帝王の書斎
□琥珀と藍色
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夜の風に吹かれて、桜が散っていった。月光の中に花びらが舞う。
蒼い光に照らされて踊る桜吹雪。
そんな幻想的な風景に、俺は目を奪われていた。
「綺麗、だ」
思わず呟いた言葉は、夜の静寂に溶けて消えていった。
さらさらと頬を撫でていく風が心地よい。
眠れなくてこっそり抜け出してやってきた、寮舎の裏手にある桜の広場。
同室者であり、俺の主である彼――名前を夜風藍色という――はぐっすりと眠っていたため、起こさずにきた。
だから今はひとりだ。
最近ずっと藍色と一緒に居たから、こうやって外にひとりという状況がなんだか慣れないもので、落ち着かない。
「――本当、綺麗」
今度は、意思をもって呟く。
誰に当てた言葉でもない。
あえて言うなら、自分にあてたものだった。
散っていく桜は綺麗だ。
背景に広がる漆黒の闇は、まるで藍色の瞳のよう。
藍色がいたら、この景色はきっと、より一層綺麗に見えるのだろう。
ここにはいない藍色を想い、俺は瞼を閉じた。
感じるのは優しい夜風と桜の木々の葉の揺れる音だけ――
俺は、ゆっくりと眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇ ◇
「――く、琥珀!」
「…………ぃ、いろ?」
一瞬、自分がどこにいるのかがわからなかった。
開いた目、視界いっぱいに広がるのは藍色の顔。
「たく……なんでこんなところで寝てんだよ」
「あー……」
あのまま、寝てしまったのか。
桜に、芝生――それらを確認して、起きぬけの頭で理解した。
「藍色、探しに来てくれたの?」
此処にきてくれたということは、まあ、そういうことなんだろうけど。
なんだかそれが嬉しくて、訊ねた。
藍色はそれをすぐに肯定する。
「ああ。のど渇いて起きたらお前居ねぇんだもん。びっくりしたじゃねえか、……ばか」
「……ありがと、藍色」
頬がだらしなく緩むのを感じながら微笑む。
すると藍色もにっこりと微笑んで、
「迷子の飼い犬をさがすのは、飼い主の役目だろ?」
と、俺の頭を撫でた。
「……迷子じゃないし」
「じゃあ、勝手にいなくなんなよ」
「……りょーかい」
「全く、琥珀はだめな犬だな。悪い犬には仕置きをあげなきゃな……?」
その言葉に、俺の胸は高鳴った。
いや、俺がMだという訳ではないから安心してほしい。
「……了解ですよ、あるじさま」
そういって両腕を藍色に伸ばし、彼のしっかりとした体を抱きしめる。
抱き返された俺の体。
それから、藍色の体重が俺に預けられて。
――乾いた芝生の上に、俺たちは倒れこんだ。
◇ ◇ ◇ ◇
四月の夜は、まだ、寒い。
だけど俺は、衣服をすべて藍色に奪われても、それほどの寒さを感じなかった。
それが、密着する藍色の体温のおかげなのか。
――体の内部で火照っているもののおかげなのかは、わからないけれど。
「――ぁ、うあ……い、いろ」
「ん……どうした、琥珀?」
色っぽい声で囁かれて、背筋をぞくりとしたものが駆け上っていった。
俺の肌の上を這っていく藍色の手の感触が、一層俺の欲を掻き立てる。
藍色の背に回した腕にぎゅっと力を込めて、入らない力を振り絞ってねだった。
「――もっと、藍色……感じ、させて」
自分からこんなことを言うなんて。
羞恥心に、さらに体が熱を持つのを感じた。
藍色が、俺の耳朶を咬む。
それは――了承の合図。
それから――俺たちは、長いことそこで、戯れていた。
桜は、相変わらずに幽玄で。
月は淡く、青い光で俺たちを包み込んでいた。
END