶を思い出し始めた。
頭は幾分か混乱している。
箸で目の前のきゅうりを口の中に放り込んで、ビールを呷った。もう午前1時を過ぎている。

居たたまれず立ち上がって厚手のカーテンを開けると、昨日からの雪がまだ降り続いていた。
道理で心細いはずだ。
やはり電気毛布でも買ったほうがいいのかしら。足元から冷え込むのである。
もちろん外を歩く人間なんてものは居らず、闇の中。
ーー雪景色が月光に照らされているという趣だ。
勇気を出して振り向いた癖に、下を向いたまま声を絞り出した。黒子が優しく笑っているのがなんとなくわかる。


「黒子、わたしのこと思い出してくれてありがとね。わたしも思い出してきた。良ければもう少し、黒子とのこと考えてもいい?」

「……弘美さんがぼくの事考えてくれるんだったら、いつまででも待てますよ。」



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