蒼海の王に花束を。

□観察3日目 午後
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「恨めしい?
…羨ましい、じゃなくて?」

「羨ましいを越えて恨めしい」

低く小さくなる嵐の声。
羨望は嫉妬に姿を変える。
けれど嵐のその声は、嫉妬よりも悔恨の色の方が強かった。

「…私の自業自得なのに、私はお前に八つ当たりしたんだと思う……多分…」

片手を洗面台から上げて、嵐の手に触れる。
目を覆っていたタオルごと外して見れば、超至近距離で嵐と視線が絡み合う。
目元は赤いまま、睫毛が震える。

「そうか…それじゃあ俺は嵐にとって甘えられる対象になれたってことだね」

「………え…?」

伏せ勝ちだった目が驚いて瞬きを繰り返す。
額を離して見れば驚いたままの瞳が、俺を真っ直ぐ見つめてくる。
こっちの目の方が嵐らしくて、好きかもしれない。

「八つ当たりだと、思うんだが…」

嵐の眉尻が下がって首が傾く。
わけがわからないって言う顔。
しょうがないから、教えてあげようか。

「八つ当たりって、甘えさせてくれる相手にしか出来ないものなんだよね。
嵐みたいにひねくれた性格の人間は、そう言う相手を自分できっぱり分別するから……俺は、八つ当たりしても見捨てないで甘えさせてくれる人間だって、思ってくれてるんだよ……ふふっ…嬉しいなぁ」

なーんて、本当はただ俺がそうあって欲しいって言う希望なんだけどね。
だって、本当のところは嵐自身にしかわからないことだ。
嵐の瞬きは止まらない。

「甘え、た……精市に…?」

「甘え方がすごくひねくれてるけどね。
普通に甘えてくれたらもっと嬉しいけど、それはまたの機会に残しておくよ」

わざと笑って見せると嵐の目元が赤みを増して、タオルで隠されて俯いてしまう。

「そんなこと、出来るかっ」

精一杯の反論は、恥ずかしさのあまりか声が震えていて。
再び俯く顔。
目の前には嵐の綺麗な額。
頭も撫でて貰ってない。

「精市…?」

結局嵐が俺を羨ましいって言う理由もわからないまま。
気になるけど今は追及しない。
偉いよね、褒めて欲しいくらいだ。
そう言うわけだから、ご褒美を貰っても罰は当たらないと思う。
半分誘われるように、もう半分は自分の意思で。
唇で嵐の額に触れて。
小さな音を立てて、離れる。

「…精、い…ち……?」

いつの間にかタオルが外れていて。
そう言えば何度か呼ばれていたような気がしなくもないけれど。
真っ黒な瞳が見上げてくる。
これだけの至近距離でも虹彩と瞳孔の境目がわからない。
黒曜石のように艶のある黒い瞳。

「………精市…?」

名前を呼ばれて我に返る。
目だけを見るのでなく、顔全体、嵐の表情を見ると何処か不思議がっていて。
今のは所謂でこちゅーと言うやつであって。
まさか、嵐がでこちゅーで赤くならないなんて。
逆に俺の方が反応に困ってしまう。

「嵐…えっと……素麺、好き?」

「…好き」

「ははっ、それは良かった」

嵐の主語の無い告白は心臓に悪くて。
出来る限りの平静を装いながら嵐の手を取って、俺は洗面所を後にした。







涙の理由の最奥、嵐が俺を羨望する理由は、結局わからず終いだった。
あの時、嵐が呼ぶ声に我に返っていなかったらと思うと恐怖半分安堵半分、だけど、ちょっと残念だったのは秘密。

(あ、お兄ちゃん…と、嵐お姉さん)
(買い物袋なんて持って…何処行くの?)
(えーっと…その…)
(俺が悪いんだ、精市…)
(弦一郎?)
(素麺が無駄になってしまってな…)
((…え……?))



NEXT……2 COMING SOON


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