短編ブック

□鳴かぬ蛍
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男の先生の温和な低音の声が続いて、私はというと、いつのまにか時間が過ぎている、なんてことにはなっていない。
それがとても残念だとも、嬉しいとも感じられた。
最近の私は何だかおかしい、と気付いたのは、授業中に考え込むようになって、黒板からは何も感じ取れなくて、なんとなく、右斜め前の古橋君が目に付くと肺の下あたりがぐっと詰まるような不快さを感じるようになってからだ。

彼はきっと何もしていない。ただ、私は授業中なのに無性に悲しくなり、行き詰まりのようなものを感じ、一人で涙を流しながら窓の外を見る。
この先生の授業ではほとんどの生徒が寝たり放心したりしているので、私が泣いているのを見つけてぎょっとする人はいない。
だから私はいつも教室の中で自由と不自由を感じてしまうのだ。

そうしてやはり、私はおかしい、と思いながら、それでもやはり、原因は古橋君にあるような気がするのだ。
もしくは、古橋君も私と同じようにおかしくて、たまに気付かれないように泣いていて、私を同類だと感じ取っているのではないのか、と思う。
私は、ただ共感して欲しいのだ。
この、私の、頭のおかしい気分と、常識を軸に生活しなければならないもどかしさ。
きっと私達は「滞りなく流れる宇宙」だとか「頭の、髪の、頭皮の、その中のもの」だとかいう、そういったものなんだと思う。
ラベルに付いた「主成分PVAL」「食不可」「要冷蔵」だとかとは真逆の、目に見えない、そういったものなんだと思う。
それは別によいのだけれど、間違った世界に発生した私達には生活が辛すぎる。
助けて古橋君。私を連れ出して。あなたならわかるでしょう、あなたも辛いんでしょう。

そうしてまた涙を流し、古橋君の背中にすがりつく想いでいると、ふっと、古橋君が横目で私を見た。
授業中であるにも関わらず目を赤くする私を一瞥すると、何もなかったように再び前を向く。
どきりとした。
そこでわかった気がした。
理解しようとしていないのに、勝手に私のこの脳みそは世界を理解し、目は見えないものを捉え、肌はぷつぷつと栗を生じる。
私は震え、そして確信した。彼もどこか他の所から来た人であることと、私と彼が救われる1つの手段を。



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