千夜一夜


八夜
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「世の中ってのは単純に出来てんでさぁ」

今まさに、「放っておいて」と言いかけた時、総悟くんが徐に口を開いた。

聞こえた台詞に、何を言うのだろうと気になって、開きかけた口を閉じる。

「単純に考えられなきゃ、生きていけないんでさぁ。名前…あんたは複雑に考え過ぎなんでィ…」

私が、複雑?

いつだって、単純に考えてきた。

居場所を失わずに済むように、いつだって、物事は単純だったというのに…。

幸せになんて望めない。
だから望んだりしない。

愛してなんて、そんなことを思っては生きていけないから、微かに残る思い出さえ捨てたのに…。

「…複雑、ですか?」

よくよく考えてみたら、単純も複雑もないのだ。

考えないこと。

意思など持たぬこと。

そうやって、生きてきたのだから…。

「呆れるくらい複雑でィ…。もっと素直に受け止めなせぇ。相手も、自分も…。でないと、アンタ、死にやすぜ?」

死ぬ?

そんな大袈裟な話なのかと驚いて見るが、もちろん見えるワケもなく…。

そこでようやく、アイマスクをしたままだと気付いて、顔に手をやった。

「…何勝手なことしてんでィ…」

握られた手をそのままに、もう片方まで取られてしまう。

「もう必要なくないですか?」

無理だと告げた時点で終わった気でいたから、何故ダメなのかと聞けば、「まだダメでさぁ」と返されてしまった。

暗闇は、落ちつきはするけれど、なんだか心もとない。

「…名前が自分で出来ないってんなら、オレがしてやりまさぁ…」

はい?

「…え?するって…何を?」

まさか…と考えて、いやいやまさかと、それを否定してみる。

解かれた手がぱたりと布団に落ちて、総悟くんがついた溜息が頬を擽った。

「…な、何…?」

すぐ近くに顔があるのだと気付いて、慌てて身体を起こそうとしたら…押さえつけられてしまった。

「…苗字…」
「………え?」

いつも名前で呼ぶその声が、いきなり苗字を呼んだものだから、余計に焦る。

私の近くにそう呼ぶ人間は一人しかいないのだ。

「…黙って大人しくしてろ…」

聞こえる声色は総悟くんなのに、その口調は土方さんにそっくりで…。

…混乱してしまう。

「俺に触られたかったんだろ?」

違うという言葉が声になることはなかった。

聞こえた台詞を理解した時には、暗闇にあの日の土方さんが浮かんで…。

私の脳はいとも簡単に騙された。

肩を押さえていた手が撫でるように下がって、躊躇う素振りもなく胸元に侵入する。

素肌に触れた指先は、驚くほど冷たかった。

記憶にある体温と違う…そう思って身体が強張ったのは一瞬。

すぐに、目的のものを探し当てた指に翻弄され、力が抜けていった。

与えられる感覚に身体が震えて、一気に熱が上がる。

それがあまりにもあっという間だったから、総悟くんの言ったことは本当だったのだと、受け入れざるを得なかった。

身体は与えられるものを欲しがっていて、それはまるで、飢えを満たされるのに似ていた。

零れる吐息も満足げで。

自分の身体なのに、自分じゃないみたい…。

そう思ったら急に怖くなって、今だに胸を弄ぶ手を抜き取ろうと掴んだ。

「…苗字…余計なことすんな…」
「で、でも…」
「気持ちいいんだろ?我慢すんなよ…」

掴んだ手を振りほどかれて、火照った肌を風が撫でる。

それにすら震えて、それが胸元を開けられたせいだということに気付けないでいた。

「…んぁ…や…」

指先よりも熱いものが触れて、その濡れた感覚にようやく気付いたほど、呑まれてしまっていた。

もっと、もっとと欲が出る。

倒れてしまうほど飢えを訴えていた身体は、やっと与えられたものに貪欲になって…。

まだ足りない、こんなものじゃないと、一度だけ与えられたものを思い出して、はしたなく強請りはじめた。

…ついていけない。

置いていかれてしまう。

覚えのある感覚を必死で堪える。

あの時は無我夢中で、堪える術も知らなかったから、流されるままだったけれど…。

一度耐性が出来たせいか、その時ほど一気に昇りつめることもなく、止めた息を吐いて気を逃す。

波が去ったと安心した途端、それを許さないとでもいうように、与えられる快感が強くなった。

「…ん…やっ、やぁ…」

指が触れていたそこに生温い風を感じたと思った次の瞬間、抗えないほどの痺れが全身を襲った。

「…我慢すんなって言っただろーが…イケよ…」

聞こえた言葉に首を振って、ギュッと布団を握ってやり過ごそうとはしたものの…結局は、その波に呑まれてしまった。

…怠い。

息を整えながら余韻に浸る身体は驚くほど重くて、ただ呆然としたまま落ち着くのを待つ。

「…ダメですかねィ…」

ぽつりと呟かれた言葉が聞き取れなくて、何を言ったのかと聞き返そうとしたが叶わなかった。

「…ちょ…も、無理…で…ぁ…やだ…や…ま、待って…」

休む間もなくまたも与えられだした快楽。

逃げ出したいと心は叫んでいるのに、身体は当たり前のように受け止める。

まだ足りないの?

自分自身に問うものの、答えなど得られるハズもない。

瞬く間に呑み込まれていく。

舌先だけの愛撫では足りないと訴えだした身体を、宥めようとはしているのだ。

間違ってもあられもない言葉を発したりしないようにと、唇を噛む。

その様を笑ったのか…一瞬唇が離れて、吐息が擽った。

…そういえば…あの時も…。

必死で呑まれないようにと自分の手を噛んで堪えていた私を、土方さんもそうして笑った。

「…土方、さん…」

それを思い出した途端、頭の片隅にいた総悟くんは消えて…。

暗闇にぼんやりと浮かんでいた土方さんは、色も体温も持った実体となっていた。

一度その名を呼んでしまえば、身体も心も騙されだす。

今、この時、私を翻弄しているのは…あの日の土方さんだった。






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