緋紅的牡丹

□世界でいちばん醜い愛を
2ページ/2ページ

簡素な夜ごはんを食べている際に、彼女の眉間の皺が寄ったのを見て、まさか砂糖と塩を間違えてしまったのかと蒼白になったが、どうやら違うらしい。忌々しげに、少し冷や汗を垂らした顔でドアの付近を見ていた。

「最悪だわ」

椅子をぶつけて倒しながら立ち上がった彼女を見て、ハルも立ち上がろうとしたのだが、古びたドアノブが動いたのを見て動きを止める。

この屋敷は、ハルのおぼろげな記憶では森の中にたたずんでおり、鬱蒼と茂った木々の合間を適当に抜けただけじゃ来る事の出来ない場所だ。野生の熊や猪の心配を、少し前に彼女にしたのだが鼻で一笑された。此処は見えないよう、魔法をかけておいたと、悪戯な弾んだ声で言ったのだ。

それなのに今、ドアを開けて入って来た、スーツ姿の眼鏡をかけたニット帽の男が侵入してきた。

見た事のある顔だった。

「・・・なーんだ、千種か。骸ちゃんじゃなかったのね。」

「・・・骸様はこんな事しない。その子、連れて帰れって。」

ゆらり、と上げた腕と指差されたハルは、ひゅっ、と喉を鳴らして手首と足首に絡みついていた、血で濡れて体温で暖かくなった鎖を思い出した。

胸元をぎゅっと震える手で掴む。髑髏ちゃんと同じ髪型で、多分、髑髏ちゃんが好きな人。

「やだ。」

「ああ・・・そういえば、三浦ハル殺して無いんだね。」

「奴隷だから。私の。」

「へぇ・・・」

意味ありげな返答に、彼女は舌打ちを一つ零して。

「・・・あのね、私は骸ちゃんに好意を寄せてる女が嫌いなの。クローム髑髏が嫌いなのはそのせい。何でもかんでも威嚇する、雌猫と一緒にしないでほしいわ。」

「嘘つく女は殺してしまえ。」

けだるそうに眼鏡を直しながら言った言葉は、酷く現実の刃を向けている事にハルは唇が震えた。

彼女に視線を向けると、僅かに顔がいつもより強張っているように見えた。

「・・・だってさ。」

はあ、と溜息らしきものを吐き出して、ポケットから何かを取り出して見せた。それはハルの眼がビー玉でなければヨーヨーに見えた。何度か瞬きを繰り返してちゃんと見極めようとしていると、ぎりっ、と軋む音がした。ぱっと見ると、それは歯ぎしりの音だったようだし、握った拳の音でもあったようだった。

「・・・はぁー・・・さっすが、骸ちゃんだわ。女ぽい捨てなんて、イイ男・・・ふふっ・・・」

目元を押さえ、片手は白く剥き出しの太股に指先を這わせて、スカートの裾に手を入れる。震える声を笑い声で誤魔化すようにハルは聞こえた。彼女は、狼狽しているらしい。

「・・・M・M」

「何?」

「今、ただ返すだけならいいって。それなら骸様も許してくれる。」

視線はお互いに外れないし、会話にも混ぜてもらっていないのに、今ハルに二人のレーダーの中心に立っているのだと初めて実感した。

顔面蒼白になり、震える指先を机の上に置いて落ち着かせようとしたけれど、指先が机を叩き、静寂の中で更に浮き彫りになる結果となってしまった。

今、顔を覆って黙っている彼女は、どう思っているのだろう。否、結果は分かっている。どう考えようとも分かっている。彼女は気まぐれな女性だけれど、あの監禁した男を一途に想っているのは知っている。

どうして、ハルを守ってくれるような道を選べようか。

彼女が次にハルに顔を向けるときは、憎々しげに愛しさを込めた微笑をしているのだろう。男への許しとして、ただの玩具にされる三浦ハルの背を簡単に押し出して、男の腕に身体を寄せるのだろう。

「・・・・嫌・・・」

ハルは被害妄想もいい所にそんな光景を想像して、唇の震えを押しのけて出た言葉は拒絶しか無かった。一歩、二人から距離を取ろうと下がれば、椅子に当たり、椅子と床が擦れる音が響いた。

