長編

□煩いマナーモード
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仕事中に携帯をマナーモード、もしくはサイレントモードにしておくのは大人の常識だと思う。
さすがの私も、高校時代からケータイを持ってはいたが授業中はもちろん、放課後やバイト中、さらには自宅にいる時も常にマナーモードでいた。それ故に数え切れないほどの電話をスルーしてきた(次の日、友人にこっぴどく怒られた)

その癖の所為かどうかは知らないが、社会人になった今でもケータイは常にマナーモードになっている。
それに今は会議中。マナーモードにしていないと、もしケータイがなった時に部下に示しがつかない。


前のケータイはバイブレーションの振動が小さく、あの独特のウィィイン、と言う音が小さかったので本当に愛用していたのだが、この間残念な事にご臨終なされた。
原因は水没+高いところからの落下。見るも無残なケータイを拾い上げ、その足でケータイショップに向かい、仕事の都合上すぐに携帯が必要だった私は数十分で用意できる携帯
にしてもらった。なので、機能などの説明は読んでいないに等しい。

マナーモードにしていれば、会議中も携帯が鳴る心配はない。
そう確信していた私の心は、次の瞬間、あっけなく崩されることになる。



「名無しさんさん!電話っす!」

「…は?」


どういうことだ。
私はこの携帯をマナーモードにしていたはずだ。なのになぜ。


「携帯バイブってるのって、先輩のですよね」

「あ、うん…」

「あ、出てきてくださっても大丈夫っすよ。俺達で、その間やっとくんで」

「ご、ごめんね赤崎君…。じゃあ少しお言葉に甘えて…」


何が"部下に示しがつかない"だ!
思いっきり部下に心配されてるじゃん!気遣わせちゃってるじゃん!
なにもかもすべて…!




「恭平!!!」

「な、なんすか!俺ちゃんと小声で名無しさんさんに知らせたじゃないっすか!」

「あんたの小声はデカいの!あぁ、もう!なんで機能も読まずに買っちゃったかな…!…もうこの際仕方がない。サイレントにしよう。うん、最初からサイレントしておかなかった私が馬鹿だったんだ…。そうだ、うん…」

「名無しさんさん…?目、死んでますよ…」

「誰の所為だと思ってんだ世良ァ…!」

「(堺さんっぽい…!怖ぇええ…!!!)」


恭平に一睨みしておいてから、先ほど抜けてしまった会議に戻った。
…赤崎君のおかげでだいたいの仕事は終わってしまったが。








「あー、もう!今日全然仕事できなかったじゃん!恭平の所為だからね!」

「俺は何も悪くないっす!」


家に帰ってから、今日仕事であったことを恭平に愚痴としてぶつける。

「俺は携帯としてちゃんと役目を果たしたのに、なんで怒られなきゃいけないんスか!」

「あんたの声がでかすぎるの!その所為でみんなに迷惑かけちゃったじゃない!あぁもう!」


よし決めたぞ。
私は明日からサイレントモードにして生活する。電話とかメールなんか気付かなくたって大丈夫!どうせメールなんて夜に返せばいいだけだし、電話だって後々かけ直せばいいんだもん!


「名無しさんさんが…」

「?」

「名無しさんさんが、俺の事、ちゃんと気にしてくれないから…。バイブとか音の事とかしか気にしてくれないから…!俺自身を見て、くれないから…!」

「恭平…」


こんなちっちゃい(この事を本人に言ったら怒るんだろうけど)体で、私の目覚ましから電話対応、メール受信まで全部をこなしてくれて、いつも私の愚痴を聞いてくれて…、

いつも、私と一緒にいてくれたのに。

私は彼の何を見ていたんだろう
私は彼をどう見ていたんだろう
私は、彼を―…


「…、ごめん、恭平」

「・・・・」

「恭平の事、何も分かろうとしなかった。恭平の事、ちゃんと見ようとしなかった。恭平は、いつも私の事、一番に考えてくれてるんだよね」

「名無しさんさん…」


こんな当たり前のことが、今更漸く分ったんだと思うと情けなくて目の前が涙で揺らいでくる。ここで泣いては駄目。まだ恭平に行ってない事、ある。


「ちゃんと見てなくて、分かってなくてごめん。これからは恭平のこと、もっと大事にする」

「…大事になんて、しなくっていいっす」

「え…?」

「すぐにバッテリーが切れるとか、傷だらけとか。そう言うのって持ち主にいっぱい使ってもらったって言い何よりの証拠だと思うんす。だから俺は、傷のひとつひとつを、名無しさんさんと過ごした思い出たと思って、大事にしたい。いっぱい使ってほしいんっす」


私の携帯は、私よりも大人な思考の持ち主だった。
たぶん私は、携帯がボロボロになろうとも、バッテリーがすぐに切れるようになっても、末長くこの携帯を愛用していくだろう。

この煩くて、すぐいじけて、小さな本体で、でも全身を使って気持ちを表現してくれる、この携帯と、多くの思い出を作っていきたいからだ。


煩いマナーモード
(今ではこの煩さでさえも愛おしいだなんて)
(彼の熱が移ったのかしら)


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