千夜一夜
□四夜
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「あの…坂田さん…」
伺うようにこちらを見る名前に溜息が出た。
ビクリと震えた身体には気づかないフリをして言葉を紡ぐ。
「その“坂田さん”ってのやめてくんないかなー?って何回言えば分かってくれんのかね?」
そう言うと、困ったように目を伏せる。
他人との距離が近づくことを極端に怖がるせいか、名前はいつまでも俺を苗字で呼ぶ。
「銀ちゃんって呼んでみ?」
出来ないとでもいうように、ふるふると首を横に振る名前。
いつもならすぐに引くところだが、相談なんか持ち込んで珍しく気持ちを吐き出したんだ…今ならと尚もしつこく言う。
「呼ばねーと団子やんねーぞ」
驚いたように顔をあげて俺を見た名前が、一瞬の間をおいて笑った。
いい顔すんな…。
でもそれは一瞬。すぐに陰って、溜息とも呼べないほどの小さな息を吐く。
「…もう一つ、いいですか?」
まだあんの?
銀さん、あんまりキャパないから、難しいことはこれ以上は無理。
「…私、最近…よく分からないんです」
「何が?」
「今までなら誰が何を考えてるのか…手にとるように分かったんです。でも、みなさんとお話をするようになってから、だんだん読めなくなって…」
いい傾向だと思う。
名前みたいになんでもかんでも分かっちまうほうがおかしい。
分からねーから会話すんだしな…。
名前が今まで真選組の奴らと話しをせずに済んでたのはそのせいだ。
それがなくなりゃ…いやでも会話せざるを得ねーもんな。
「…最近特に酷くて…昨日なんてみなさんに自分でお茶を入れさせてしまったし、お膳も数人分しか片付けてあげられなかったんです………ちゃんと用も出来ないんじゃ…やっぱり私、追い出されちゃいますよね?」
そんなことで自分を責めるって…。
おめーら…それくらい自分でしろよ。
うちなんか誰もそんなことしてくんねーよ?もし頼もうもんなら目茶苦茶キレられるよ?
「別にいいんじゃねーの?やってもらったらありがとうって笑って言やぁいいだろ」
「そうなんですよ」
何が?
その返事の仕方おかしいよね?
「私が何かすると、みなさん“ありがとう”って言うんです」
…それ、普通。
「みなさんがお礼を言えないのではなくて、お礼さえ言わせないようにしてたんです。今までは…私が何かしてもしなくても…どちらもいけなかったので…」
何もしなけりゃそれを詰られ、何かすりゃ目障りだと虐げられる…か。
最初のうちは“ありがとう”と笑って言っていた人達も、時が経つにつれて“押し付けがましい”と言い出すし、“ありがとう”と言うと笑って“いいのよ”と言ってくれた人達も、“何一つとしてまともに出来ないのか”とそう言って追い出したらしい。
だから、どちらもあってはならないことなのか…。
「ありがとうって言われたら“どういたしまして”って笑っときゃいいんだって」
あいつらの“ありがとう”に他意はねーだろうよ。
「…でも…今までは普通に出来てたのに…どうしてでしょうか?みなさんが何を考え、何を欲してるのか分からないなんて初めてで…」
そんな能力必要ねーよ。
身につけるハメになった過程が過程なだけに、そんなものなくなる方がいいに決まってる。
そうやって、少しずつ普通の女の子に戻ればいい。
「手始めにさ。銀ちゃんって呼んでごらんなさい」
「なんの手始めですか?」
いいからと流して、促せば…
「……………ぎん………さん?」
まぁ、いいか。
一歩前進だな。
「上出来だ。ほら…ご褒美だ…食え」
食えも何も買ってきたのは名前だが、そんなことはどうでもいい。大事なのは気持ちだ。
「…で…もうないか?どうせついでだから全部聞くぞ?」
団子を食べる名前に聞けば、しばらく考え込んだ後にそういえば…と顔を上げた。
「沖田さんが私の傷痕のこと、近藤さんに聞いちゃったみたいで…」
ゴリラは人のことをベラベラと喋るような奴ではないが、相手が沖田じゃなんだかんだと言いくるめられて喋っちまうだろう。
「なんか言われたのか?」
「いいえ…それが何も…」
聞いたのは確かなのだと、そう名前は言った。
「時折、申し訳ないくらい悲しそうな顔で私を見るんです。一瞬ですけど…」
ふーん…あのドSが悲しそうな顔ねー…。
「…まぁ、あいつも両親早くに亡くしてっからな」
過保護な姉貴はいたけどな。
名前には関係ないことと、その話はあえて口にしなかった。
だから、名前が“ミツバ”とその名を口にしたことに驚く。
「ミツバさんも亡くされて…沖田さんも一人ぼっちなんですね…」
「沖田さん“も”じゃねーだろ」
「………?」
「あいつには局長も副長もいるからな」
誰よりも過保護なのは実はあいつら二人だ。
「お前もなんかあったら二人に頼れ。ま、銀さんのが何倍も頼りになるけどー」
そう冗談めかして言ったら、「そうですね」と笑った。
…ああ…やっぱ、こいつ笑ってるほうが全然いいわ。
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