千夜一夜


八夜
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握られた手が触れた場所に驚いて、手を引いた。

「逃げちゃダメでさぁ。…落ち着いて…土方に抱かれた時のことを思い出しなせぇ…」

なに言って…。

戸惑い、出来ないと首を振る。

聞こえた溜息が何を思ってのものか…見えないせいで不安が増した。

「名前…あんたはもう一度土方に抱かれたいと思ってんでさぁ」
「…え?」

…私が…土方さんに…?

自分の胸に問うように考えてみるが、そんな気持ちは微塵もない。

「そんなこと思ってないよ…」
「意識はなくても、身体はそう思ってんでさぁ」

心と身体は繋がってるんじゃ…。

例え繋がっていないとしても、受け入れられる内容ではない。

「…土方に抱いてもらうのが一番手っ取り早いんですがねィ。…名前…あんたはそうして欲しいですかィ?」

問われて…その意味を理解して首を横に振る。

無理だ。

あの土方さんに、私を抱いてもらうなんて…。

絶対に無理。

必死に拒絶する時点で、少なからずそう望んでいたのだという事実には気づけない。

それくらい、気が動転していた。

「なら…自分でなんとかするしかないでさぁ…。分かったら言う通りにしなせぇ…」
「それしか選択肢はないんですか?」

出来れば、何もしないという選択をしたい。

「それでまたぶっ倒れて、みんなに心配かけるつもりですかィ?」

…心配…?

「仕事片付かねぇから、迷惑もかけまさぁ」

…迷惑…。

それは嫌だ。

心配も迷惑もかけたくない。

私なんかのためにそんなこと…。

「やるのかやらねぇのか…どっちでィ…?」

どっちかしかないのなら、答えは一つしかない。

「…やります」

そう言って手を差し出せば、すぐに手を取られた。

「…土方にされたことを思い出すんでさぁ」

言われるままに、あの日の記憶を蘇らせていく。

あの長い指がどんな風に動いたのか。

いつも煙草を銜えるあの唇が、どんな風に肌を滑ったのか。

思い出すのが怖くて押し込めていた記憶は、色褪せることなく鮮やかで…。

色も音も、体温も感覚も。

全てが、今この時に行われているような錯覚に陥ってしまう。

どうしたらいいのか分からない感覚を耐えるように、空いている方の手で布団を握りしめた。

土方さんに握られたままの手が熱い。

………あれ…?…違う…此処にいるのは…総悟くん…?

側にいるのが誰なのか分からなくなるほど、蘇る記憶に夢中になっていた。

我に返ったせいで、一瞬にして熱が引く。

それに気付いた総悟くんが、指先から肘に向かって指を滑らせた。

擽ったさに腕を引けば、それを許さないというように強く握られる。

「余計なこと考えないで集中しなせぇ…」
「…無理なんですけど…」

一度途切れたら、中々集中出来なくて…。

諦めた方がいいと言うように首を振った。

「記憶だけで火が点いてくれりゃ、一番手っ取り早いんですがねィ…」

溜息とともにぼそりと呟かれ、申し訳ない気持ちになる。

私のためと考えてくれたのに、何一つとしてまともに出来ない。

でも、思い出さなきゃと、集中しなきゃと思えば思うほど、遠退いていくのだ。

焦るばかりで、どうにもならない。

「…総悟くん…やっぱり無理みたいなんだけど…」

申し訳ないと思うからこそ、早々に終わりにすべきだと思った。

何をさせようとしているのか、薄々は感じていて、だけどそれがどう自分の為になるのかは分からないから、余計に止めたいと思ったのだ。

知らないままでいた方が身のためと、本能が言っている。

今ならまだ間に合う。

今なら、持て余すだけで済む。

土方さんにもう一度抱かれたいと思っていると言われたことをそう容易くは受け入れられないながらも、納得はしていた。

眠れなくさせているのは、あの日の土方さんなのは確かで。

思い出す側から身体が熱を持ちはじめる感覚は、毎夜私を苦しめていたから…。

それを欲求不満と呼ぶのなら、そうなのだろう。

だけど、それを発散してしまいたい気持ちはない。

消えてなくなって欲しいとも思わない。

あの日受け入れたという事実を消すことはしたくないと、漠然とながらも思うのだ。

それは、土方さんのミツバさんへの想いすら消してしまいそうな気がする。

実際そんなことはないと分かってはいるのだけど、土方さんが忘れるより先に忘れることはしたくなかった。

土方さんの口づけの仕方も、その舌の熱さも、触れた指先の微かな震えも、壊れ物を扱うような優しさで沈められたことも、耐え切れなくなったように少し荒い息とともに呼ぶ声も。

その全てを、ミツバさんの為にも覚えておきたい。

決して自分の為ではないのに、それが何故私を苛むのか…。

その理由が分からないけど、分かりたくないとも思う。

だから、総悟くんにそれをさせたら…例え片鱗だとしても…何かに気付いてしまいそうで嫌なのだ。

怖い。

逃げたい。

それは、土方さんから逃げたくなるのと同じ種類のものだった。

何も知りたくない。

周りが変わることよりも、自分が変わることの方が怖い。

少しずつ、ゆっくりと変わっていっていることに気付いているからこそ、それを嫌だと思う。

蝕まれていく気がするのだ。

得体の知れない何かに、身体の内から侵されていく。

それを知れば後戻りは出来ないと、分かっていた。

きっと、もっとと貪欲になる。

失う怖さに怯えた挙句、失った悲しみに耐え切れなくて、壊れてしまう。

今のままがいい。

もう、期待も希望もいらない。

欲しいものなんてない。

だから、構わないで…。






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