長編ブック

□Sparrows enter the sea and become clams
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午後6時。夕闇はだんだんと夜の暗さに変わる。やがてどっぷりと日が暮れた。
やんちゃなだけだった街はすっかり大人のネオンを輝かせる。
今日、私は警察に身元のわからない記憶喪失者として届出を出した。
福祉事務所に行き生活保護を受けたあと脳神経外科を受診したが異常がなかったのでこれからは精神科に通うこととなる。
長期間に渡って記憶が回復せず、身元も不明な場合には家庭裁判所に就籍許可申立を行い、晴れて仮名での戸籍を作ることができるのだ。
かなり面倒な方法だが、私は再来年に雄英高校を受験することにした。
物語の主人公はきっと雄英のヒーロー科にいるからだ。
私の年齢に関しては、まあ。気にしないことにした。
大変だるいことに雄英は79の超難関校(笑)だった。笑うしかない。
再来年の入試までの十七ヶ月間、勉強しながら通院し、戸籍を獲得しなければならない。

そのためにも。

バーの横の地下へと続く怪しい階段を、ホコリだとか落ち葉だとかを踏みしめながら下りる。
突き当たりにドアが見え、その奥からは喧騒が漏れていた。
すでに盛り上がっているようだ。
使い捨てマスクをぐいとかけ、丸メガネをかけ、ウィッグを整える。
ドアを開け中を覗くと30人近くの男たちがフェンスに囲まれた試合場の周りで騒いでおり、その声が嵐のように地下を揺らす。なるほど治安が悪い。

昨日の夜、インターネットで検索をかけ、ハンターハンターでいう天空闘技場のような地下闘技場の存在を見つけた。
そこは個性フル活用のファイトクラブ。
一部では賭博も行われているらしく、今回の私の目的は賭博金の取得と個性保有者との戦闘経験である。

若い女はやはり人目を集めるらしく、私に気づいた男たちがジロジロと視線を寄越すのが不愉快だ。
この箱に集まる人間はふたパターンに分けられるらしく、ファイトを観戦して賭博を楽しむ傍観者タイプと、個性を持て余して荒事に走ったファイタータイプが見受けられた。
そいつらは誰もが何らかの個性の持ち主であることは間違いないらしい。
髪が生き物のようにうごめく者、大きな一本角を持つ者、肩の筋肉が著しく膨張している者、そのほかにも身体的に特徴はないにしろポテンシャルのありそうな輩ばかりだ。
横目に見ながら、一人一人の特徴から能力を想定しながら対応を考えていると、酒の匂いがきそうなほど赤い顔をした初老の男性が声をかけて来た。


「お嬢さん、見学のつもりならファイトも体験してこいよ!」


男性が顎をしゃくってリングの方を指すと、丁度そっちから歓声が聞こえた。1on1で勝敗がついたみたいだ。


「そうですね、丁度試合が終わったみたいですし。出場の方法を教えてもらえませんか?」


冷やかしに軽く返すと彼は驚いて急にしゃっくりを起こしだし使い物にならなかった。
これだから酔っ払いは。私もお酒好きだけども。

今勝った男性はいわゆる強化系のような能力だったのでこの世界での初戦にはもってこいだ。
挙手をして戦いたいと申し出ると周囲に茶化された。隠しもしないで笑い声が聞こえてくる。
一々腹も立たないがいい気もしないので見返してやろうと思った。
勝者の男性はリング上から私を見下ろし戦えるのか問うてきたので頷いてみせた。
男性は未だリング上に横たわる気絶しかけの敗者を放り出し私をフェンスの内側へ入れてくれた。この人とはうまい酒が飲めそうだ。

突然レフェリーらしき人が現れ名前を確認してきたので、とっさに昨日のネカフェの女性の名前を答えた。
パソコンの履歴に残っていたのを見つけたのだ。
「和心」と書いて「あこ」というらしい。


「和心は初めてのファイトだから、まず簡単にルールを説明しよう。武器の持ち込みは禁止。勝敗は、場外になるか降参した方が負けだよ。あとのことは出場者同士で決められる。それじゃあ、俺の合図で開始だからね。」


若いレフェリーは私に目で合図を送ってくれた。
すぐに試合を始めるようだ。


「乱波VS和心!ファイッ!」


乱波と呼ばれた男性は猪突猛進でまさに猪のように向かってきた。
獣のように低い体制で脇を狙って来る。
……こいつ能力者なら絶対強化系だ。
しかし女子供相手でもそれなりに本気を出してくる姿勢は素直に嬉しかったので正面から迎え討つ。
右腕を振り上げて殴ると見せかけ、そのまま乱波の腕を掴み左足で頭を蹴りつけた。
念での攻撃は彼の精孔を強制的に開いてしまうことになるのでできない。
打撃を受けて左に倒れこむ乱波を左足でサッカーボールのように蹴り飛ばした。
乱波の体は面白いほど従順に衝撃を受け、うるさくフェンスを打ち破り奥の壁に食い込んだ。あっけないの一言である。
まあ彼がどれだけファイトを繰り返していようか私とは経験値の差が大きすぎるのだ。
私は無個性ではあるが、念能力者というアドバンテージや実践経験の多さを考えると戦闘という点ではこちらの世界で十分やっていけそうだ。
乱波はパラパラと落ちる壁の破片と粉塵を受けながら立ち上がろうとし、口の中を切ったのか血を吐きながらふらついた。ショックと痛みで息が詰まっている。
その瞬間、小さいためよく響く箱に数十人の歓声が上がった。
わあわあとうるさいそれが乱波の敗北感を煽ったのか彼はフラフラと立ち上がった。腕をだらりと脱力させたまま、私を呼ぶ。


「お前……、明日も来い。」


そう言い残して開けっ放しのドアの向こうに消えた。
誰が行くかバーカ!である。こういう相手は勝つまで挑んで来るからめんどくさいんだもん!

その後は挑戦して来る男たちを張り倒しながら楽々勝利を勝ち取り(白状すると洗脳系のやつにボコボコにされたりもした)、ギャンブラーたちから金を巻き上げながら華々しく10以上のファイトを終えたのだった。
15万を超えるファイトマネーが得られた。これでしばらくは正規にネカフェで寝泊まりできる。
身バレを防ぐため、出口で絶をしてから暗い路地裏を通りながら変装を解きネカフェにたどり着いた。


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