10000HIT企画

□メマイ
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 清正がその違和感に気がついたのは、読書を始めて半刻ほどたってからだった。
 いつも滅多に音のしない筈の隣室から、がたがたと無視できないほどの物音がしたのである。
 隣室の主は真田幸村。
 この春ごしめがね学園に入学した、清正が尊敬する豊臣秀吉校長になぜか気に入られている小生意気な一年生である。
 何かと幸村を目の敵にしている清正にとっては"真田がたてた音"というだけで腹立たしく感じていた。
 そもそも隣室にあてがわれた事さえ不本意なのである。
 もともと防音設備など皆無の壁が薄いこの寮は、少しの物音でも隣室に届いてしまう。
 幸村も読書が趣味なのか滅多に部屋を騒がしくすることは少ない。

 そういえば、と昨日の事を思う。
 どうやら真田には学年が二つ上の兄がいるらしく、よく共にいる姿を目撃する。
 確か真田と違い出来の良い兄は弓道部でのエースを勤めているようだが、その部室に部外者である幸村が出入りしている場面を目撃したことがあった。
 弓道どころか運動全般が苦手な真田が意味もなく学校の設備である部室に出入りしていることさえ気に入らない。
 思い出すだけで腹立たしく感じてしまう。

 そして、隣室の物音は鳴り止まない。
 ベッドに隣接した壁が隣の部屋の壁である。
 確か隣室は自分の部屋と鏡合わせのようになっているから、壁の向こうも相手側のベッドであったはずだ。

 一度気になると読書を進める事すらできないほどに隣室の音が気になってしまう。
 牽制の意味をこめて、壁を叩こうとした瞬間。

「ん…あっ…」

 突如、くぐもった声が聞こえる。
 それは何かを我慢するような、悩ましく響く声。
 壁を叩こうと握られた手はそのまま宙にとどまってしまった。
 今のは、真田の声に聞こえたが…。

(まさか…)

 清正とて男である。男の生理現象については理解している。
 しかし、時間は夕刻前。それも、真田幸村である。
 普段からまるで性欲とは縁のない、すました顔をした男だ。
 今までこのような声は聞いたことがない。ごしめがね学園に入ってから初めてだと言って良いだろう。

(何てふしだらな男だ…!!)

 隣に届くように壁を叩こうと拳を再度握りしめた瞬間、

「あっああ!うっ…んんっ!」
「っ…」

 必死に押さえるような声が、生々しく清正の部屋に響く。
 先ほどより熱を帯びているような声。
 声を聞くと同時に普段の幸村の顔が浮かび、清正は息を呑んだ。
 普段から人を食ったような態度をして、清廉潔白ともいえる雰囲気を身にまといまるで性欲とは無関係な位置にいそうな幸村。

 無意識のうちに清正は壁に耳を押し当てるような形で、隣室の音を聞いていた。
 そして、気づいてしまった。
 幸村の他にもう一人、隣室にいることに。

「やっ、…聞こえて…しま…っ!」

 焦ったような幸村の声。
 こちらへ声が漏れる事を恐れているのか、隣室へ強く意識を向けなければ聞き取れないほどの小さな声。
 しかし短い悲鳴が上がると、だん、と壁に衝撃が走る。
 誰かに壁に顔を押さえつけられているかのような…。
 そうそれはまるで、こちらに声をきかせるような。
 
「…やめて…くださっ…あぅっ!」
「源二郎。何を我慢しておる。いつものように私を求めてみせよ」

 再度、がたんと壁に衝撃が走る。

「そんな…バカな…」

 握りしめた拳に嫌な汗がにじむ。

「そなたは、私のものだろう?」
「あっ…う…は、はい…某は兄上の…っものですっあ、んっ!」

 真田幸村が"兄"と言った。つまり、いま隣室でふしだらな事をしているのは真田と真田の兄ということだ。
 まさか、と耳を疑う。
 真田の兄は校内では生徒の模範であるときいたことがある。日陰を好む真田幸村と正反対の男であると。

 真田のあの細い首筋が。薄い体が。いまこの瞬間隣室で蹂躙されているのだ。
 実の兄によって。

「っく、そ…」

 熱を持ち始めた自分自身を静める術は一つしかなかった。




 静まりかえった廊下。
 出来る限り音をたてないようにこそりとドアを開ける。
 あの後、己の熱を静めるためにした自慰行為を清正は大きく恥じていた。

(まさか、男を…真田を…想いながら…シてしまうなんて)

 部屋にいても思考が堂々巡りしてしまうため、外の空気に触れようと部屋を出たのだった。
 しかし、ここで隣室の扉が開く。

「っ…真田」
「加藤殿…っ!」

 流れる気まずい沈黙。
 その沈黙を破ったのは、幸村の小さな声だった。

「加藤殿…ず、ずっと部屋に?」
「い、いま、帰った所、だが…」

 思わず嘘をついてしまった。
 閉めようと差し込んだ鍵を抜き取り扉を開き、さも今帰ってきたように振る舞う。
 ぎこちなくなってしまっただろうか。
 しかし己の事で手一杯なのだろう。幸村もその嘘を鵜呑みにしたようだった。

「そ、そうですか」

 あからさまにほっ、と胸をなで下ろす幸村を見て、その首筋にほんのり赤く色づく鬱血跡を見つけてしまい息を呑む。
 その鬱血跡をなぞるように幸村の後ろから細長い指が現れる。

「っ…兄上っ」

 くつくつ、と喉の奥で笑う真田信之に、まるで自分の嘘が見抜かれているような気がして、あわてて清正は今出てきたばかりの部屋へ再度入った。

 きっとこれから幸村を見かけるたびに、その服の下に隠された裸体を、羞恥に振るえる顔を思い浮かべてしまうに違いない。

「くそっ…」

 まるでこのことをわかっていたような、余裕を含んだ真田信之の顔が頭をちらつく。
 その行き場の無い思いをガツン、と壁にぶつけた音が大きく響いた。

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