book2

□季節のお題
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春霞(春)
      乱菊→ギン



霊術院に来て二度目の春が来た
まだ肌寒いがそれでも昼間は十分温かいし、花の香りも漂い始めた

乱菊は瀞霊廷の外れの森に来ている
誰にも邪魔されずにひとりで考え事をするときに来る場所だ
来る途中に菫が咲いていた
数本持ち帰って小さな居室に飾るのもいいかもしれない
春らしいものがあれば元気も出るだろう


乱菊は落ち込んでいた
正確には後悔していると言った方がいいかもしれない
この春、ギンはもう霊術院を卒業してしまった
昨年の春にともに霊術院の門をくぐったばかりだったというのに

それもすぐに護廷に入隊することが決まっているのだそうだ
いつのまに…、乱菊にはそれしか言葉が出なかった


ギンに会いたい一心でここまで来たのに碌に言葉も交わさないまま、また離れてしまう
ギンを追いかけてなど来なければよかった

そうしたら目を合わせてくれもしないギンに会うこともなかったし、
初めて会ったような他人行儀な顔をされることもなかった

そして、ギンを追って来なければ知らん顔しているギンでさえ見ることもなく
ひとりで春を過ごして夏を越して秋を迎えて冬をやり過ごすのだ
全部ひとりで



ダメだ、余計に落ち込みそうだ
いいことを数えればいいのだ
この一年は霊術院に慣れることに必死で思ったよりも短かった
どんなに努力してもどんどん上の学年に行ってしまうギンとの距離は開く一方だったのだから

それまでギンと二人きりだったのに急におなじ年頃の子にわんさと囲まれて賑やかだった
同性の友だちができるかもしれないという期待に反して
異性が妙な目線を寄越せば寄越すほど、意地悪されたり陰口を叩かれたりとそれは賑やかだったのだから


どこがいいことなのよ、全然いいことじゃないじゃない、
大きな溜め息をついて空を仰いだ

太陽に暈がかかっている
そういえば空気も心なしか霞がかって見える
ここにいるあいだにも霞が少し濃くなったような気がする

もしかしたらこの春霞の向こうから
乱菊のよく知っている以前のギンが乱菊を迎えに来てはくれないだろうか

どこ行ってたんや?乱菊、
探しとったんやで、
そう言って笑ってくれたら手をつないでふたりの家に帰るのだ



詮無い空想に浸っても気が滅入るだけだった
そんなことは起こらないと乱菊はよく知っている

いま食べる物も住むところも着る物も、なにも心配せずにいられるのは霊術院にいるおかげだ
去年以前には願っても手に入らない待遇を得ている

貴族出身の者などは居室の狭さや食事に今でも文句を言うが
自分にしてみれば感謝こそすれ文句など一言も出て来ない

それに以前はあんなに得たかった力の使い方も身に付いてきている
ギンに守られるだけでなく、自分もギンを守れる力がずっと欲しかった

それらはギンを追ってきたからこそ手に入ったのだ
確かにここに来ていいこともあった

それにここにいればいつかギンに追いつける日が来るかもしれない
だが、ここに来ていなければそんな日は決してこなかったのだ


きっと何度過去をやり直しても自分はまたギンのあとを追っていく
それは追った先の霊術院でどんな思いをするのか知った今でも同じなのだ
今あの時に戻れたとしても、また同じ選択をするだろう

こうなればもう諦めるしかなかった
死神が時を止めて生きるのはギンに追いつくためだと思えばいい
そう思えば死神になるための努力もなんてことないはずだ

自分はありもしない希望に縋って無駄な努力をしようとしているだろうか
だが自分はこうしか生きられない
ギンに拾われて命をつないだ自分にはこの生き方しかないのだ


そう思い詰めてみると逆に不安が和らいできた
引き返してみてもやり直してみても結局はおなじなら
このまま進む以外に道はないのだから

乱菊はなんとなく辺りを見回した
菫を見つけて二輪だけを手折る
居室に花瓶などないが、厨房から小皿でも拝借してくれば充分だ

そろそろ戻ろうかと思う
戻って来年度の予習でもしよう
自分にはそうするしかないのだ
気負うでも悲壮な決意でもなく、すんなりそう思えた

そういえばギンもこうだったなと思い出す
必要だと思えばただそうするのだ
どう感じるかは問題でない

ギンとおなじかあ、そう溜め息混じりに声に出してみる
そうすると口の端を引くだけの小さな笑顔をつくることができた

霞んだ空気はいつの間にか風に浚われてしまったようだ
風が木々を揺らしている

視線を落とした手の中の二輪の菫もまた
風にそよいで小さく揺れていた



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