駄作書庫

□竜騎士物語
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 何百年経ったのだろう?
 彼女はずっと待ち続けた。愛し続けた。
 彼がそこから出て彼女を抱き締める事も、愛の言葉を囁く事も無いまま、それでもただ彼女の傍にいたいからと、彼自身が望んでそこにいる。
 脆弱な肉体の彼が、彼より屈強な肉体を持つ彼女と、少しでも長くいたい。その中でも最適でありながら、互いに深く傷付いてしまう方法。
──お願い
 息も涙も凍りつくこの地で、彼女はひたすら待ち続けた。
──もう、ずっと一緒にいたいなんてワガママ、言わないから……
 触れられそうで触れられないジレンマが、幾度と無く彼女を襲った。
 勿論、今も。
──だからせめて、声だけでも、温もりだけでも……
 彼女は淋しかった。淋しいと言う事さえも、許されていなかった。
──……お願いよぅ……

 黒とも茶とも言えるほど曖昧な色合いの岩壁が、それまで視界のほぼ全てを覆っていたが、急に目が痛くなる様な青が広がったので男はそこが「端」だと思った。一般的に括ってしまえば、そこは端ではない。
 平べったい世界地図では東に位置している、緑の大陸(ビリジアン・グラウンド)。緑が豊富にある事から名付けられたこの大陸の端と端の間で、そのどちらとも言い難い場所だ。不毛の岬と呼ばれている。
 それでもなお、男は立っている場所こそが端だと思った。彼にしてみれば、陸が無くなったと感じた場所が、世界の端っこだからだ。
 男は、切り立った崖の先端に行こうとした。寝て起きたばかりの頭に、空と海の青を染み込ませ、まだ眠ったままでいる思考を動かしたかったが、道とは言えない道の幅より少し大きめの物体が、まるで岩石の様にこんもりと通せんぼをしていた。彼にとっては見慣れた光景だ。
 不規則ではありながら、安定した膨張と収縮の繰り返し。要するに睡眠状態。
「起きろよ」
 男は少し乱暴にその生き物を蹴った。
 ──ガツン──
 耳障りな音が返答する。蹴った方も蹴られた方も、金属性の高い素材である事を証明している。外装部分を蹴っても、内部へ衝撃が伝わる事は無い。それでも普段はすぐに起きるので、完全に寝入っている事がうかがえる。
 もっとも、たったそれだけで起きるとは微塵も思っていない男は、更に強く外装部分を蹴った。
 ──ガイン!──
「────!」
 声にならない声を発し、その場にうずくまる男。音で起きた小鳥達が、心配そうに小首を傾げた。それ以上の強硬手段は得策では無いと判断し、今度は諦めのため息と共によじ登り始めた。己の身長とほぼ同じ高さの生き物を飛び越えるのは、男にとってはたやすい。それでも地道に登ろうと思いついてしまったのは、彼自身が寝惚けているからだった。
「どいてどいて。オラ、邪魔するんじゃない。しっしっしっ」
 表面積が広いこの生き物は、他の生き物達にとっては陸と同じ。何故この陸地を離れなければならないのか、理解しないままに退いた。退いてすぐ、新たな陸地を見つけ、翼や羽を休める。男の肩や頭は、暫くもしないうちに賑やかになった。
 もう少しで一番高い所に手が届くという場所で、
「う、きゅ〜……」
 意味不明な呻き声を上げながら、寝返りらしき行動を起こす、爆睡中の生き物。大地が動いた感覚に襲われ、斜面を滑り落ちる石ころの様に転げ落ちたが、長年に渡って染みついた受け身を自然に取った。起き上がって避ける間も無く、男は巨体に腰から下を潰された。
「こら、起きろーッ! 俺を殺すつもりか、コノヤロー!!」
 厚手のゴム製グローブでぺしぺしと物体を叩くが、情けない音がする以上の効果は、これと言って無い。
 日光浴を終えた小動物達は、わざわざ男の顔面を通って──兜をかぶっているが、その中に迷い込んだ生き物はいない──、それぞれの狩り場に出かけた。
「起きろっつってンだろぉが、このネボスケーッ!!」
 男は危機的状況にありながらも、常に携えている得物を手放さなかった自分を褒めつつ、得物の尖った石附でちくちく巨大な生き物を刺す。彼の得物は槍。それも、槍と言うよりは柄の長い斧の様な武器で、突くという槍本来の働きより薙いだり斬りつけたりといった、個人戦向きの槍だ。外見的には斧の様な刃に、太い鉄パイプが付いた様な代物だ。そんな刃でこの生き物を突ついたり出来ないので、必然的に石附で突くという行動に出る。彼の今の目的は、相手を倒す事≠ナは無く相手をどかす事≠ネのだから。
