蒼海の王に花束を。

□観察2日目
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結局、銀が戻ってきたのは三限目が始まるチャイムと同時だった。
教師はまだ来ていないから遅刻ではないけれど、一時間も何処に行っていたのだろうと気になってよく見てみると、出ていく前に握り締めていた左手に、白い包帯。

何事も無かったようにロッカーから鞄を取り出し、隣に戻ってきて着席する。

「左手、どうしたの?」

「虫に刺された」

「虫なんていなかったよね」

疑問形ではなく確定形で、確信を突いてみる。
鞄を開いて中を睨んでいた目が、そのままの鋭さで俺に向く。

「S・Yと言う非常にデカイ虫がくっついていたのは、私の気のせいか?」

「S・Yって………あ、俺?
あははっ、虫は俺なの?
くくっ…銀さん、流石にそれは酷……銀さん?」

さっきから、視界の端に視線を感じる。
俺に向けられたものではなく、銀への痛いくらいの視線。
不意に鋭いだけだった銀の視線に真剣味が帯びて。
笑いを収めると、銀の口が小さく動く。

「お前は、私の教材に触れるな」

「何故?」

「とにかく、触れるな」

「だから、何故?」

「理由などどうでもいいから、触れるな」

押し問答。
“触れるな”の一点張りで理由を言おうとしないから、逆に気になる。
非常に気になる。

「………」

「………」

俺も銀も無言で、ほとんど睨み合うように視線を絡めたまま硬直状態。
教壇側のドアが開く音で二人同時に視線を外すまでそれは続いた。
遅れて入ってきた来た教師はこの組の担任で、その担任の言い訳が5分くらい続き、結局二限の古典が始まったのは始業のチャイムから10分経った頃だった。

古典は何事もなく進み…いや、何事も無い授業が普通なんだけど。
クラスのほぼ全員で長い漢文を一文ずつ読んでみたり、漢字の意味を辞書で調べてみたり、そんな授業。

教師が書いていく訳やポイントをノートに書き込みながらチラと隣を見れば、きちんと資料集を開いて教科書に書き込んでいく銀。
真新しい資料集だとわかるそれは、既に蛍光ペンで様々なところがチェックされている。
資料集とは逆に使い込まれている漢和辞典には青い付箋が少しだけ飛び出していて、小さな字で漢字が書かれている。
索引を見ずとも開けるようにしている様で、教師が言う漢字を調べればその場で付箋が増え、前の学校の授業と重なったらしいものは付箋に赤丸がつく。
作業が非常に細かい。

「これが“矛盾”の語源になった逸話だ…とまぁ、そう言うことで今日の授業は終了な」

遅れて始まった授業が、チャイムと同時に締め括られる。

「昼前に体育とか大変だな、お前達…まぁ、頑張れよ」

終業の挨拶もせず、他人事な言葉を残して出ていく担任を見送って、教室は一気にざわめきだす。
次は午前中最後の授業。
担任が言い残した通り体育。







ざわめく教室に対して黙り込み、左手を見つめて握ったり開いたりを繰り返す銀。
痛いほどの視線の矛先になっていたことが気になったけど、上げられた顔は俺を不思議そうに見つめるだけだった。

(次の体育は…体育館、か?)
(うん、一緒に行こうよ)
(……昨日、体育館に案内しなかったのは…この為か?)
(ははっ、深読みし過ぎだよ)
(…………)
(ほら、置いていくよ?)
(お前…本当にイイキャラしてるな…)



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