屍鬼

□狐の嫁入り(徹夏 連載中)
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「…フゥ」

 夏野は溜息をついた。秋の文化祭の事を考えると憂鬱だ。
小中学生全員併せても少人数なのだから、大人しめにバザーや合唱でもやってればいいのに、何故ゴスロリ喫茶などやらねばならないのだろう。
 犯人は解っている。清水恵だ。

「今回は是非、男子も女装して参加して欲しいです…結城君とか」

 キャッ、ごめんなさい。ついこんな事言っちゃって。…でもと、わざとらしく恥らう恵の流し目に夏野は総毛立った。

「何で俺だけ!」

 という反対意見は満場一致の拍手で揉み消された。
 夏野は越してきたばかりだから、早く皆と親睦を深める為という理由らしいが、客寄せパンダなのは一目瞭然だ。
 工房の息子と注目されるだけでもうんざりなのに、女装させられた上、晒し者にされるなどゾッとする。
 放課後、さっさと逃げようとしたのだが「採寸」しなくちゃと衣装係(恵を含む)に取り囲まれ、合法セクハラを受けまくった。
 おかげでもうクタクタだ。

(…欝だ。死のう)

 自転車を引き摺りながら、夏野はヨロヨロと校門に向かった。
 校門から左に行けば自宅だ。だが、いつものように夏野の視線は反対側の国道に向けられる。

(こんな村はウンザリだ。都会に戻りたい!)

 それがいつもの夏野の思考だ。特に今日のような日はその思いが三倍増しになる。
 だが、今日は違った。

(…この時間だったら、徹ちゃんと会えるかも)

 バス通学の高校生の帰宅は中学に比べて遅い。
 だから、以前は一旦帰宅して着替えてから徹の家へというパターンだった。
 だが、今は違う。

『夏野…好きだ』

 キスして、身体を重ねた。まだ本番はしてないが、週末に徹が家に泊まりに来る事になっている。その時、きっと…。

(うわ〜っ)

 思わず顔が紅くなる。
 昨日から気を抜くと、その時の事をリプレイしてしまう。
 キスして抱き合って想いを確かめ合うだけで満足しておけばいいものを、何故あんな事になってしまったのだろうか。
 徹に触れられると、まるで魔法の手のように気持ちよかった。
 何処も彼処もビリビリゾワゾワして、もっと触って欲しかった。

(俺は…徹ちゃんの事が好きなんだ)

 出会って、気づいた時には恋に落ちていた。
 正雄の態度で自分が徹の『特別』なのだと解った時は快かった。
 徹は男だと心を否定しようとしても、走り出した感情は止められない。
 だから、つい邪険に扱った。距離を取らねばと焦った。
 動揺して必要以上に気難しくなったり、冷たかった時もあったと思う。

 だが、徹は常に夏野を暖かく受け止めてくれた。
 それが夏野の心をなだめると同時に恋心を募らせると知りもしないで。

 徹を意識し出してから、肩を抱かれたり、抱きつかれるとゾクゾクして妙に居心地が悪かった。
 だが、あの時はそれと比べ物にならない。
 両思いだったという解答を見つけた二人の気持ちを遮るものは何もなかった。
 気持ちよくて、離して欲しくなくて、気づくとベッドで縺れ合っていた。
 死ぬ程恥ずかしいのに触り合うのを止められなくて、徹がTシャツの下から手を滑り込ませた後はもう…。

(ああああああああああああ〜〜〜っ!)

 夏野は真っ赤になってサドルと腕の間に顔を埋めた。

(どうかしてたんだ。どうかしてたんだ、俺はっ)

 無茶苦茶恥ずかしい。穴掘って埋まりたい反面、後悔もしていない。
 徹が好きだと言ってくれて、最後まで優しくて気持ちよかったのがたまらなく嬉しかった。

(イカン…まただ…)

 またリプレイしてしまう。あの時の声。徹の匂い。指の動き。
 おかげで授業の内容などちっとも覚えていない。文化祭の話し合いでも、まるで上の空だったのはこのせいだ。
 おかげで女装させられる事になってしまった。

「俺のバカ…ッ」

 悲しい程悔しいが、しかし、あの日以来ずっと体中が徹で一杯になってしまってる。他の事が考えられない。
 受験とか村から出たいとか、通常の悩みが何処かに行ってしまってる。
 今も抱き締められて、背後から「夏野…」と甘く囁かれてるような感覚がずっと続いてる。
 いつもの冷静で突き放して物を見てる己は何処へ行ってしまったのか。
 それでもこの今の状態が嫌じゃない。