下半身や腕が痺れてくる。腕の痺れは、見た目より遥かに重い槍を支え、のしかかっている巨大な生き物の弱点を正確に突ついている結果だ。少しずつ思い通りに動かなくなるのを感じながら、男は根気よく突つく 。
 通りすがりの人間が男を観察しているとするならば、彼が感じている時間の流れは遅過ぎると言っただろう。ほんの数分間だけだったが、それでも彼は何時間も格闘していた様に感じた。
 じりじりと昇る朝日が彼を熱し、唯一露出している顔の下半分に、汗を噴出させる。戦いの緊張から来る汗とは違っていたが、彼の体力を奪うのには充分だ。
「起きやがれ、コンチクショーッ!!」
 苛々した男は遂に、力の限り得物をのしかかっている巨体に突き刺した。弾力のある手応えはしかし、先程と大して変わらなかった。
「いったぁぁぁいッ!!」
 人間で言えば女性体の声が発せられ、男を潰していた生き物が、ようやくずもっと動いた。ほんの少し。
 表皮である鱗は、翡翠の様に美しく太陽光を反射している。胴体の数倍長い翼を折りたたみ、逆三角形の頭を前足の上に乗せている。象牙色の牙は、小さくても人間の骨を軽く貫通する。猫の爪の様な三日月形の鉤爪は、内側がギザギザしていて、獲物を斬り裂くのに丁度良い。尻尾はトカゲの様に長くてしなやかだ。先端に白い紐がきゅきゅっと蝶々結びにされている。
 頭部の上半分を覆う兜は、材質不明。目の部分にだけ穴が開けられ、縁という縁を金箔で飾っている。耳の辺りで翼の様な飾りが付いているのも、特徴的だ。翼と胸の辺りにも、鎧。翼の鎧は指の様になっている骨組みの外側を覆い、胸の辺りには人間とさほど変わらない胸当て。
 人間は、通常この生き物をドラゴンと呼び、恐れる。厳密に言えば違うのだが、異種族の個別認識は非情に曖昧な為、本物のドラゴンと彼女──と呼ぶべきだろう──の区別がつかず、一括りにしてしまう。
 せいぜい実際に戦っている所を見て、やっとドラゴンではないと確信できるくらいだ。彼女は、ドラゴン共通で最大の特徴である炎を、噴く事ができないのだ。
「あら、兄さん。そんな所に居て……どうしたの?」
「早くどけよ! もうじき骨が折れたりだの神経千切れたりだの……面倒な事になりそうなんだよ、お前の所為で!!」
 長い首をぐいっと曲げて覗き込む妹ドラゴンに、下敷きにされた足でこれでもか、と兄。再び短い悲鳴を上げ、仕方なく遅鈍な動作で場所を少し移動した。彼女にとって、重力とはただの鎖でしかないのだ。
「どーせ光合成すれば治るじゃない」
 ぶちぶちと愚痴りながら、再びうずくまる。
 彼女の言う光合成≠ニは、葉緑素を持つ生物が太陽光を浴び、二酸化炭素を糧として活動エネルギーと酸素を作り出す事≠ナは無く、ドラゴンの血を引く者が太陽の光を糧にして、生命エネルギーを作り出し、傷を癒す事≠ナある。勿論、光合成とは違い、自分の意思で切り替える事ができるので、正しくは無い。
「光合成言うなっ!」
「怒っちゃヤん☆」
 兄の言葉に、妹。血の繋がりのある兄妹だけあって、その呼吸はぴったり。漫才をさせれば、十中八九笑い死にしそうになるだろう。しかも、妹が妹。ドラゴンの外見とは不釣り合いなお茶目さで、今もくねくねと尻尾を遊ばせている。別の意味で恐ろしい。
 男は半分まどろみながら、耳元でピーチクパーチクさえずる小鳥を、鬱陶しそうに払い除け、ゆっくりとまぶたを閉じる。
「何分くらいかかりそう?」
 不満を述べる小鳥達に鳥語で言い聞かせながら、妹ドラゴンは男に聞いた。
「さあな」
 と、男。
「誰かさんのおかげで、体力を大分消耗したからな。今飛んだら間違い無く、失神して落ちるだろう」
 妙に冷静なのは、慣れているからか。疲れきっているからか。
 多分、その両方だろう。
 男の寝息が聞こえると、妹ドラゴンは男の兜をくわえ、卵の様に抱いた。
 男の視界は、長く伸びた前髪が邪魔をしているが、彼にとっては大差無い。普段は兜がその視界を覆い隠しているのだから。
「寝る時くらい外してもいいと思うのよ。聞こえているだろうけど」
 ドラゴンの頭部を模した、濃い藍色の兜を一瞥。それは、彼が竜騎士と呼ばれる職に就いた際、人々の好奇の目から逃れる目的で特別に作らせた物だ。
「兄さんも私も……このままの方がいいわね、きっと」
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