長編ブック

□Rome was not built in a day
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オールマイトとの修行中……いつものように必死にゴミを運ぶ。
冬にも関わらず止まることのない汗を払うように頭を振る。ふいと見た海岸には、海に浸かる女の人がいた。

ーー夕日が海に落ちる中、浜辺に立ちすくむその人は逆光で表情が見えない。
影に塗りつぶされたその顔はじっとこちらを見つめていた。



……




急な冷たさに思わず立ち上がった。
自身の体から落ちていく水音と共に理解したのは、私が海に突っ立っていることだった。
海……?うみ……うちから一番近い海岸は電車で1時間以上かかったはずだ。
私はどうしてこんなところにいるんだろう。嫌な予感がする。これは夢じゃない。
思い出すのは消えかかる体と、朝食のにおい、そして唇を強く結んで唾を飲む私と、身を固くして名前を呼ぶクラピカ。

ーー弘美さん

初めて呼ばれた名前は彼の口から思いのほか自然にこぼれ落ち、もしかして内心ではよく呼んでいたのかなどと期待させた。
彼の緊張した面持ちと焦ったように呼ぶ強ばった声がフラッシュバックするようだ。

人の気配を感じて辺りを見渡すと、浜辺で二人の人物がこちらを伺っていた。
私は状況確認に勤しんだ。
自分の身の安全を裏付けられてから、現地の人間から情報を得ようと二人に近付いた。


「君!大丈夫か!このクソ寒い中海に浸かってたら風邪をひいてしまうぞ!」


驚いたことに先に声をかけてきたのは向こうだった。
日本語だ。
海にひとりでずぶ濡れの女なんて私だったら関わりたくない。
彼らはどういう組み合わせか、ひとりは背ばかりが高いガリガリの大男、もうひとりは情けなさそうに(けれど優しそうに)眉を垂らす少年だった。
話が通じる相手で良かったと胸をなで下ろす。

出来るだけ不審感を持たれないように、びっしょり濡れた長い前髪を耳にかけて顔を出した。
弱者の立場を示すために困り顔をつくる。


「すみません……気がついたら溺れていたんですがここはどこでしょうか……?」


遭難者の体で尋ねるとふたりは呆気にとられて口を開いた。ふたりは八木と緑谷というらしかった。

八木(大男のほう)は緑谷を帰らせ私を警察に連れて行ったが、警察からは受け取り拒否をされた。
犬猫なら落とし物として預かりができるが、人間となると、蒸発した人がそこら中にいるため管理しきれないそうだ。
私は念能力ーー纒の影響でかなり若く見られているらしかった。元々身長が高くないことも理由のひとつだろう。
私は「大丈夫」の一点張りでなんとか八木と警官から離れた。

今は、どこに行ったらいいだろうと考えてお決まりのように浮かんだ高架下にひとりでいる。
現状を把握し対処するのだ。生きるため。
まず、私はおそらく異世界に来たのだということがわかった。
クラピカといたとき朝だったのに対し、こちらに来たときは海の中でしかも夕方だった。
それと、警官に聞かれた「君の個性は?」の言葉、そこから発展した会話。
個性がわからない私に披露してくれた警官の個性は体温を自在に上げ下げできるというものだった(彼の体温変化は20秒くらいかかり、必然的に警官と私が無言で手を繋いだままいるというシュールな空間が出来上がった)。
この世界では念能力の代わりとなる個性なるものが存在するようだ。
と、なると、漫画の世界に転生した経験のある私は自然とここが他の物語の世界なのだと裏付けた。
主人公はどこにいるのだろうか。重要なことである。
そして、いま必要なもの。
いち、情報。に、金。さん、戸籍。
まずは人並みな生活ができるくらいのものを揃えよう。
絶で気配を消してその辺のアパレルショップから適当なハイネックニットとジーンズとスニーカーを頂戴した。
一人だけいた女性店員は背中に小さな羽を持っていて、ファッションかと思いきや彼女の体の一部らしかった。
紺のキャップを深く被り監視カメラの死角を通りながら店を後にした。

絶に似た個性の持ち主がいる可能性も考えて、法律違反がされにくいような社会になっているに違いない。
できるだけ変装しておこう。
おなじみのディスカウントストアを見つけたので売り物の旅行カバンに、これまた売り物の食料、水、腕時計、ウェーブのついた茶髪のウィッグ、丸メガネ、替えの下着とジャージを詰めて盗った。
盗むのは好きではないがありがたいことに変わりはない。
店の前で一礼してから去った。
さて、夜も更けた。
電柱の上からの眺めで見つけ出したのはネカフェだ。
忍び込んでシャワーを借りる。
ジャージに着替えて、ここに泊まりそうな人を探す。
ブースの上からある一室を覗くと、化粧をしたままの女性が髪を乱してぐっすり寝ていた。この人にしよう。この人は終電を逃したようで、手元には華奢なバッグが転がっていた。
素足は指先が赤くなっていて靴擦れを思わせた。
なんか可哀想な人だなぁ。
疲れと乾燥で化粧の浮いた顔をしげしげと眺めてから絶の状態のまま彼女のブースのパソコンを起動させる。


……




この物語の主人公を探さなければならない。

それなりの生き方だった私が、クラピカと繋がりを持ったあとトリップした。
あれ以上クラピカと関わっていたら原作が変わっていたのかもしれない。秩序を守るためにハンターハンターの世界は私を飛ばした、と。
推測に過ぎないが、この仮説が正しいなら私はこの世界の主人公と関われば元の世界に戻れるということになる。原作壊しを進んで行うのだ。
また、主人公は情報も、元の世界に戻る機会もたくさん呼び込むため、仮説が間違っているにしろ私が元の世界に戻るためには主人公に付きまとうことが糸口となるだろう。

早朝5時。空が白んできた。そろそろ始発も走り出すだろうし、後ろで眠る彼女が起き出す確率が上がってくる。
私はインターネットで得た情報に満足し、荷物を持って爽やかな朝の街に出たのだった。







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