shortDREAM

□鱗を残した魚
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俺がまだ小さい頃、小学校に本の読み聞かせをする人が絵本を抱えて来たことがあった。
話したんは女子受けしそうな人魚姫。
子供ながら真剣に聞いていた。

俺が聞いた人魚姫は、やっぱり人間を好きになって、
結ばれることなく
相手を殺さずに泡になった、という感じの。

子供やったから真剣にその話に聴き入った気がする。
今考えてもただのお伽話でしかあらへんのに。


椿は、人魚に違いない。
子供の突飛抜けた考えには本当に驚かされるが
俺自身、そんな阿呆なことをどこまでも深く信じてた訳や。


「椿は人魚なんやろ?
いつか泡になってまうん?
それとも人魚の国へ帰るんか?」


今思い出しても恥ずかしい。
けど必死やった。
椿はぽかんとした顔をしていたが、すぐにいつもみたいに笑いながら俺の頭を軽く撫でた。


「大丈夫ですよ、竜士様」


椿の声はいつも穏やかで、優しかった。
その手には勿論鱗なんてあらへんかったし、足だって2本伸びていた。


「もし泡になりそうなら、竜士様が助けてください」


にっこりと笑顔で、案を持ち掛けて
7歳くらいの俺に視線を合わせる仕草が脳裏に焼き付いている。
その問い掛けに俺はすぐに頷いた。
どんな約束よりも、その約束は大きくて俺にとって絶対。
何より守れる、それが嬉しかったんやろか。


鱗もひれも、尾も無かった。
そこに居た彼女は紛れも無く人間で、俺が始めて恋愛に近い感情を抱いた人。
あの人間ばなれした白い肌から感じた生気は
今でも妙に覚えているのだ。





「椿」


蓮の花を添えた。
すぐに枯れるやろうが、椿は蓮が好きやから。


「明日東京に行く」


全寮制の学校は、東京にある。
自分で決めたことに心残りは無い。
疑問があるとしたら、よく志摩はあの学校に受かったもんや。


「当分帰ってこられへんけど
おかんがお前の分の部屋とかとってあるらしいから」


かさりと、手紙を置く。


死体も骨も無い椿の家。
山の中に流れる小川。
魚が遠くではねている。


「もう、行くわ」


どこに行ったのかわからない。
生きてるのか死んでるのかわからない。
6年前の最後の笑顔は今でも頭を巡るのに。


今でも、一人思う時がある。

椿は人魚で泡になったんだと。
帰ってしまったのだと。

あの人魚は、一体誰に恋をして
その恋に敗れたのか。
どうして、男を殺してしまわなかったのか。


「裏切られたんやぞ・・・」


呟きは葉が擦れる音に消えていく。

ああどうしようもなく愛おしい。
最後まで人魚は純粋だった。
愛した人間を殺さずに自分を犠牲にした。
愛していたのに。
愛していたから。


「好きやった」


川を見ながらそう言った。
太陽の光に乱反射する輝きの中に、俺は鱗を期待する。
泡のように蒸発した彼女が
あの頃のように悪戯っぽく水面から顔を覗かせるような気がして。

小魚が泳いでいるのを見て
俺は静かに背中を向けた。
砂利がひしめく音を聞きながら足を動かす。


守れなかった約束が胸をえぐる。
この痛みがあの人魚が残した一片の鱗なんやろうか。









鱗を残した魚
(薄く鋭い硝子の鱗)







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