book3

□『忘亭』尚隆
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気が付くと立ち上がって、ただちに鸞を寄越すよう、と下官に言い付けていた
とにかく行って陽子を止めなければならない
陽子ならばすぐに動こうとするだろう
いますぐに発たねばならないと思った




『忘亭』尚隆





案の定、陽子は言った

「とにかく、せめて人を遣って泰王と泰麒の捜索だけでもー」

言葉通り飛んで来た甲斐があったというものだ
陽子に戴に王師を向かわせてはならない
陽子に遵帝の轍を踏ませてはならない
それだけはなんとしてでも阻まねばならない
事は慶の浮沈に関わる
ここで善意の過ちから慶を、陽子を沈めるなどできる相談ではなかった

困惑した陽子に太師の遠甫が諭すように遵帝の故事を語って聞かせる
納得のいかない様子の陽子を後目に慶の臣である景麒以下を見渡した
覿面の罪は国氏が変わるほどの大罪であることを念押しする

陽子は即位からたった二年でもののわかる臣を朝廷に入れた
この者たちなら陽子が無理を言っても止めるだろう
そうはわかっているが駆けつけずにはいられなかった
あまりにも若い朝
俺とおなじ胎果の王
そして俺とは違って王になど興味のなかった陽子
危なっかしくて目が離せない
陽子はこうまで言った

「慶を守り戴を見捨てることが王の義務なら玉座などいらない」


だが陽子はわかっていない
戴の劉という将軍が泰王の即位時から側近くにいたというなら、なぜ泰王と誼のあった雁に来ない?
将軍の地位にあったなら慶の胎果の王が玉座について間もないことくらい知っていただろう
しかも戴の麒麟も胎果だ
胎果はこちらの天の理を知らない
そのことを知っての上なら劉将軍の意図が慶にとって良いものであるはずがない
それを危惧したから俺はすぐさま来たのだ


まぁ、陽子も言うだけ言って逃げ出したところを見れば天の条理に逆らいようがないことはわかっているのだろう
わかっていてなお葛藤があるのだろう
なんとも年相応の小娘らしい
だが事はそれでは済まされなかった
他国への干渉は王の権を越えている
覿面と呼ばれるほどの罪の意味はわざわざ試してみなくとも既に明らかだった

だというのに陽子は諦めなかった
やっと天の条理を承知したと思えば今度は、天の許す限度の中で戴になにをしてやれるか、と言いだした
泰麒の捜索に十二国から麒麟を借り出すと言う
あまつさえ、わざわざ諫めに来てやったこの俺にその采配を振れとまで言う
それが戴のためだけでなく、王が倒れたあとの民のためだと
他国の荒民(難民)を仕方なしに抱え込むのでなく、荒民を救う仕組みを創っておきたいのだと


こちらの天とやらは姿も見せぬ割には一方的に条理を押しつける
俺を玉座に据えたくせに謀反を許し荒民を寄越す
文句こそあれ、感謝をしたことなど国を託されたとき、ただ一度しかない

だがこれは面白い
陸続きの隣国に天が据えた新王は俺が思いも付かないことを言い出す
天の条理に抵触しないことに終始するのではなく、天の許す範囲でもできるだけのことをしようと誘う
しかもこの借りは俺が倒れたあとの雁に返すとは陽子もよく言ったものだ

陽子が現れてからこのかた、俺は退屈しなくなっていた
俺とおなじ胎果の王というだけでも興味深いのに、こちらに来たときには巧に流れ着いて命を狙われていた
しかも慶には偽王が立ち、景麒は囚われていた
尋常な登極ではない
その陽子が今度はこちらの流儀を無視して、他の国々の協力を取り付けようと言う

天もまた面白くはあるがずいぶんと危うい王を選んだものだ
泡を食って駆けつけるほど頼りなくはないことはわかった
たが進んで条理の縁を探ろうとする危うさがある
これはますます見ていなくてはなるまい
何度でも言うが慶には断じて倒れてもらうわけにはいかない
俺が困るのだ


少なくとも陽子が簡単に道を踏み外すことはない
そのことは実はとうに知っていた
逃げ出した陽子に六太に命じて使令を付けさせたのだから
他国の燕朝でそれも王に、無断で使令を付けるなど陽子が相手でなければさすがに俺でもできない
事実、景麒を不快にさせた
だがそれでも危険な芽は一刻も早く摘んでおきたかった

陽子が逃げ込んだのは荒れた庭園
忘れ去られて久しいその庭は好き勝手に伸びた草と色の剥げた四阿しかない
その色は遠い昔に別れを告げた俺の故国を思い出させた
そこに座り込んだ陽子
その出自は俺とおなじ国だった

こんなとき俺も陽子も胎果なのだと実感する
景麒と語り合う陽子も故国を思い出しただろうか
俺とは違い、たった二年前まであちらにいた陽子が思わぬはずがない

ならばやはりしっかりと見ていなくてはならない、そうとしか思えなかった




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