(…どうしよう)

 夏野の自転車は自然とバス停に向かっていた。
 徹に会いたかった。幻の徹でなく、本物の徹に。声を聞きたい。顔を見たい。

(どうしよう、どうしよう)

 そう思うと一刻も待っていられない。ペダルを踏む。加速する。
 いつしか全速力で走る。バス停に向かって。

(俺…こんなに徹ちゃんの事、好きになってる…)

 バス停の屋根付休憩所脇に息を切らせて自転車を止めた。
 時刻を見ると、後五分位だ。ホッとしてベンチに座った。

 夏はもう終わりがけだ。真夏のような突き抜ける青空ではないが、天は眩しい。
 夏の日は長く、夕方でもまだ日は落ちない。蝉の声がうるさかった。
 車一台通らない国道はシンと静まり返り、昼間の埃っぽさとアスファルトの熱気を充分残している。
 必死で走ったせいか、汗が胸元を幾筋も流れ落ちた。

(…俺、どうかしてる)

 都会にいた頃は一人でも平気だった。常に一定の距離を保って皆と付き合っていた。
 幼い頃は名前の事でいじめられたが、夏野も気が強いのと、何故か女子がやたらと集団でかばってくれたせいか、小学校の半ばでなくなった。
 誰からも嫌われたり、無視されたりしない。言葉を返せば返ってくる。
 不必要に絡んでこない。あの距離感が好きだった。

 だから、村の閉塞感が嫌だった。無理矢理知らない土地に連れてこられた。
 黒々とした陰気な山や嗅いだ事もない湿った空気に何の魅力も感じなかった。
 ここでは自由に手足を伸ばせない。
 足掻くように出たくて戻りたくて、大学進学を理由に戦おうと決意した。

 でも、戻ったところで夏野の帰還を心底喜んでくれる友人はいない。
 夏野も真剣に再会したい友人がいる訳でもない。
 引っ越す時ですら『じゃあな』と軽く別れた。
 話が合い、よく話す友人達。
 でも、数日経てばお互いの生活から零れ落ちていくだけの付き合いだった。
 戻りたいのは生まれ育った都会の空間だ。住み慣れたあの自由な空気。 
 こういう部分が自分は猫っぽいのだと思う。人でなく、場所に居つく所が。

 なのに、こんな場所で、こんなに執着する相手が出来てしまった。
 誰かに会いたくて、顔を見たくて、全力疾走するなど初めてだ。
 その事実に慣れなくて、夏野は戸惑う。
 数年で出て行く。二度と戻らない。ただそれだけの通過点。
 そう思っていたのに。

『…夏野』

 あの声が囁いてくる。優しく抱き締めてくる。それが嫌じゃない。心地いい。
 大嫌いな名前なのに抱かれた時、徹に呼ばれるとゾクリとした。『もっと呼んで』と何処かで願っていた。
 耳元で呼ばれるたび「感じて」いた。求められてる。それが心臓を締め付けた。

(何遍言っても、どうせ呼ぶのを止めないしな、あのバカ犬)

 やはりどうかしてるのだ、自分は。名前を呼ばれたいと思うなど。夏野は苦笑した。
 もうすぐ徹に会える。そう思うだけで顔がにやけてしまう。
 会ったら、何を言おう。俺の事、少しは考えた?とか聞くのか?
 うわ、何考えてんだ、バカバカしい!

(会ったら、また…するの、かな)

 チラと思い、慌てて真っ赤になって首を振った。昨日の今日ではないか。
 第一、男同士の仕方も徹はまだ調べてないだろう。健全な学生生活は何処に行った。
 キスくらいならともかく、すぐそれに結び付けて考えるなんて、いやらしいと思われるだろう。

(でも…ひょっとしてって事もあるかも知れないし)

 徹にも自分と同じくらい逢いたいと思って欲しかった。
 あの手でまた触って欲しい。夏野って耳元で呼んでほしい。
 ドキドキして、妙にソワソワして何だかジッとしてられない。
 誰もいなくてよかったと心から思う。こんな顔、誰にも見せられない。

(…ん?)

