屍鬼

□ビターチョコレート
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「ビターチョコレート」 1

 

「にゃはは、こいつ〜」

 徹の部屋に響くのは軽快なゲームのBGMと徹の笑い声。
 ベッドでパラパラ雑誌をめくる夏野といういつもの光景。
 ただ、少しだけ違うのは徹の脇にチョコの箱と鮮やかなラッピングが散らばっている事だ。
 今日はヴァレンタインだから高校でもらってきたらしい。

『夏野も食う?』
 と、薦められたが素っ気なく断った。

(徹ちゃんがもらったものじゃないか)

 何となく腹立たしい。全部義理チョコだそうだが、それが何だ。
 大体、恋人の前で他の女から贈られたチョコを食べる神経が解らない。

「あ、これチェリーが入ってる。うまぁ。高木、張り込んだなぁ」
(…誰だ、高木って)

 さっきからこめかみに血管が浮きっ放しだ。非常に面白くない。
 せめて黙って食えばいいのに、いちいち感想を言うから腹が立つ。

(無神経なんだよ、バカ犬)

 義理とはいえ、数の多さも気になった。
 徹の高校生活は知らないが、気さくで世話好きな性格から考えて恐らく男女問わず人気はあるだろう。
 小泉。安田。山瀬。宮本…。
 顔も知らぬ徹の同級生。彼女らはどんな顔をして、徹と日頃接しているのか。
 この日、女性が男性にチョコを贈る限り、義理であろうと、綺麗にラッピングされた箱の中に何らかの感情をこめない筈がない。
 大箱を回して「よかったら一つどうぞ」なんて軽い代物ではないのだ。

 普通の友人よりちょっとだけ上。
 そのほんの少しが何かのきっかけで義理を本命にするかも知れない。
 友達が恋愛対象に変わる瞬間など曖昧なものだから。

 徹が手の届かない時間にいるのが歯痒かった。
 早く同じ高校に通いたい。
 大学進学を考えれば、徹の高校より遥かに遠い校区の進学校を目指すべきなのだろう。
 だが、一人暮らしはダメという親の言葉を珍しく素直に受け容れたのは、徹の存在が大きいと思う。
 無論、徹が付け上がるから、はっきり明言した事はないけれど。

 にも関わらず、徹はこれ見よがしにチョコをバクバク食っている。
 クルリと振り向いて、チョコの箱を突き出した。

「夏野、こういう洋酒付けのチェリー入りとか好きだろ? ホントにうまいから食ってみろよ」

(少しは気を使えよ、バカるちゃん。義理だからってホイホイもらってくんな)

 この能天気な顔に拳で一撃入れられたら、どんなにスッキリするだろう。

「いらない」
「もう〜、んとに頑固なんだから」
「誰が頑固だ」
「だって、いつもは好きじゃん、チョコ。今日に限って何でよ」
「だから、それは徹ちゃんがもらったもんだろ」
「もらった俺があげるって言ってるんだからいいじゃないか。あ〜、ひょっとして嫉妬してる?」
「あのな」
「大丈夫。俺、ちゃんと好きな子いるって言ってるから」
「は?」
「勿論、夏野の名前は出さないけどさ。
 俺、夏野とこうなったの後悔してないから、友達同士の恋話のついでにさ。
 だから、これは義理チョコ。浮気した訳じゃないって」
「あんたな〜」

 夏野はガクリと肩を落とした。頭が痛い。それを聞いて安心しろと言うのか。
 この分だと事実がバレるのも時間の問題だ。自重しろと言っても無駄だろう。
 苛立ちの種が余計に増えてしまった。こんな男に惚れたのだから仕方がない。

「夏野〜?」

 徹は困ったように顔を傾けて覗き込んでくる。
 夏野は大袈裟な溜息をついてそっぽを向いた。 

(解らないのか、バカ)

