蒼海の王に花束を。

□観察2日目
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観察2日目






1 矛先






部活を引退し、登校時間も普通の生徒よりちょっとだけ早いくらいの時間になった。
外部受験と言うことで、早くから登校し勉強する人間もいるにはいるが、一クラスに一人二人居るか居ないかくらいの少なさ。
ついでに言えば、俺のクラスには、今まで外部受験希望の人間は居なかった。
だから、教室には俺がいつも一番乗りしていた。
昨日までは。

「………」

教室には、既に人影。
銀が着席していた。
イヤホンで耳を塞いでいるせいか、俺に気付くことはなく、教科書に何かを書き込んでいる。
歩み寄ってみると、それは古典の教科書で、訳がびっしり。
細い赤ペンで書かれた文字は小さい文字でも潰れずに読み取れる。
時折止まっては、動き出すペンが文字を書き込んでいく。
隣に立った俺にさえ気づいていないのは、集中力なのか、無視なのか、わからない。

「おはよう、銀さん」

イヤホンがされたままの耳に顔を近付けて大きめの声で挨拶してみる。
銀の体が跳ねて、教科書と向き合っていた顔が俺に向く。
あと数cmでキスできてしまいそうな距離。
銀が体を反らせて後退る。

「お、おはよう…早いんだな」

「銀さんには負けたけどね」

驚きながらもイヤホンを外し、返される挨拶。
イヤホンから漏れ聞こえる音は、ソプラノ音域の高音の歌声。
黒板の上に設置されている時計を一瞬だけ見て、再び俺に向く銀の視線に満足して、自分の席に向かい座る。

「弦一郎と一緒に来たのかい?」

「…いいや、一人で来た」

弦一郎の名前に反応する銀は、簡単に携帯を弄ってからイヤホンを仕舞う。
終始眉間に皺が寄っているところを見ると、昨日のあの喧嘩をまだ引き摺っているようだった。

「…そう言えば…昨日は結局見せてもらえなかったんだよね、銀さんのアルバム。
次行った時に…見せてくれる?」

「……それは約束しかねる…」

さらに皺を深めて言う銀。

「あれは、人に見せられるような物じゃない…すまないが、勘弁してくれ」

「えー…小さい銀さん見てみたいんだけど」

「……今度…一枚持ってくる…」

「本当?」

あまりに俺がしつこく言ったせいか…いや、俺の粘り勝ちと言うことにしておこう。
銀に勝ち得たことに笑みが溢れる。
そんな俺に対して、銀は盛大な溜め息。

「私の幼少の写真など見ても楽しくないと思うんだが…」

「滅多にない観察対象だからね、幼いときの観察だってしたい…ってことにしておいてよ」

「非常に曖昧な返答だな…」


諦めたように古典の教科書をしまい、銀が机の中から取り出したのは化学の教科書。
昨日置いていったらしいそれを開く。
ふと、ページをめくる動きが止まり、何かを、取り出した。

「………」

俺がいる方向からでは、それが何かは確認出来なかった。
それから、最後のページである巻末の元素周期表までめくり、もう一度何かを取り出して、銀は化学の世界へ入り込んだ。


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