「・・・そうね」

スカートの裾が揺らめき、そこから38口径の小さな拳銃を取り出して、誰に向けるでもなく地面に銃口を向けていた。こちらを見た彼女の顔は、微笑とも怒りとも取れぬ感情を読み取れない表情でハルに近づいてきた。拳銃とは違う手を伸ばし、肩に気軽そうに置いた。びくっ、と身体が震えた。

薄らとした笑みが口元にあるのを見て確信する。ああ、もう駄目だ。

ハルの襟首をその手がつかみ引き寄せられた。

「はひ、」

よく、警察などが使用しているその拳銃は、彼女が気まぐれに警官の身体に寄り添っている間に盗んでしまったのだと言った。そんなのすぐ分かるじゃないですか。と言えば、ベッドでおねんねしてる間によ。おこちゃま。と、揶揄されるのは少し後の事だった。

その小さな拳銃が不法侵入してきた男の肩に一発撃たれ、痛みに顔を歪めている間に彼女が思い切り襟首を掴んで別の出入り口から廊下に出た。首元を閉められながらも

「走って。森の中に逃げなさい。すぐ行くから。」

少し焦った様子でハルとは違う方向へ走って行った。拡散なのだろうか。そうだとしたらハルの方が狙われやすいという事が瞬時に理解した。がむしゃらに廊下を走り、玄関を抜ければ屋敷の中から花瓶が割れる音がした。

パンッ

パンッ

顎を突き出して屋敷の裏側に回りながら見上げると、今度は窓ガラスが割れた。暗闇の中に薄らとアンティークの椅子が屋敷から飛び出たのを見て、思わず足の動きを緩めた。

そこから小さなバッグを持って、二階から飛び降りた彼女がハルの眼の前で加齢に着地した。短いスカートが舞い上がり、太股のホルスターが二つあるのが見えた。もうひとつは彼女が持っている拳銃よりも遥かに小さく見えた。

「走って!」

夜闇に眼が慣れる前に、緑色の闇の中に飛び込んだ彼女の後に何のためらいもなくついて行った。

あの男についていけば、過去の凄惨な痛みを繰り返すだけだ。その結果が分かっているのだから、気まぐれな女性の背に縋るように足を進めて入れば、痛みじゃない何かが手に入るかもしれない。

「アンタ、これ持ってなさい。ポケットとかに入れちゃだめよ。ずっと手に持ってなさい。」

太股から取り出して、リレーでバトンを渡すよりも乱暴に後ろにいるハルに少しだけ視線を向けて投げるように渡した。落とさないように走りながら受け取れば、22口径の小さな拳銃がハルの手元にすっぽりと収まった。彼女はこちらを向く事無く、まっすぐと見えにくい木々を肩を押さえながら避けて走っていた。

「引き金の所に指ひっかけて、走るんじゃないわよ。鷲掴みにしときなさい。」

「け、怪我を・・・!?」

「喚くんじゃないわよ!」

痛みなど感じていないかのように一蹴する。落ちた枯れ木を踏む音が静かな森の中で大きく響いた。瞬時に非科学的な存在や、森を塒とする動物が、暗闇からいつ飛び出てくるのか。

後ろから追いかけてくる気配がハルには感じなかった。彼女も同様なようで、走るスピードを緩めた。

「アンタ、体力、無いわねぇ・・・」

暗闇でよく見えないけれど、頬に汗が伝い落ちている。息が荒いのは傷のせいなのか。細い指先で押さえるには、傷口は深い様だ。

「傷、どうにかしないと・・・」

「いいわよ、別に。」

そっけなく足を止める様子も見せずに言う彼女の背けた顔が、酷く虚勢を張っているようにしか見えなかった。いつも見る、背筋の伸びた歩き方ではなく、頼りない、おぼつかない足元でまばらなおうとつのある地面の上にちゃんと歩いていけるのか不安になる。

