shortDREAM

□荒れる、
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唇が切れている。
気づいたのは数時間前だった。


人間意識すれば触らずにはいられないもので
私はつい、
繰り返し切れてるところを舌でなぞった。

ぴりぴりする痛みと
唇が潤った感覚に満足して舌をしまうのだが、
またしばらくすると唇を舐める。

これじゃ、荒れて当たり前じゃないか。

私は手鏡代わりに携帯のインカメラを起動して唇を見遣る。
縦に、線を引くように割れたそこからは
舐めてるせいで塞がらず
まだ微かに血を滲ませていた。


「困ったな」


別段、困った訳ではない。
ただ唇が切れただけだ。
困った困ってないは私の口癖にすぎないのだけど、
ぽろりと零れた言葉に同調するように傷をいじる。

リップは、ないことは無い。
引き出しか鞄を漁れば出てくるはずだ。
数年前に購入したままの
カピカピになって異臭を放つそれが。


「流石に、ね」


無頓着、ずぼらな私でも
流石にそれを唇につける気にはなれなかった。
黄色く変色したリップは
痛んでいるのか腐っているのか。


「椿先生、」


ガタンガタンと軋んだ音を立てるのは建て付けの悪い扉。
急激な寒さで木材が、寒い寒いと身を寄せ合って悲鳴をあげている。

無駄に目立つトサカが目についた。
この高校には、特に校則がないのだろうか。

気合いで染められた金髪のトサカと大量のピアスをひっさげ
今日も少年、勝呂くんは元気である。


「頼まれとった資料、運んどきました」

「ありがと、助かるわー」


大量のプリントが風に舞い踊る姿を以前彼に見られて、
今日勝呂くんは自身から運ぶのを申し出てくれた。
私としても手間が省けたし、拾う労力もいらない。
時間短縮。
ありがたいことこの上無い訳だ。


にっ、と笑ってみようとすれば
突っ張るみたいに痛みが走って
ぎこちない笑顔になる。
ひきつった頬筋が無理な表情を生み出しているのだ。


「・・・なんちゅう顔、」

「ちょっと切れててさ、唇
痛くて」

「リップ持っとらんのですか」

「あるよ
云年前のが」

「絶対に使われへん」


トサカを目で追った。
ユラユラ、ゆらゆら。
どこからか風が入っているらしい。
やけに寒く、口の渇きが早いはずである。


「買うたらええのに」

「めんどいんだよ」


苦笑い混じりに返せば、
勝呂くんは呆れたというか
まぁそんな表情をした。
生徒にこんな顔をさせるなんて、中々私も駄目っぷりが盛んな教師だ。


「いつか治るしね」


任務に比べりゃ、ずぅっとましな傷。
むしろ蚊にさされた程の物に相違無い。
その内自然と治るものを
大怪我でもあるまいしわたわたするつもりも無かった。


「女やのに気にならへんのですか」

「気にならないって言ったら嘘だけど、死ぬような怪我じゃないからね」


ちくちくするのは気になるし、
一応女だから荒れてたらショックだけど
お洒落云々、言ってる暇も私には無いのだ。

よっせと椅子から重たい腰を浮かせる。
尻がでかいんじゃないぞ決して。

そんな会話をしながらも
私はまた唇を舐めた。
あぁ、悪循環。


「先生」


伏せ目がちだって目を
はたり、上に向けた。
成長期の男子ってすごいなぁ
こんなにも大きくなるんだ。

唇に、何かが当たった。
頬に固定するみたいに添えられた手と
目の前にある、教え子の顔。
ふわりと鼻孔をつく、

メンソールの匂い。


紅を引く感じで唇に塗られるものは、
クリーム感溢れるリップに違いない。
傷口にも重ね塗られて少しだけ痛みが走った。


「リップ持ってるんだね」

「・・・悪いか」

「全然」


結構、そういうことに気を使ってるなんて
意外や意外。

勝呂くんとの距離が一定に戻り、
潤った自分の唇を確認して
やっぱ買っとくべきか、と自己解決する。


「あ、」


ふと漏らした自分の声に反応するように、
勝呂くんがなん?、と振り向いた。

私はへらっと口を緩めて
締まり無い顔を向けて笑う。


「間接ちゅーだね」


なんてことない顔をしてたのに
しばらく時間が空いてから
勝呂くんの表情と色が変化する。
まるでカメレオンみたいにじわじわと。


「っ!?、なっんっ」

「かーわいー」

「〜っ!!」


顔を真っ赤にして、目を見張って、
ぷるぷるする勝呂くんをしばらく眺めていた。

「失礼しましたっ!!」

っと大声で扉を開け放したまま
私を残して一人出ていってしまう。


「可愛いなぁ」


クスクスと堪えもせずに笑いながら私は移動の準備を始める。

不意に、感じるはずもないのに
唇に温かな感触がしたような気がして
指先が唇に吸い寄せられるように寄っていく。

唇を舐める癖の次は
癖に触れる癖。


「・・・困ったなぁ」


恥ずかしくて、一人
照れ隠しのように呟いた。







荒れる、
(唇と心、なんて)





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