10000HIT
□john
1ページ/1ページ
いつものようにトレーニングルームで各々汗を流したり、或いは談笑したりと過ごしている中、虎徹が泣きそうな顔で入ってきたかと思えばすぐ傍でドリンクを口にしていたカリーナにひょこひょこと足を引きずりながら近付いていく。
「あー、いってー……!なあブルーローズ、救急箱ってどっかになかったっけか?」
「はあ?来て早々に何?どっか怪我でもしたの?」
すると虎徹はその言葉を待ってましたと言わんばかりにベンチに腰掛けいつもの細身のスラックスを膝のあたりまで持ち上げて指を差す。
「ちょ…!何いきなりズボンなんてめくってんのよ!馬鹿じゃないの!」
「違うって!ホラこれこれこれ!見ろって!来る途中歩いてたらよ、飼い主と信号待ちしてた犬の尻尾踏んだらしくてこう、キャインキャイン!ウー、ガブー!ってな具合で」
「…要するに、犬に咬まれたって事ですか。…見せて下さい。怪我もそうですけど狂犬病にでもかかったら大変だ。その飼い主さん予防接種の類の事は話していましたか?」
相棒の騒ぐ声で颯爽と近付き躊躇う事なく虎徹の前へしゃがんだバーナビーは見せろという言葉を発している段階で既に虎徹の足に触れ歯型のついたふくらはぎをまじまじと眺めている。多少の赤みはあるけれど深く牙の刺さった様子もない事を確認するとふう、と小さく息を吐いた。
「ああ。注射はしてる、っつってたな。つうか俺が悪かったのにものすげぇ謝られちゃって逆に申し訳ないのなんの…」
「だからあれほど歩く時には気を付けて下さいって言ったでしょう。…貴方がオジサンで周囲に気を配りきれないというのは理解出来ますけど」
「オイオイ!なんだその年だから仕方ないねー、みたいな雰囲気は!」
「事実を言ったまでです。いちいち煩い事言わずにさっさと手当しましょう」
冷静にいつの間にかきちんと持ってきていた救急箱から消毒液を取り出しているバーナビーと、それに対して文句も言いきれなくなっている虎徹を見てその場にいた全員はまた各々の行動を始める。
イワンもその中の一人だった。
少し遠くからそんな微笑ましいとも言えるいつもの光景を見て目を細め、傍にあったベンチに腰かけると持っていたペットボトルのミネラルウォーターに口をつける。
「朝から随分と賑やかだったね。…しかしワイルドくんも災難だ。決してわざとやったわけではないだろうに」
背後から声が聞こえてピクリとイワンが肩を揺らす。
「…スカイハイさん。おはようございます。今日は直接こっちなんですね」
「ああ。今日は業務のほうも粗方片付けてしまっていてね。どうせなら誰かいるだろうとこっちに来てみたんだ。…隣に座っても?」
ロッカールームから来たばかりなのであろう、手にはスポーツドリンクとタオルを持って爽やかな笑顔を携える姿はまだ汗のひとつもかいていない。イワンはそんな思い人に話しかけられた事で内心ドキドキと胸を高鳴らせながらどうぞ、と短く伝える。それに応えてキースもほんの僅かだけ体を離してベンチに座った。
「でも本当にタイガーさんもかわいそうですよね。犬もびっくりしちゃったんでしょうか」
「だろうね。きっと飼い主に怒られてしまっているだろうなぁ…」
虎徹の怪我への同情と共に犬の心配をしている事にイワンもそういえば彼が犬を飼っていたのだと思い出す。以前、ちらりとだがキースと愛犬が一緒に写った写真を持っていたのを見かけた記憶があった。
「スカイハイさんも犬飼われてるんですよね?やっぱり躾は厳しかったりするんですか?」
「そうだね。無暗に噛みついたりなんかさせないようにしているよ。ただ、大型犬だからか性格も割におとなしいしそこまで叱るような事をしないかな」
「へぇ……。あ、名前は?なんていうんですか?」
これも何かの機会だ、思い人がこうしてすぐ傍にいるのだからどんな話だって聞いておきたい。そんな気持ちでイワンは何気なく純粋な疑問を口にした。当のキースも愛犬について聞かれるのが嬉しいのか、顔を明るくさせて口を開く。
「ああ、ジョンって言うんだ。本当に可愛くていい子だよ。毎日一緒に寝てもいる」
「一緒に!?すごく可愛がってるんですね。ジョン、かぁ…」
幾度か頭の中でキースの愛犬の名前を繰り返しているうちにはた、と何かに気付き、そしてその事実に何やらどうしようもなく恥ずかしさが込み上げてイワンはどんどんと顔に熱が溜めていく。
「…折紙くん?」
「はいィ!?」
