book2

□Mermaid's Daydream / Another Mermaid
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早朝の見張りに立たされたギンは冷たい風に吹かれる見張り台で惚けていた

夕べ、人魚に出会った
そうとしか思えない
だが誰にも信じてはもらえなかった

あんなに綺麗な娘は見たことがない
急に現れたのだ、ギンが小舟をつけて釣りをしていた岩礁に
他の船が近づいてきた様子はなかった

もっともたまには変わった魚を釣ると言い置いて岩礁で昼寝をしたかったのだ
あれが夢でなかった自信はない

それでも松本乱菊と名乗った娘は釣りを知らなかった
岩礁まで泳いでくるなら地元の海女だろう
それなのに釣りを知らないはずがない

釣りを知らないのかと聞いたらバカにした顔をした
夢の中の美人ならそんな顔をするはずがない
冷たく、じゃあと言うと水音がして
もうそこには誰もいなかった

やはり人魚だと思った
夕日を受けて輝く大きな瞳、きらきらと輝いた長い髪
そして耳に心地よい声だった

もう一度会いたいと思う
でもそんなことを言ったらまた仲間に笑われる
だから乱菊のことは誰にも話さないとギンは寒さに震えながら思っていた


ギンの乗る船は海賊船だ
幼い頃に海賊に売られたギンは海賊だ
密輸はするし商船も襲う
戦闘になれば人も殺す
そういう稼業だ

だから大きな港にはおおっぴらに寄港できない
本船は近くに留めて小舟を回す
ギンはそのあいだの留守番の一人だ

退屈していたら人魚に出会った
これはきっと幸運の印だ
今夜の自由時間はこっそり港まで行ってみよう
この幸運にあやかるつもりだ




その夜は晴れて月が出た
満月にはまだ早いが東の空にある月が辺りを照らす

乱菊は初めて許されて陸地を見に来ていた
明るいといっても夜のことだ
人間の姿は見当たらない
心配した両親が日が暮れるまで出してくれなかったのだ
末の姉さまだって夕暮れの陸地を見たって言っていたのに

もっとも乱菊は沖でなら朝日も夕日も星空ももう何度も見ている
こっそり抜け出していたのだ
だからちゃんと許されてからは初めての夕暮れを見逃した


勝手な理屈でへそを曲げたがそれでも初めての陸地は月明かりでも興味深かった
家も通りも窓から漏れる明かりも、かすかに聞こえる楽しげな歌声も
初めて直接見聞きした

どうせ人気のない夜ならあまりいい臭いはしないが川を上ればもっとよく見れる
乱菊は町並みを眺めるのに夢中だった



「乱菊。乱菊やろ?」

潜めた声で名を呼ばれた
川に知り合いはいない
まして陸地になんか皆無だ

見上げると川岸に立っている人間がいた
まさかと思うが昨日の海賊だ
なぜ海賊が街にいるのだろう
それより川は意外と人目に付くのだろうか
潜って逃げてしまおうか


乱菊がそうするより先に何かが視界を覆った

「これ、被っとき。」

布のようなものをどけて近づいてきた相手を見る
いったい何のつもりだろう?
乱菊の訝しげな目を見たギンが悪びれずに言う

「君の髪がぴかぴか光るんや。
見つかったら困るんやろ?」

そうだったのか
そう言う相手も月の光で髪がきらきらして見える

「…あんたの髪も光ってるわよ。」

そう言ってやると
へっ?そりゃあかん、と辺りを見回すと
川の中にいる乱菊の手を掴んで橋の下へと引っ張った


慌てて手を振り払うと
しぃ、僕逃げとる途中なんや、静かにしといて、なんもしいひんよ、と両の手のひらを振って小声で懇願してくる

髪を隠す布をくれた相手だ
それに乱菊はまだ川の中だ
掴まれさえしなければ逃げられる
それを確認してから向き直った


乱菊が今すぐ去らないのを見て取ったギンが少さく笑んだ

「僕な、博打でイカサマして勝ったんや。
うまくいった思たんやけど追っ手が付いて撒いて来てん。」

なんだか誇らしげだ
呆れた
この海賊は乱菊を捕らえるためでなく、乱菊ごと隠れるつもりでいたらしい

「あんた、昨日も思ったけどバカじゃないの?
あたしを捕まえて売れば博打なんかよりよっぽど確実にお金になるのよ?」

それは事実だったが当の本人が眉を歪めて聞いてくる
その表情が愛らしかった


「あんたじゃなくて、ギンや。」

だからそんなことより名前を呼んでほしかった
ますます眉を歪めた乱菊を眺めながら
今度はゆっくり口を開いた

「乱菊。君が好きや。」

もう一度会えたら伝えようと思っていた
乱菊が人魚ならもう二度と会えないかもしれない
だからもし、もう一度会えたら必ず言おうと決めていた
まさか今朝決めてその夜に会えるとはさすがのギンも思ってはいなかったが


乱菊が目を丸くしている
その乱菊は目の前の海賊がいま言った言葉を理解できないでいた
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