桜蘭高校ホスト部

□「朝もやの中で」
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 午前七時。いつものように携帯から柔らかなメロディーが流れ始める。


ドビュッシーの「夢」。二人が好んで目覚まし代わりに設定していた曲だ。


徐々に覚醒して行く意識の中、馨は一度薄く瞳を開きかけるも、カーテンの隙間から差し込むミルク色の陽光のまぶしさに再び瞼を閉じると、手だけを毛布から伸ばして手探りで枕もとの携帯に触れた。


緩やかに鳴り続けるピアノのメロディーは、彼の長くしなやかな指が電源ボタンを押したことにより中断され、変わりにひんやりとした静寂が室内を満たした。


「…光…朝だよ…もう起きなくちゃ、学校に遅刻しちゃう…」


寝起きの馨の声はやたらと甘く、静けさにとろりと広がる。


けれど兄である光の返事はない。体位を変える。


「光ってば! いい加減起きないと」


ぱっと瞼を開いて起き上がる。その馨の瞳は、彼の右側にできた白い空間へと注がれていた。


-−そう。いつもならそこには光が寝ていて。朝が苦手な彼はいつだって弟である馨に起こされるまで、無邪気な寝顔で横たわっているのだ。


けれども、それはもう昨日の朝で終わりを告げ、今は馨 1人きり-−。


 家を出て1人暮らしをしたいと最初に言い出したのは他ならぬ馨自身なのに、こうやって改めて1人になってみると、まるで半身を切り取られてしまったかのような喪失感を覚えずにはいられない。


「そっか…今日から1人なんだ…」


俯いて1人ごちる。パジャマ代わりの白いTシャツが寂しげに視界に映った。


−−こんなの着て寝るのなんて何年ぶりだろう…?


寝起きの頭でぼんやりとそんなことを考えながら、再びベッドに仰向けになった。


「寒いだろ、馨…。僕が温めてやるから…」


−−そんなこと言って、ほんとは自分の方が寂しいから光はいつだって僕にくっついてくるんだ…。


そんなの、ずっと昔から知ってる。生まれた時から、どんな時だって離れることなく二人で生きてきたのだから。


いつだって、意地っ張りな光…。


 虚ろな瞳で天井を見つめたまま光の肌の温もりを思い出そうとするけれど、そうすればするだけ、やるせない喪失感ばかりが胸の辺りで大きさを増して行き、馨の思考を暗い淵へと沈めて行った。


−−光…君は兄なのに、僕よりも随分と子供っぽいから、きっと今頃ふくれっつらして部屋にこもってるんだろうね。


そんなことまで簡単に想像できてしまうから、僕は余計に切ないよ…。


 起き上がりベッドから降りて窓辺へと歩み寄る。さっと両側にカーテンを開けば、一気に陽光が室内を明るく照らし出した。


地上十五階から見下ろす世界は中途半端に小さくて、それはいつも光と二人で見る景色よりもずっと雑然としていて色あせて見えた。


窓を開ける。流れ込む十一月の風は半袖の肌に冷たく、馨の横を音もなくすり抜けて行った。


−−僕は大丈夫だよ。いつも隣に居た君の温度が消えてしまっても…。


ちゃんと覚えているから。


だって僕は、光…君と全く同じ遺伝子から成っているのだから−−。


だから、大丈夫。


 一度秋の澄み切った青空を仰いで大きく息を吸い込むと、馨は窓に背を向けて歩き出した。


ドアを開けて部屋を出る瞬間、彼を追い越した風に薄茶の髪がふわりと舞った。


〜Fin〜



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