 呑気な徹の顔を見てると張り倒したくなってくる。
 夏野は雑誌に顔を向けた。徹は困って頬を掻く。

「あー、やっぱ何だ。食べ飽きたとか」
「はぁ?」

 訳が解らなくて、夏野は顔を上げる。

「だって、夏野モテるだろ? きっと一杯もらってお腹一杯とか。家にはこれよりゴージャスなのが…」
「あのさ、一学年一クラスだぜ、ここ。それで腹一杯とかどういう計算だよ」

 夏野は呆れ返った。しかも学校の半分が小学生だ。勘違いも甚だしい。
 確かに一日中、目を異常にギラギラさせて袋を握り締め、壁の隙間や柱の影から、ツインテールが覗いていたのは知っていたが、無視を押し通した。
『私が先よ!』という無言の恵の圧力に怯えて、他の女子達は夏野に近づけもしなかったから一石二鳥だ。
 渡し損ねた恵は恐らく、さりげなく大変目立つ所へ罠を仕掛けるに決まっている。
 また例の茂みに隠れて『あれ、こんな所にチョコが』と夏野が気づくまで視線を送りつけてくるだろう。
 夏野の誕生日の時もそうだった。今夜は徹の家に泊めてもらった方が安眠できそうだ。

「へ、じゃあ誰からももらってないの?」
「好きでもない子からもらってどうすんだよ。変に気を持たせる方が残酷だろ」
「そりゃ、夏野らしいけど。彼女らの甘酸っぱい青春の想い位大事にしてやれよ」
「俺がそういう押し付けが嫌いなの知ってるだろ」

 夏野はうんざりしたように肩をすくめた。
 どうしてストーカー被害については、誰も深刻に捉えてくれないのか。

「一応、葵と徹ちゃんのお母さんからはもらったよ。
 だから、別に人の気持ちを無視してるとかそういうんじゃないから」
「えええええええ」

 徹は不満げな表情をあらわにした。

「夏野よ。お前、行事とか催しとか大嫌いだったよな」
「ああ」
「だから、俺は夏野からチョコレートをもらえなかったのを我慢して、諦めて、それでもちょっと未練たらたらにチョコ食ってアピールしてたんだが、葵からはもらっちゃう訳〜〜〜?」

 徹はググーッと夏野に顔を近づけた。
 さっきまでチョコをふんだんに食べていたせいか、徹の息まで甘い匂いがする。

(ああ、そういう訳か)

 徹が食べていた理由が腑に落ちた。
 当て馬に使ったなら、徹にとっては本当に義理チョコなのだろう。
 彼女らには悪いが、自分が一番なのが解って安心する。
 とはいえ、徹が学校で人気があるというのは少々面白くない。
 最近の女子は大胆だ。強引に寄り切られたら、人のいい徹の事だ。流されてしまうという事だってありえる。

(大体、あんたは隙が多過ぎるんだ。誰にでも優しいって変に期待を持たせるの止めろよな)

 徹と両想いになった今も、この悩みは継続中のままだ。
 徹の良さを自分だけに向けたいのがわがままだと解っていても。

「葵はちゃんと高校に本命がいるみたいだろ。俺は義理だってちゃんと解ってたからな」
「えっ、いるの?! へぇ、あんなお転婆でも、ちゃんと成長してんだ。
 そいつ、どんな奴か気になるな。クラスは?名前は?」
「俺が知るかよ。葵に聞け」
「そうだな…。
 いや、それはともかくヴァレンタインて解ってるなら何で俺にはチョコくれないの、夏野〜〜〜?」
「あああああ、ウザいっっっ!」

 ギュウッと抱き締めてこようとするので、夏野は徹の顔に掌をつけて押し返した。

「俺は男で、もう告白してんだからいらないだろ、そういうの!」
「男同士でもいいじゃん! 恋人が愛してるって再確認し合う大切な行事だと思うけどなぁ」
「だーかーらー、何で俺が徹ちゃんに「あげる」って考えるんだよ。
 徹ちゃんが俺にくれないのに、何で俺だけがあげるのさ」
「は? うー、それはやっぱり夏野が下だから」
「…俺、女扱いされるの大嫌いって知ってるだろ、徹ちゃん」

