book3

□『朝庭』如昇+珠晶+恵花
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あれから三度めの春がきた
塀を巡らした庭の内の辛夷(こぶし、モクレンの原種)の木には白い花が開き、微かな芳香を漂わせている
あの年の今頃もこうして戻らない珠晶の身を案じては
辛夷の花を眺めていたものだった




『朝庭』如昇+珠晶+恵花





雲に隠れたその先の王宮を思い浮かべて凌雲山を振り仰ぐ
崖の下から見上げたような一面の壁は実は巨大な山だ
麓の連ショウからは山が大きすぎて壁面のように見える
王宮はさらにその上にある

あの日以来、珠晶からの音沙汰は一度もなかった
もう人でなく神籍にある王なのだから人とは交わらない
知ってはいるが珠晶は恭だけではなく十二国でも史上最も年若い王なのだ
まだ家が恋しくともおかしくないと思うのが人情というものだろうに

それどころかあれほど頻繁に現れていた妖魔が最近では話にも滅多に聞かないようになってきた
新王が玉座を埋め祭祀を欠かさず執り行えば妖魔は去り、国はよく治まるという
それは珠晶が王としてよく国を治めている証だった

珠晶はよい王におなりなのだろう
王宮に縁のない一介の商人の耳目には
妖魔と天候を気にかける他に珠晶の様子をうかがう術などありはしなかった


「旦那様、お風邪をひかれてしまいます。
お茶をご用意致しましょう。」

家生の声がする
いつの間にか恵花が側に立っていた

珠晶と年が近かった恵花はまだ幼さも残るものの、娘らしくなって背もずいぶんと伸びた
だが珠晶は恵花のように年頃の娘にはならずに
今もまだあの日のままの十二の幼い少女でいることだろう

私も妻も兄姉たちもみな年をとるのに
珠晶だけが身分だけでなく年までもどんどん離れていく

恵花にはあの日珠晶が言い置いた通りに珠晶の着物をすべて与えた
その時でさえ恵花には丈が短かった珠晶の絹の着物が
今では恵花の毛織物の襟元から、なんとなく見覚えのある柄がのぞいている
解いて肌着に仕立て直したのだろう
それを目にする度に珠晶のことが思い出された



庭でなにやら騒がしい声がする
慌てて呼びに来る者があった

「旦那様、庭に妖魔がっ、珠晶様と、主上がっ…、」

物言いは要領を得ない
だが珠晶の名を聞いて思わず先ほどまでいた庭に走り出る

そこには妖魔から降りようとする珠晶が、確かに珠晶があの日と変わらぬ姿でそこにいた

「お父様。」

降り立った珠晶が鮮やかな笑みを浮かべる
過ぎし日と寸分の違いもない

体が勝手に動いて気付くと私は珠晶を腕に抱いていた
ややあって珠晶がくぐもった声で苦情を言う

お父様、苦しいわ、
やはり変わらぬ声音に笑みが漏れた
腕を弛めてようやく珠晶の顔を見つめる

「珠晶、珠晶じゃないか…。」

三年ぶりに突然現れた末娘にかける言葉など思い浮かばなかった
ましてや珠晶が主上であることなどまるっきり失念していた

それでも珠晶は嬉しげに笑うと
王様稼業もたまには休みたいの、と実に子どもらしい来意を述べた
そして私について来ていた恵花を見上げて
恵花、ずいぶん大きくなったわね、
とまた微笑んだのだった



恵花が改めて茶を煎れる
珠晶と卓を囲むのも久しぶりだ
部屋の隅に控えた恵花の表情も明るい

安否を問い近況を伝え合う私たちの会話が一段落すると
珠晶が滅多に会えないのだからと恵花を側に呼んだ
子どもたちが店表から戻るまで、妻が外出から戻るまでにはまだしばらく間があった

まごつく恵花に構わず、矢継ぎ早に珠晶が問う
元気だった、恵花?、
仕事はどう?、
楽しくやってる?、
どの問いにも萎んだ曖昧な笑みの恵花は歯切れが悪い

「恵花は相変わらずねぇ。」

珠晶が苦笑する
なにか言いたげにした恵花は、相手が王であることを思いやったのか結局なにも言わずに下を向いた

それを見た珠晶は小さくため息をつく
チラリと私を見てから口を開く
それは口を挟むなという意味だろうか

あのね、恵花、
王だとか主人だとか家生だとか関係なく人は好きなように生きていいのよ?、
家生がつまらないなら辞めちゃえばいいのよ、

ギョッとすることを言ってのけた
思わず口を開きかけると
黙っててって言ったでしょ、と言わんばかりの珠晶の目に黙らせられた

恵花は面食らった顔に苛立ちを滲ませて珠晶を見上げたが結局は口を開かなかった

家生を辞めたら生きていけない、旅券もなくてどこにも行けない、
他にどうしようもないんだって言いたいんでしょ?、
先を読む小さな珠晶は三年ぶん見た目の年が離れた恵花に容赦がなかった
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