キースが名前を呼んだ事で情けない程に声を上げてしまう。慌てて口元を隠すがそんなもので隠しようもなく耳まで赤くした状態でおろおろと何かに助けを求めるような視線を彷徨わせる。好きな彼の隣にいるのが、今はなんだかとても恥ずかしい。
「顔が随分赤いようだけど大丈夫かい?」
「あ、いえ、…あの、運動しすぎたみたいで!…少し顔洗ってきますね!」
「へ?折紙く……」
言葉の続きを紡ごうとしたキースの言葉が耳に届きそうにないほど遠くへあっという間に走り出してしまった後姿を見てキースは首を傾げた。
今日は朝から意中の相手であるイワンと話を出来ると思ったのに残念だとキースはがっくり肩を落とす。
「あらおはよ。スカイハイ。なんか折紙に逃げられてたけどどうしたのよ?セクハラ発言でもしたの?」
「うわっ!?」
こうした事態に耳聡いネイサンがキースの背後から両腕を回して抱きしめてくる。彼(彼女?)特有のボディタッチには慣れていた筈だが、考え込んでいたキースにとっては驚きそのものでうっかりと声を上げてしまった。まだ少し動揺を残しながらネイサンの腕をやんわり解くと後ろを向き困ったように眉を下げる。
「いや、そうした事はしたつもりはないんだが。私が犬を話をして、うちの犬の名前を言った後突然折紙くんが席を立っただけで…」
「なによ。アンタのとこの犬にセクハラ的な名前でもついてたのかしら?」
「誓ってそんなとんでもない名前はつけていないよ!…けれど、名前を聞いて途端に何か様子が…」
また正面を向き、腕を組んで口元に手をあてて考えるけれど名前について別段おかしなところはなかった、と思うしかないキースにネイサンが続ける。
「ちなみに、アンタの家の犬の名前はなんなのよ?」
「ジョンだが?」
「普通ねぇ………」
名前を聞いたネイサンまでもが有体に言えばよくある名前を聞き首を傾げてしまう。が。
「……ああ、そういう事なのね」
逃げ去った理由を察したネイサンはイワンに対してかわいそうに、と小さく呟いた。キースにしてみれば一人納得のいった様子のネイサンを見て頭の上に疑問符を浮かばせるのみだ。
「一体何がわかったっていうんだい?私はやはり彼に…」
「違うわよ。もっとストレートな事。ていうかアンタたち、もうとっとと付き合っちゃえば解決するのにね。…ま、それでも折紙は照れて逃げちゃうか」
「……?」
何もわからない、そう言いたげなキングオブヒーローの鈍感さに痺れを切らすと皺の寄りっぱなしになった眉間を指先で軽く小突き余裕を見せて答え合わせを始める。
「いーい?まずは確認するわよ?アンタの飼い犬の名前」
「ジョンだ」
「そのスペルは?」
「J、O、H、N」
「アンタ、折紙のファーストネームはわかるわよね?」
「ああ、イワンくんだろう?」
「ん。OK、ならここから少し応用きかせていくわ。……それを、あの子の母国語で考えてごらんなさいな。それであのシャイな折紙が逃げた意味がわかるわ」
「母国語…?」
「もうアタシからのヒントはおしまい。よーく考えて、それから一番にしなくちゃいけない事を行動に移しなさい」
ひらり。
ネイサンが手を振ってその場から離れ見かけたカリーナの傍へ歩いていくと、背後でキースの折紙を呼ぶ声が聞こえつい先ほどイワンが駆けていった方向へ物凄い勢いで走りだした。普段の態度からは珍しい慌て方にそれを見ていたカリーナがぽかんと口を開け、そちらを指差してネイサンに視線を向ける。
「……なんなのあれ?」
「んふふ。ちょっとだけお尻を叩いてやったのよ。きっと全部上手くいくわ」
「…貴方のその言葉、ちょっと怖いんだけど…」
「いーえ。アタシ今回ちゃんと働いたもの。キューピッドと呼んでくれたって構わないくらいに。…上手い事口説きなさいよ。キング。」
言葉の最後のほうはカリーナにもほとんど聞こえないような声量で呟き、ネイサンは話題を変えるようにランチで出掛けるカフェの話を始めた。
(なんて事だ!ジョン、は彼の国の言葉で彼の名前になるだなんて!)
走りながらキースはネイサンの言葉の意味を反芻する。きっと愛犬に自分と同じ名前がついている事に恐らくレストルームにこもっているであろう彼は気付いたのだ。
(ああ、まずなんて言えばいいのだろう!!)
悩みながらもキースがレストルームに飛び込み、顔を洗っているイワンに出会うまであと30歩。
end
英語のjohnはロシア語のivanと同じ意味になる、と知人に教えてもらったので!!!!!
なんだ…と…!なんという空折フラグ…!
ネイサンがちょくちょく出てくるのは私がネイサンをすきだからです。
20110718