 雲行きが怪しくなってきたので、徹は慌てた。ブンブン手を振って弁解する。

「いや、別に女扱いってんじゃなくて、俺が抱く方だからそれで…。
 ほら、俺がホワイトデーで返せば問題ないだろ」
「ふ〜ん」

 夏野は目を細め、いきなり徹をベッドに押し倒した。

「じゃあさ、今ここで俺が徹ちゃんを抱いたら、どうなの?
 どっちも男なんだから出来るよね」
「えっ、はぁっ?」

 上から冷たい目で覗き込まれて、徹は目を見開いた。
 今まで感じた事がない威圧感を覚える。
 慌てて腕を振りほどき、押し退けようとしたが、細い身体にも関わらず思った以上に夏野の力は強かった。
 より強くベッドに押し付けられる。
 普段から夏野の女王様気質には慣れていたが、男の力で押さえ込まれ、男の顔で見下ろされると恐怖を感じた。
 体が固くなる。

「ちょっ、夏野! 冗談っ!?」

 笑って誤魔化そうとしたが、夏野の表情は動かない。

「そういうのに拘る徹ちゃんが悪いんだよ?
 俺達、ちゃんと恋人同士じゃなかったっけ? なのに、今更確認が必要なの?
 大体、他の人からもらったチョコを見せつけながら食べるって無神経にも程があるよ。
 俺がそういう含みのあるアピール嫌いなの知ってるだろ。ちゃんと言えよ、バカ」
「言っても夏野はくれないじゃんか」
「ホント解ってないよな、あんた」

 夏野は溜息をついた。

「バカ犬にはお仕置きが必要だよね」

 夏野は徹の唇を塞いだ。唇を舐め、開いた口を蹂躙する。
 甘い。
 さっきから徹が食べたチョコの香りで噎せ返るようだ。
 うっとりとするのと同時に激しい嫉妬が渦巻く。全部、消してしまいたい。徹に絡んだ女の匂いを全部。
 唇を離すと、涙目の徹が見上げてくる。
 癖毛をクルクルと指で巻き、指の項で頬を撫で、耳たぶを摘むとビクッと震え、怯えたようにキュッと目を閉じる。

(…かっわいい)

 思わず夏野は目を細めた。思わず震える薄い瞼に口づける。

(いつもいつも俺をかわいいとか言うけど、自分もそうだと自覚が足りないよね、徹ちゃんは)

 だから、こんなに簡単に人からチョコをもらってしまうのだ。
 無防備でお人よしで自分がモテるなんて自覚は全然ないのだろう。
 夏野がモテるから。
 清水恵にストーカーされて、高校でも外場に都会から来た綺麗な子がいるんでしょって、女子達から聞かれるから、自分は埒外だって思い込んでる。

 夏野は最初、徹がフリーだというのが信じられなかった。
 高校には彼女がきっといるだろう。徹への片思いもそう考えて封じ込もうとしたのだ。
 確かに徹は帰宅部で、村に戻れば夏野ベッタリなのを見れば、彼女がいないというのも納得出来るが、高校の女子は余程見る目がないのかとも思う。

『旦那にはいいけど、彼氏向きじゃないよね』

 徹はそんな評価を受けるタイプではない。
 意外に図太いから夏野の名は出さなくても付き合ってる子がいると言ってそうだ。
 だから、女子達は直接には踏み込まない。
 あの華麗なチョコレート群は彼女らの牽制のようにも思える。
 フリーに戻ったら教えてねというしたたかな誘いだ。

 それが夏野はひどく腹立たしい。
 徹がモテないというのも理解出来ないが、徹が誰かに気を取られるのも許せない。
 徹を渡したくない。徹に粉などかけないで欲しい。
 徹のうなじに顔を埋め、シャツの中を慌しくまさぐる。



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