蒼海の王に花束を。
□観察3日目 午後
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観察3日目 午後
1 理由
取り敢えず、どうすることも出来なくて美市が淹れたお茶を飲む。
聞きなれた足音が一つ二階から降りてくる。
「取り敢えず、ご飯作るね…」
廊下に続くドアが開いて、沈んだ美市が入ってきて。
そのままキッチンへいってしまう。
「美市……嵐は?」
「私の部屋」
「………」
マグカップで揺れる濃い琥珀色の紅茶。
さっき見た嵐の涙が、あまりに衝撃的過ぎて、水面に映る幻。
あの涙の意味は何だったのだろう。
俺の頭を撫でることがそんなに嫌だったのだろうか。
それとも、最後にふざけたせい?
わからない。
「俺が行って来「ダメ!」」
目の前で弦一郎が立ち上がる。
が、美市の声にその体が固まる。
「しかしだな、世話になるのに何もせずにいるとはたるん「お兄ちゃんのせいだからいいの!!」」
美市のツッコミには敵わないらしい。
大人しくソファに戻る弦一郎が、嵐にツッコミを入れられた後みたいに悄気てるから、なんか面白い。
でも、それより今はあの涙の理由と原因。
美市は、俺のせいだと言った。
「……やっぱり俺?」
「違ったら逆にビックリだよ、私…」
「……やっぱり…?」
「うん」
清々しいまでの断言に、ちょっとヘコむ。
俺、何かしたかなぁ。
「んー…素麺で良い?
…たしか…この辺に、残ってたはず…」
開いた戸棚を漁りながら美市が行ってくるメニューは、本来なら真夏に食べるもの。
けど、俺も弦一郎も、文句は言わない。
俺としては、嵐の手料理が食べられるかなって期待してたから、残念だけど。
理由はわからないけど、俺が泣かせてしまったみたいだし、無理は言えないだろう。
水を出す音とシンクが水を弾く音が響く。
その音に非常に控えめなノックが混ざった。
「すまん…洗面所を、借りたいんだが…」
扉越しに聞こえてきたのは、非常に弱い嵐の声だった。
美市も弦一郎も、水の音で聞こえなかったようで。
「ちょっと、トイレ」
マグカップを置いてソファから立ち上がり、扉を開ける。
すり抜けるように出て背中を向けたまま閉めれば、嵐が立っていた。
「…っ、精市」
「洗面所はこっち」
擦ったんだろう、目元が赤くなって、腫れている。
声もすごい鼻声だ。
洗面所があるのは風呂場で、手を掴んで歩き出す。
振り払われないかな、って少し怖かったけれど、嵐は俺に引かれて歩く。
暫く廊下を歩いて、一枚の扉を開くと見慣れたいつもの洗面所。
「これ使っていいから…」
「…ありがとう」
「うん」
俯き勝ちな嵐の顔にタオルを差し出す。
小さく頷いてタオルを受け取ると、嵐はそれを肩にかけて。
左手は包帯巻きだから、右手だけで顔を洗う。
「……悪い、な…迷惑かけた」
暫く洗い続けて、上がる顔。
黒い癖っ毛から、睫毛から、頬から、顎から、水滴をいくつも滴らせたまま、嵐が呟いた。
「…上で、美市に言われて気付いた。
泣いた自覚も無くてな…おかしな話だ」
シンクの縁に腕を突いて、鏡の中の自分を見つめたまま話す嵐が苦い笑いを浮かべる。
俺には、鏡の中の嵐を見つめることしか出来なかった。
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