short

□トゥルー・エンド
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バタンと扉が閉まる音。安いアパートの階段をガンガン鳴らしながら遠ざかっていくヒールの悲鳴をBGMに、私と彼はまっすぐ見詰め合った。
目を逸らさないとはなかなか度胸のあるやつだ。
なんて、寝癖でぼさぼさの頭を見ながら思う。沈黙は、たぶん数秒間。

「うん。じゃあまあ、おしまいってことで」

笑うでもなく泣くでもなく、私が零した最初のひとことは、抑揚のない棒読みのものだった。


よくもまあ人の家をこんなに散らかせたものだ。
そんなことを考えながら、床に散らばったタオルやシャツを拾い上げる。
汗やら何やらの生臭いにおい、喉に張り付くような濃厚な香水の香りが、ぶわりと広がって部屋を侵食する。
さすがに耐えきれないので、私はキッチンで換気扇のスイッチを入れた。鈍い音をさせながら部屋の空気が変わっていく。

洗濯物を選別しつつ振り返ると、彼がのそのそ着替えているのが目に入る。
その眼前に見覚えのない女物の上着をかかげ、変わらない平坦さで問いかけた。

「これ、あんた届ける?」

ぱちりと瞬き。
何のことか分からなかったらしい彼は、暫く寝ぼけ眼でそれを見た後やっと合点がいったのか、頭をがりがり掻きながら答えた。

「あー……、連絡先知らね」
「そ。じゃあ捨てるわ」

簡潔に返して色鮮やかな布きれをゴミ箱に放り込む。
またしても粘つく香りが強くして、この臭いで始まって終われるなんてすごいもんだ、と素直に思った。私だったら御免こうむる。
はて。しかしそうすると、先ほど終わった私と彼の始まりはなんだっただろうか? 
残りを洗濯機に押し込みながら、記憶の糸を曖昧にたぐった。

一か月と少し、まあ多く見積もってもせいぜいそれくらい前のことだろう。
彼が私に「好きだ」と言ったのだ。そして私は「そりゃどうも」と答えた。
そう、これが始まりだ。
うんうんと頷きながらボタンを押す。ざばざば。機械に水がたまっていく。

そしてまあ、何だかんだ。「付き合って」と彼に請われて「うんいいよ」と私が言って、こんな風にどっちかの家に来るくらいの距離間が形成されたのだ。
どちらかの家での非常識が許される程だとは、少なくとも私は思っていなかったが。
目の前で水に浸った布が回り始める。ぱたんとフタを閉めて踵を返した。

それからそれから――。

これはびっくり。
回想終了だ。
なんて酷いのかしら! こんな薄っぺらい思い出しかないなんて! と一人脳内で悲劇のヒロインを真似てみる。
これも見事な棒読みだった。まあこんな終わり方になれば、むしろ残るものがないのは幸いだろう。
うんうんとまた頷く。視線を上げると、カバンを担いだ彼と目が合った。
まっすぐ見つめあって、やっぱり沈黙は数秒。

「じゃ、俺帰るから」
「うん。バイバイ」

軽く手を振って言う。
途端、彼が不機嫌そうに眉を寄せた。まるで私を責めてるみたいだ。
なんですその眼、悪いのはそっちのはずだと思う。ここは私の家だったのだし、いつ帰ってきても不思議じゃない。
そこで行動して隠蔽どころか片付けもなし、さらに知らない女性当人と鉢合わせのフルコンボ。
うん、彼が悪い。
満場一致で有罪である。

しかし、目の前の被告人は相変わらずの不満顔だ。判決くらいは下した方がいいかもしれない。
よし。

「愛してるって言ったくせに」

私を選んだんじゃなかったの。
零したセリフはやはり棒読みでしかなかった。演技力のなさをひしひしと感じるなぁと思うと同時に、ぶはっと彼が噴出した。
乾いたような、無理やりなような、一周回って自然なような笑い方だった。

ガチャリとドアを開いて振り返る。その顔に浮かんだ苦笑が意外と様になっていた。
ゆっくり、彼が口を開く。

「お前は俺を選んでたわけ?」
「……え?」

バタンと扉の閉まる音。
安いアパートの階段を鳴らしながら、彼がどこかへ遠ざかっていく。
部屋の中はまだ汚くて、自分と関係のない臭いが、私を異質だというかのように渦巻いていた。

もしかしたら、これらすべてが正しいのかもしれないと、棒読みのナレーターが呟いた。







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