蒼海の王に花束を。

□観察3日目 午後
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滴る水を肩にかけたタオルで拭いて現れた顔は、さっき見た顔よりちょっとだけスッキリしていて、それでも泣き腫らした目許は赤いままだった。

「取り敢えず、昼飯の手伝いをしようと思って降りて来たんだが…」

今行ったら、多分弦一郎に怒られるんじゃないかな…他人の家で泣くとはたるんどる、的な。
目尻を触って鏡の自分と睨み合う嵐の顔はまだ泣いた後だとわかる顔で。

「お昼は美市が作ってるから、部屋で待ってて大丈夫だよ?」

「しかし、だな…」

腫れた目。
泣き腫らしたその目を躊躇いもなくゴシゴシ擦り始めるから、俺が慌ててしまう。
結局手首を掴んで強引に止める形になって、思わず溜め息が溢れ落ちた。

「擦ったって腫れは引かないよ?
…取り敢えず、冷やそうか」

「ん…」

目の前で嵐がこくりと頷く。
驚くほどの素直さで。
赤く染まる目元は伏せ目勝ちで、まるで憂いを帯びたように睫毛が揺れる。
これは、危ない…非常に危ない。
嵐の真っ直ぐな視線も訴えてくるものがあったけれど、これはそれ以上に効果抜群と言うか殺傷力が半端じゃない…主に、俺の理性に対して。
このままだと俺がどうにかなってしまいそうで、嵐の手を放して別のタオルを取り出す。
水で濡らして、垂れ落ちない程度に少し緩めに絞ると、形を整えて嵐の目を覆ってしまう。
理性崩壊の危機は、なんとか免れた。

「……見えない」

「当然だよ」

「…そうか」

会話が途切れてしまう。
俺にタオルで目を押さえられたまま大人しく動かなくなる嵐。

「ねぇ、嵐……俺の頭を撫でるの、そんなに嫌だった?」

悪戯心と理性との板挟み。
悪戯するかしないか、悪戯するならどんな悪戯をするか。
そんな考えが頭の中を超高速で駆け巡る。

「嫌というわけでは、なかったと思う…」

答えは曖昧で。
嵐が自分の手でタオルを押さえて、俺の手が自由になる。
悪戯心とその奥に渦巻く黒い何かが、理性に勝利した瞬間だった。

「…それなら、撫でて欲しいな…」

洗面台に嵐の体を押さえつけるようにして、俺がその縁へ両手をついてしまえば退路は無い。
そっと嵐の耳許に、わざと低く囁く。

「……っ!?」

面白いくらいに嵐の肩が跳ねて、逃げるように横に動くけれど、左右には俺の腕。
退路を絶たれた嵐が背を反る。
けれど後ろは鏡で、ついでに背を反ったままの態勢って言うのは、意外と腹筋に来るんだよね。

「ちょっ……離、れっ」

筋肉の限界を訴えるように震える体につられて、声も震えて途切れ途切れになっている。
嵐は律儀なのか、それとも俺を見たくないからなのか、タオルを外さない。

「ねぇ、嵐……撫でて…?」

腹筋が耐えきれなかったらしい嵐は普通の態勢に戻る。
タオルで目が隠れている今なら何でも出来る気がする。
多分こんな機会は今後無いだろうから、取り敢えず額を合わせてみる。
俺も嵐も前髪が真ん中分けだから、額同士が触れて。
触れた瞬間、さっきと同じように体が跳ねたけれど、緊張はすぐ消える。
同情なんて要らない。
慰めの言葉も要らない。
もう乗り越えた後だし、終わったことだ。

「………し、ぃ…」

「えっ?」

考えに浸っていたら嵐の小さな声を聞き逃してしまった。
目の前でタオルを押さえていた手が、タオルを握りしめるのが見えて。










「お前が……恨めしい…」










嵐は、ポツリと、そう呟いた。


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