 車が一台通り過ぎた。その後はまた静けさが戻ってくる。
 動くものにビクッと反応した事も、自分一人ポツンとバス停に座ってるのもバカのように思えた。

(何ソワソワしてんだ、俺は。それにべ、別におかしくないよな。
 どうせ徹ちゃんちに行くんだし、ここで待ってたって)

 たかが五分だ。待っても不自然ではあるまい。
 そういえば、もうとっくに五分位経ったろう。相変わらず、この路線は時間にルーズだ。
 これだから乗客は次のバス停まで歩こうなどバカな事を考えてしまうのだ。
 年寄りの乗車率が高いから仕方がないのかも知れないが、これが都会ならこんな事はまずない。

(早く来ればいいのに)

 夏野は暇潰しに単語帳を取り出してみた。だが、まるで頭に入らない。ただパラパラと手で弄ぶ。

(まだかな)

 待ち遠しげに国道の果てを何度も見た。
 あの先に行きたいとこの村に来て以来ずっと思っていた。
 だが、来るのを待つのは初めてだ。

(それって、まるでここが俺の居場所みたいじゃないか)

 それは少し不満だったが、徹が帰ってくるなら構わなかった。
 村じゃない。自分の元に帰ってくるのだ。
 徹が夏野の居場所であって、村に愛着が出来た訳じゃない。


 スッと何か光るものが視界を過ぎった。
 虫かなと思う前に幾つも地面に水玉が出来る。雨だ。
 晴れているのに雨が降ってくる。天気雨だ。
 何も遮るもののない田舎はあっという間に白と金のカーテンに包まれた。
 篭った熱気と埃の匂いが濡れたアスファルトの匂いと交替していく。少しだけ気温が和らいだ。

「…へぇ」

 空は薄く曇っているが、太陽は未だに燦燦と降り注いでいる。雨の気配もない。
 それなのに、雨が降り注ぐのがひどく不思議だった。神秘的な程、世界が眩しく輝いている。
 これまで村の自然が嫌いだった。樅の黒さが牢獄のように見えて好きになれない。
 だが、徹を育んでくれた場所だと思うと、少しだけ見方が変わった。

(…この村も綺麗な時があるんだな)

 思わず見惚れた時、黄金のカーテンを押し退けるように黒い巨体が現れた。バスだ。
 夏野は思わず立ち上がった。
 こんな異世界の中で、バスは変哲もないいつもの姿でのっそり近づき、扉を開ける。
 夏野は顔を傾け、少し伸びをした。息を詰めて、降りてくる客の顔を必死に探す。
 徹は最後だった。

「夏野…!」

 ちょっと驚き、弾けるような笑顔を浮かべて徹が降りてきた。

「え、何? どうしてここに?」
「どっ、どうしてって…」

 夏野は思わず口ごもった。待ってたと認めるのが少し恥ずかしい。
 淋しくて会いたくてたまらなかったなんて。昨日会ったばかりなのに。
 正直に言えなくて、そっぽを向いた。

「ちょ、ちょっとここを通りかかっただけだから…っ」
「ほえ? 夏…」

 徹が何か言いかけた瞬間、バスが発車した。
 途端に風が舞い上がり、雨がこちらに噴きこんでくる。二人の半身を叩いた。

「うわ、凄ぇ!」
 徹は思わず夏野をかばうように雨の前に立った。

「夏野、傘は?」
「いや、自転車だし」
「そっか、夕立だもんな。俺も傘ないし、少し雨宿りしてこうか、夏野」

 徹はクイと夏野の腕を引っ張ると、トンとベンチに座る。
 そのいつもの徹の口調に夏野は少しだけ物足りなさを感じていた。

『うわ〜っ、俺を待っててくれたのお、夏野おお。俺は嬉しいぞぉおお〜!』

 と、抱きついて、全身で喜びを表すのではないかと心の何処かで期待していたのだ。
 素直にそう言ってくれれば、こちらも取り繕わなくて済んだのに。
 勿論、無礼者はぶん殴るが、肩透かしを食らったようで少し淋しい。
 そう思う自分をバカだと思った。
 素直になれない自分をいつも徹がカバーしてくれてる。
 不器用で動けないのはいつも夏野の方だ。
 夏野は赤くなった。

(…何考えてんだ。俺はやっぱりどうかしてる)

 自分に頭痛がして、夏野は徹の隣に座った。



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