book2

□乱菊+ギン
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乱菊+ギン



一番隊から戻る道すがら、いつもは通ることのない庭に面した回廊に足を向けた
一番隊の丹精された庭は年中が見頃なのだ

梅雨のあいまの青空の下、心地よい風にのって微かに梔子の香りがする


梔子の強くあまい香りはその存在感を主張する
流魂街の山の中でもこの時期なら
その木を見つけるよりも先に香りで気がつく

梔子の実は消炎や解熱に止血、鎮痛に効能のある万能薬になる
だから花を見つけておいて秋に実を取りに来るのだ

ぜんぶギンに教わったことだ


ふと庭木のあいだに銀色が閃いた
強い日の光の下では見落としがちなその銀色を乱菊が見逃すはずがない

立ち止まって見つめると案の定、ギンが出てきた

ギンは乱菊に目を留めると珍しく、本当に珍しく小さな笑みを見せる
日頃のかたちばかり笑っただけのつくりものの笑みとは違う
昔よく見たやわらかな笑みだ

ギンはまっすぐに乱菊のもとにやってる
だがそれより早く梔子の香りが届く

「市丸隊長、梔子の香りが…」

ギンの笑みに心臓が跳ねて最後まで言葉にならない

「なんや、わかってもうた?十番隊副隊長さん。
そんならこれ、口止め料や」

もういつもの意地の悪い笑みをしたギンが袂からなにやら取り出して手を延べてくる

条件反射に手を出すと、乱菊の手のひらに梔子の花が二つ乗せられた



ギンとふたりで山裾の小屋で暮らしていた頃、
食べるものも薬もなにもかも自分たちで調達しなければ生きられなかった

そんな暮らしの中でお茶などという高級品を嗜んだことなどもちろんない
お茶は精霊廷に来て初めて口にしたのだ

そのかわり、季節の草木を煎じて飲むこともたまにはあった
たいていはどちらかが体調を崩して飲むまずい薬だったが

梔子は花を湯に浮かべて香りを楽しむことができる

利用できる実とちがってたいして役に立たない花にはまるで興味のなかったギンだが
乱菊が摘んできた梔子の花びらを浮かべた茶で空腹を凌いだことがあった

そのときギンは
ん、ええ香りやな、いけるで
と感想を述べたあと

「乱菊はボクのまるで思いつかんことをようするなぁ」

とやわらかく笑った



驚いて顔を上げるとギンの背中はもう遠くなっている

乱菊は手の中の梔子とギンの背中を見比べる

なにも変わっていない
ギンはあの頃のままだ

安堵とともに郷愁が押し寄せる
喰うにも事欠く暮らしだったというのにあの頃に帰りたい

今では地位も名誉も与えられ広い居室もあるというのに
なにもなくともただ、あの少年とともにいるだけで乱菊はしあわせだった

そのことが強く胸に迫る
乱菊のしあわせは今でもあの銀髪の男のとなりにあるのだ

結局は自分もなにも変わっていない


立ち尽くしたまま、締め付けられる胸の痛みをどうにかやり過ごすと
開き直るしかないのだと自分に言い聞かせる

深い呼吸を幾度かして気持ちを落ち着かせると
顔を上げて自隊へと向けて足を踏み出した

戻ったらこの梔子の花で隊長といっしょにお茶にしよう

梔子の香りを嗅ぎながら
いっしょにお茶を飲める人がいる小さなしあわせにほんの少しだけ微笑んだ



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