「あーあ、骸ちゃんにとうとう・・・」

溜息と共に、一人ごちる彼女の声音が、ハルの肺に突き刺さったように息苦しく締めつけられた。久しく運動していないハルの体力はすでに限界に達していた。

何処に向かっているのかも分からないし、とにかく逃げなければと彼女は適当に走っていて、今、遭難しているのかもしれない。

そんな状況の中で泣きそうな声で失恋を噛みしめているその声は、ハルの涙腺を崩壊させた。

「・・・うわ!え!?な、何泣いてんのアンタ!やめなさいよ!」

ハルの鼻水をすする音に気がついた彼女は、足を止めてハルと向き合う様に立ち止まった。

「ず、ずびませぇん・・・」

「チッ。めんどくさいわね。女の前でめそめそ泣くんじゃないわよ。タダ泣きなんて損よ、損!」

眼を眇めてハルが泣きやむのを待つそぶりを見せる。肩の傷口を不機嫌そうに見ると、足元に大きな蜘蛛が居るのを見つけ、眉をぴくりと動かして何のためらいもなく、ヒールのついたブーツでぐしゃ、と踏みつぶした。

「海外に逃げるしかないわね、アンタは下僕よ。逃げんじゃないわよ。」

ゆっくりと歩き出した彼女の後ろ姿をぼやけた視界の中で見ながら「はい。」と頼りなく返事をした。

「何がはい、よ。下僕って意味知ってんの?後で、辞書で調べなさいよ馬鹿。」

「はい。」

「・・・はあー、何処行こうかしら。バカンスに行きたいわね・・・」

彼女の指先から血の滴がぽた、ぽた、と、緩慢に枯葉の上に落ちる。ぱたぱたとまるで生き物が歩いているような音を鳴らしながら歩いて行く。

ハルは眼を擦り、後ろを振り返る。あのけだるそうな男の人は追ってこないようだ。

「あんた、何処がいい?」

「え・・・」

「旅行行くなら何処がいいって聞いてるのよ。」

はあ、と、溜息を吐いた彼女の揺れる髪先を見つめて暫く考えた。

決して、楽しい旅行にはならないだろう。それこそ下僕という言葉を履きちがえているのかもしれないけれど、ハルの胸中には嵐の前の静けさのように、ゆるりとした風が吹いていた。

そうして思い出した。あの公園に行く前に、六道骸に拉致される前に家でテレビを見ていた事を。その番組は旅番組で、オーストラリアの特集をしていた。

有名なタレントがコアラを抱っこしていたのを見て、とても羨ましく思った。

「ハルは、オーストラリアで、コアラちゃんを抱っこしたいです。」

すんなりと出た言葉にハルはとても驚いた。彼女ももちろん驚いていた。思いがけない本音をぽろりと漏らしてしまった。あまりにも、今初めて手に持った拳銃の堅さを感じながら言う台詞では無い。

弁解の言葉を探したが、更にこの場の雰囲気にそぐわないものばかりだと判断した。彼女が一体どんな反応をするのか、怒るのか、呆れるのか。

「ふっ・・・」

小さな息を吐いた音の後、彼女が雑誌を読むか、ハルが廊下の掃除をしている時に濡れた廊下に足を滑らせて後頭部から転んだ場面を見ていた時のように、高らかに笑いだした。

きっとハルに剣のの顔を向けるであろうと予想していたのに。大きく裏切られた。

「そうね、いいわね。オーストラリアでコアラでも抱っこしちゃうのも・・・本当、アンタって馬鹿よね。」

肩に傷がある事を忘れてしまうくらいに、墓石のように立ち並ぶ木々の中に居る事を忘れてしまうくらいに、ハルは諦めたように笑う彼女の空気に絆されてしまった。

これからの未来は、この森の前方よりも影っていて、真っ暗で何が何だか分からない。

それでもなんとなく、

「はい、馬鹿でいいです!」

ハルはスリリングなこの女性との逃避行のような逃走劇に、冷や汗を流しながら楽しみたいと思ったのです。







素敵企画、ストロベリー革命様へ

旅行行くならどこがいいっていう件は、あの、ワンピースネタですね・・・分からない人はすみません!
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