短編ブック

□赤い部屋
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私は寝ている先生の体に灯油をぶっかけた。

先生は起きない。

だらりと腕の力を抜くと手のひらから灯油缶が滑り落ち、カラッカランとがらんどうな音を鳴らした。

先生は起きない。

二階建てのアパートの一室、その隅っこで、私たちは二人で居た。
夕暮れ時だからだろうか、閉め切られたカーテンから漏れる光がまっかっかで綺麗だなあと思う。
部屋の外は今、どうなってるんだろうか。
聴覚だけでイメージする。
女の人の電話の声。道路を走る車の音。遠くの踏切のどよめき。
全部全部、まっかっかなんだろうなあ。まっかっかだといいなあ。
私は先生の前に着の身着のまま立ち尽くした。
まだ起きない。
私は先生の寝顔をぼんやりと眺めているらしかった。
通った鼻は外から漏れ入ってくる夕日に照らされていて、豊かで短い睫毛は震えていて、緩く開いた指のシワはまるごと見えている。どうも頭が回らない。

ムッとした空気が気持ちよくて吐き気がした。
音楽でも流そうか。
いや、この場合音楽なんてない方が美しい。私の心音と先生の、、、

やはり何か流そうと音楽プレイヤーの電源をつけてみました。
586曲の中から「アンマー」を選び出した。
初め、音楽を流したことを後悔したが段々と悪くないと思えたみたい。

先生は私にとって母親のような存在だった。
母を知らないのでどんな感じかは具体的に想像できないけれど、こう、先生なんだ。先生みたいな人なんだ。
私が、愛して、最上の愛をもらえる。
先生とは生まれた時ではなく、高校で出会った。
目を見て、微笑みあって、声を聞いて、この人だと思った。
私の、安心できる、決して裏切らない、甘えられる母親。
先生は感情が少ない。
黒髪短髪で、背が高くて、手が骨ばっていて素敵だ。普通だ。普通の人だ。
でも、特別な人だ。
先生の音のない目に見つめられるとクラクラした。
いつまで経っても慣れない、私の心臓の奥の方を見つめるような瞳。
セックスだってした。
好きだ?笑わせないでください先生。
あ、あ、あいしてます。
うーん。アングラ、アングラ。私たち満足ですね先生。

先生はまだ起きない。

しゃがみこんで、先生の耳元にはあッと熱い吐息を吐きかけた。
いつから寝てるのか知らん。
私の湿り気を帯びた唇の先を、先生の少し開いている唇に重ねた。
ぢぅっと吸ってから離す。
私たち満足ですよね、先生?

最後くらいはと思い、お気に入りのマッチ箱からマッチを1本拾い、箱の側面のヤスリと擦り合わせた。

ほら、あんなに軽い力で動かしたのに、火が点いた。



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