book2

□乱菊+灰猫
1ページ/1ページ

乱菊+灰猫



庭に面した自室の縁側にひとり座して自身の斬魂刀と向き合っている
なんとなくそうしたくなったのだ

星ひとつ見えない夜空には風もなく、凍てつく空気だけがあたりを支配して冬独特の静寂が身を包んでいた

灰猫と対話するつもりがその思考はするすると流れ出して
とめどなくあちこちへと漂っていく
乱菊は止めもせずにただ心に任せた
それは水が低きに集まるように自然と過去へと向かっていった


それは初めて灰猫と言葉を交わしたときのことだ

―あんた、それでどうしたいのよ?

いきなり話しかけられた
自身の斬魂刀にだ

驚いたなんてもんじゃない
斬魂刀との対話はこちらが意識を集中し精神の統一ができてから
何度も何度も呼びかけたその末にようやく答えが返ってくるものだと聞かされていた

それがこんなあっさりと、なんの準備もないのに世間話のように声をかけられては驚くのも無理はないと自分でも思う

それと同時にまごう事なき自分の分身だとも感じたものだ
なにしろ相手はもう一人の自分だ
隠し立ても誤魔化しもきかない
お互いにそれは承知の上だからこそ灰猫もいきなり核心を突いてきたのだ

とんだ初対面だった
泡を喰った乱菊はギン以外には初めて、こうもあっさりと心の奥底に触れられて速やかに切れた

初めての会話は大喧嘩となりその後ひと月は口をきかなかったのだ


灰猫とはいつもこうだった
灰猫は乱菊のいちばん柔らかいところに
苛立ちを隠しもせず、いい加減にしなさいよとばかりにさっと斬り込んでくる

まるで乱菊の周囲の人々が乱菊に思う通りの
思い切りがよくて気持ちがいい印象がそのまま灰猫として現れたようだった

そしてそんな灰猫の前では乱菊は十番隊副隊長ではなく
ギンとともに暮らしていたころのただ素直で弱い女の子に戻ってしまうような気がしていた


それからあそこに至るまでずっと
灰猫は繰り返し問いかけてきたのだ
それでいいのか、と


灰猫はあの日からもう聞いてはこない

灰猫は泣いているのだ
どれだけ涙を流しても尽きることのない悲しみを
乱菊だけでは手に負えない塊をともに引き受けてくれている

ギンがいないだけで乱菊も灰猫も半身を失ったような気がしていた


だから今度は自分から灰猫に話しかけたくなったのだと乱菊はようやく気が付く

いつも問いかけてきていた灰猫がひとりで泣いている
それを感じながら乱菊はこれが本当の灰猫なんじゃないかとぼんやりと思った

灰猫なんて名前は斬魂刀には珍しい

艶やかな印象の乱菊にはそぐわない灰色で
力や闘志や殺意とはかけ離れた、竈の消えかけの温もりを求めて灰まみれになった猫
寂しげで頼りない名前だ

周りの死に神を見回すと皆それぞれを思わせるような名前の斬魂刀を持っている
乱菊と灰猫のようになかなか結びつかないことはそうない

それなのにギンだけは違った反応をした
乱菊の斬魂刀の名を聞くと、乱菊らしいなぁと笑ったのだ


このときの乱菊にはわからなかった
あたしのどこが灰猫なのよ、と膨れたものだ

今ならば誰よりもわかる
灰猫は自分なのだ
いくら取り繕ってみても変えようのない自分がそこにいる
耐えがたい喪失にただ震えている

だがギンは膨れた乱菊にこうも言った

「大丈夫や。乱菊も灰猫もちゃんと強いんやから。」



こちらは今でもわからなかった
自分と灰猫のなにが強いというのか

どうにかこうにか副隊長まで登ってきたが
どうやってここまできたのかもう思い出すことができなかった

乱菊と灰猫が強かったとすれば、それはギンがいたからではなかったのか


灰猫を慰めようにも慰める言葉を持っていなかった
灰猫の悲しみはそのまま乱菊の悲しみだ

それでも乱菊は灰猫に声をかけた
偽りようのない己の半身に

乱菊の痛みを分かちあえるのは灰猫だけだ
灰猫がいなければ本当に一人きりになるところだったのだ

―灰猫、聞いてちょうだい。

返事はない
それでも乱菊は静かに語りかける

低く垂れ込めた雲は相変わらずひとつぶの光も漏らさずに空を覆っている

乱菊と灰猫の心の中にある空とそっくりだ
そんな空の下で乱菊はたったひとつの小さな温もりを覆うように
灰猫に向かってそっと意識を差し伸べた



.


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