短編ブック

□彼らの足音
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あなたたちとは同じクラスでした。
その時はまだあなたではなく、私は赤司君とクラスメイトとして繋がっていた、はず。
赤司君とは席が隣なわけでも部活が同じわけでもなかったけれど、そこそこの仲良しでした。
赤司君は皆に優しくて、特に私に優しくしてくれます。
よく話すようになり、しばしば行動を共にし、やがて一緒に帰るようになりました。
だけど中学時代、突然「あなた」は現れました。

赤司君のようで、赤司君でない。

あなたは私達の曖昧な関係を、レンアイの形に押し込みました。
そして私はあなたと同じ高校に入学させられました。
もしかしたら私に拒否権は存在したのかもしれません。しかし私はできませんでした。
高校に入って変わった事と言えば、あなたが私を別家に招くようになったことです。
小さいながらも美しい庭園を持つ家屋です。
初めて訪れた日に「素敵なお家だね。」と感想を述べたら「そうか。ならいつかお前に贈ろう。」と微笑まれたので私があなたに別家証文を提出するような将来もあるのかもしれません。
しかし私はこの場所が嫌いになりました。
ここに来ると、頭を二度回したようなくらくらする気持ち悪さが発生するのです。

それを知ってか知らずか(いや、きっと解っているのでしょう)あなたは今日、一カ月ぶりに私をこの家に連れて来ました。
あなたはイライラしているようでした。
私を安心させるために作られる笑みはなく、会話もありません。
私の手を強引に引き、いつもの和室に連れ込みました。
屢次、ここには敷布団が敷かれています。
いつもの手順を踏まず、私はあなたに押し倒されます。明かな異変に私は動揺しました。


「一体どうしたの、今日は随分と……。」
「別に。少し疲れているだけだ。」


鞘があるようなないような言葉でした。
ただ、あなたの様子を見てもう何も言わないことにしました。

予想通りの荒々しい性交が終わり、私は疲労しうたた寝していました。
しばらくしてゴソゴソと服を着る物音がし、麩の閉会音の後、足音が遠ざかっていきました。
きっと水でも飲みに行ったのでしょう。
私は再び瞼を閉じましたが、いつの間にか睡魔は消えていました。代わりに冴えた脳が妙な言葉を創り出します。

『あの人の頚椎と頭蓋骨の隙間に穴を開けて、草いきれを吹き込んであげたい。』

『三角座りをして頭が膝に埋れると、彼の星が見える気がするんです。』

『月にいる男が地球にいる私を眺めるんです。そして、半日経ったら私を探しに来るんです。』

私はあなたとの性交後、大抵こうなります。
そして必ず布団から顔を出したくなくなります。
きっと新鮮な空気を吸うのが恐いのでしょう。
川にあるような、鶯が吸うような、お茶碗を覗いた時のような、あの空気のことです。
赤司君はこの空気を纏っていました。あなたは違う。

私はさらに体を丸め、手も、足も、頭も、布団の内側に詰め込みました。
暗く狭く柔らかい世界で静かに呼吸を繰り返し、あなたが戻るのを待ちます。赤司君が戻るのを待ちます。

数分の後、また麩が開く音がしました。
あの人は私が眠っているとでも思ったのでしょうか、差し足で畳を軋ませ、私の傍に静かに座り込みます。どことなく面妖でありました。


「起きているんだろう、弘美。」


頭の中でパチパチと火花が散り、反射で目が開きました。
布団越しに私の背中に彼の手が添えられます。
触れられたところからゆっくりと温もりが伝わってきますが、私は落ち着けません。小さな声で、しかしはっきりと赤司君は「すまない。」と、呟きました。
私の体がぴくりと硬直します。起きているよと伝えたくて前より体を縮めてみせました。
布団の丸い塊がモゾモゾと動いたのを見て、赤司君はくす、と少し笑いました。


「そろそろ顔を見せてくれないか?」


私はいつでもあなたたちに従います。
モゾモゾと、今度は布団から頭を出すと、赤司君と目が合いました。
赤司君は微笑んでいました。優しい目をしています。


「本当に酷い事をした。」


赤司君が情けなく微笑み、私の絡み合った髪の毛を一つ一つ丁寧に解きます。
あなたにグシャグシャにされたものです。
私は応えませんでした。
代わりに赤司君をじっと観察します。まるで犬にでもなった気分でした。

赤司君の白い手が私の頬を撫でたので、思わず彼の親指に噛み付きました。
ドキドキしながら赤司君に視線だけ寄越すと、変わらず穏やかな笑みを見せていました。
甘嚙みとでも思っているのかもしれません。
私はなんだか無性に悲しくなり、目を伏せて涙を零しました。
横になっているので、涙が顔を横切る様に流れます。


「大丈夫だ、大丈夫だから。」


赤司君は私の上体を起こし、優しく抱きしめて言いました。


「愛している、愛しているから。」


赤司君は泣いているのか微笑んでいるのか判らないような声色で言いました。
私は赤司君の言っていることが理解できませんでした。
赤司君自身、そんなに冷静でもないようでした。
あなたが疲れていると言ったのは本心だったのかもしれません。だから赤司君が出てこれた。
中学の頃、折節、赤司君の中のあなたが出現したように、今、あなたの中の赤司君が現れたのでした。

気付けば赤司君の身体は脱力し、私にもたれかかっていました。あ
なたと赤司君の身体にはよほど疲労が溜まっていたのでしょう。
赤司君は気を失ったように眠っていました。きっと目が覚めたら、私は赤司君ではなくあなたに会うのでしょう。

私はあなたたちの身体を布団に寝かせました。

寝息が途切れあなたが目を覚まします。
本を読んでいた私に顔を向け低い声で尋ねました。


「……どのくらい寝ていた。」


二時間くらいと答えると小さく溜め息をつき怠そうに起き上がりました。
服装を整え乱れた髪を手ぐしで直すと、私の読んでいる本に視線を寄越します。


「中村珠美子?聞いたことない作家だな。」
「マイナーだから。それに貴方、小説なんて読まないでしょう。」


あなたには小説を読む時間なんて与えられないことを私は知っています。
そんなあなたを見ると、憐れなような、悲しいような気持ちになります。
そしてこっそりと胸の奥で瞬きが生まれます。
あなたは私の本を取り上げパラパラとページを捲りました。
そしてあるページで手を止め、革命家の演説シーンが気に入ったということを私に教えてくれました。
私は妙なところに関心を持つなと思いました。私には何があなたの琴線に触れたのか解りません。
しかし私はあなたにも、赤司君にも念われたのです。


「読む?」


だから私はあなたに時間が与えられないことを知っているのです。


「ああ、借りよう。」


少し考えてあなたは言いました。
私の中でまたパチパチと火花が散ります。火花は眼球の奥で輝き、すぐに消えてしまいました。

私はあなたの頭の中にも、草いきれを吹き込んであげることに成功したのです。




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