book2

□Mermaid's Daydream / Another Mermaid
1ページ/11ページ


誰も知らないが海の底にも国があった
人魚の住む国だ

海底には花は咲かないし鳥も飛ばないが
色とりどりのイソギンチャクや珊瑚が揺れては魚たちが舞い踊る
射し込む日差しは弱く月の光は届かないが
嵐や豪雨に見舞われることがなかった

そして陸の上とおなじく、海底は海底で暮らす人々の事情のもとで今日も世界は回っていた



その海の底の国の外れで、ひとり恋を夢見る乙女が歌を唄っていた
人魚の王の末娘の乱菊だ

年の離れたこの末娘は父王や王妃、5人の姉君に甘やかされたために少々おてんばに育ったことは否めない
だが王妃にいちばんよく似た乱菊は近い将来、ずいぶんな美女になることだろう

そしてこの末娘は家族だけでなく王宮や国のみなを喜ばせる歌姫でもある
この日の歌は姉君たちから教わった人間の恋の歌だった


だが乱菊は人間が人魚と変わりなく暮らしていて、人魚のように恋を歌うなんて信じていない
この歌もどうせ姉君の誰かが恋人に唄わせた歌に違いないと思っている

恋には憧れるが、見たこともない人間の世界を信じるほどおめでたくはないのだ
姫といっても小さな国だ
遊びに出た帰りには狩りをして食材を持ち帰るのを忘れないし
王宮にいても海藻の畑を耕して、海草から紡いだ糸で機を織り、調理もするのだ

それなのに陸の上にはまばゆいばかりの大きな宮殿があって
王子も姫も着飾っては人にかしずかれて暮らしているなんてまるで御伽噺だ

近く15の誕生日を迎えたら乱菊も自分の目で陸地を見ることが許される
そうすれば姉君たちがどんな誇張をしたのかがわかると思っていた


乱菊は人間にはさほど興味がない
そもそも人間は危険だと繰り返し教えられて育ったのだ
所詮は海の中で息もつけない生き物なら相手にする余地はない

友だちなら海底にたくさんいる
それに海は行けども行けども果てがない
乱菊はいつか七つの海があるという世界の海のすべてに行ってみたいと願っていた




そんなある日、友だちのイルカが人間の海賊船が来ていると教えてくれた

海賊は人間の中でも特に危険で野蛮な種類だ
言葉も通じず、いきなり襲ってくるらしい
ばあやがいちばん気をつけないといけないと言った生き物だった

乱菊の誕生日が明日に迫っている
珍しい陸地を見れる機会を海賊なんかに邪魔されるのは腹立たしい
そう思った乱菊は明日に備えて
海賊船の様子を見に行くことを誰にも内緒で決めていた

いざというときのために鯨の友だちについてきてもらって
なにかあったら思い切り海水を浴びせてやればいいのだ
そうと決まれば早速国を抜け出した


夕暮れ時の海面は赤い光がやわらかく煌めいて宝石をちりばめたかのようだ
その中に黒い点が浮いている
あれが海賊船だろう
乱菊は少し離れた岩礁の陰に回る
ここからならゆっくり観察できそうだ

海賊船とは大きな船だった
こんなに広い海の中では大きい船といってもちっぽけだ
その中に大の大人がひしめいている
乱菊は人間は哀れな生き物だと思う
まるで海の女神に嫌われているようだ
きっと人間の祖先は海の女神になにか無礼を働いたんだろう


「そないなとこでなにしてはるん?」

不意に声をかけられた
驚いて跳ね上がりそうになる
恐る恐る岩間から頭だけを出して見る

そこにはひとりの人間が岩に座って海に糸を垂れていた
短く切られた髪が夕陽の色に染まっている
開いているのかよくわからない双眸がじっと乱菊を見つめていた


声のでない乱菊に人間はまた言葉をかける

「もしかして帰れんようになったん?」

乱菊が怯えていると思ったのか幼子に話すような優しい声になった
それでもこんなところにいるのならこの人間も海賊なのだろう
海賊なのに言葉をしゃべった
海賊なのに襲ってこない

初めは固まっていた乱菊だったが、聞いていた海賊とはあまりにちがう様子に興味が湧いた

「あんた、誰?」

一応の確認に聞く

「市丸ギン。よろしゅうな。」

「…へんな名前。」

別に名前を聞きたかったわけじゃない
海賊かと聞いたのだ
それなのににこにこと名乗った

「君は?」

「松本乱菊。」

思わず返してしまった、人間相手に
ばあやにばれたら叱られる、そんな思いが頭をよぎる
でも聞いていたのとまったくちがう海賊なのだ
内緒にしていればおあいこだ

それより海賊の手の中の糸が気になった

「それなにしてんの?」

岩陰から手だけ出して指差した
乱菊の指さす先を見た海賊は困惑気味だ

「なにて、魚釣りやけど…?
君、魚釣ったことないん?」

当たり前だ
鳥に飛行機に乗ったことがあるかと聞く人がいるだろうか
海賊ってバカかもしれない
乱菊はそう思った
.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