book2

□季節のお題
1ページ/8ページ

麦秋(春)
      ギン→乱菊



この世界では基本飢えることがない
死して訪れた世界での唯一の幸福がこれだろう
だがそれにすら与ることのできない者がいた
霊力を持つ者だ
そして強い霊力をもつ者はみな、ここ瀞霊廷に集まり死神となる
これがこの世界の理のひとつだった

そのため食料は必然的に瀞霊廷に集まり、多くはその周辺で生産される
人々は生前の習慣のままに食べはするがあくまで嗜好であって、欠いても困ることはない
飢えて死ぬ者は霊力を持つものだけと決まっていた


瀞霊廷からもっとも遠い流魂街の最果てに生きてきたギンは
このことを正に身をもって理解している

本当の意味で飢えるのは乱菊とふたりだけだということ
流魂街で身を守るには霊力を使うしかなく、そのために人に恐れられ嫌われるということ
そして霊力を使うことは飢えにつながるということをだ


だがこの理を一部ではなく一連の流れとして実感をもって理解したのは瀞霊廷に来てからだった
食料の基本である米を作るための田圃はもちろん、麦の畑さえもじっくりと見たのは霊術院の学生になってからだ

その前は穀物の畑どころか、それ以前に畑自体が碌にないところにいたのだ

それでも穀物の味を知っていたのは市でかっぱらっていたためだ
穀物は野菜とちがって畑から盗むには適さない
手ぶらで一つもいでくるわけにはいかないし、
なにより収穫してすぐに食べられるものではないからだ
結果、人が手を加えたものを市で盗むのがいちばん手っとり早いのだ

だからこうして収穫まえの麦の畑の側に立つと実った麦のいい匂いがすることもこの年に初めて知った

瀞霊廷と隣あったこの辺りの麦はほとんどが瀞霊廷に運ばれる
農作をする者はそうして得た収入で暮らしているのだった


ギンはこれまでに自分があそこ以外のどこかもっと豊かな土地に送られていたらと思ったことは殆どない
それは初めのうちは何度か思ったがすぐになんとかするコツを掴んだし
事実一人でもなんとかなった

だが乱菊と出逢ってからは別だった
なぜこんなに綺麗な子が泥にまみれて飢えていなくてはならないのか
こんな危ない場所に綺麗な女の子が送られることがどういう末路をたどるのか、火を見るよりも明らかではないか



霊術院を抜け出して瀞霊廷の外まで出て、麦の匂いの届く木陰に寝ころんでいた

想うのはもちろん乱菊のことだ
ここにいっしょに来れたら、きっと麦の香りに笑顔を見せてくれただろう

乱菊がもしもこの地区に送られていればあんな目に遭うこともなく、
命をかけて瀞霊廷を目指すこともなかった
自分もあの男を追って瀞霊廷まで来ることもなく、乱菊と静かに暮らせていたかもしれないのに

乱菊があそこに送られていなければ自分と出逢うことはないのだと理解してはいるのに
不思議と乱菊と出逢っていない自分を想像することができなかった

乱菊が送られていればよかったと思う場所には
いつも自分が先にいて必ずどこかで乱菊を拾うのだ
豊かに暮らせる場所なら乱菊が倒れているはずもないというのに

だからきっと乱菊が自分に出逢ってしまったことは最も不幸な道をたどった結果であって
自分が乱菊に出会えたことは最もしあわせな道をたどった結果であると、ギンは理解している


それでいま、乱菊に自由に話しかけることさえできない自分は
過ぎた幸福の埋め合わせをほんの少ししているに過ぎない

代わりに乱菊は自分が近づかないぶんだけ安全でいられる
苦しい生活の中で生きてきた埋め合わせをほんの少しだけ、この世界からされているのだ


どこか香ばしい風が心地よく眠気を誘われる
この世界で死んだら今度はどこに送られるのだろうか
再び現世に行くとしてもここで塵と消えるにしても乱菊のいるところがいい

そのためには乱菊より先に逝くことはできない
自分なら乱菊を追ってどこまでも行くが
乱菊はきっと自分がいなくなったら次は自分には出逢わずに済む、しあわせになれるところに行くだろう

そう思えば自分の執着が乱菊をしあわせになるのを邪魔するようで気が咎めた
もしも本当にそうならおなじ世界にいるだけで出逢わなくともいい
だからせめてこの世界でだけは乱菊を守りたい

そんなことをとめどなく思っているうちに、ギンはいつしか眠りに吸い込まれていた



.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