英国物語ルキア【完結】

□リクエストステージ「戯章」
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「ところでここの近くに勇音のヒーリングスパがあったわよね?予約しておいて。今から行くわ」

「今から、ですか…」

第四公爵である虎徹家は、メディカルやヒーリング施設のシェアを独占する。

中でも医療の見地から作られたエステティックサロンは女王ご用達で、今やその店舗は世界中に広がりセレブ達の間で予約困難な超人気施設。常に1年先までの予約は埋まり、予約待ちまで出ているほどだ。

そんな予約困難な人気サロンに、予約もなしに今から向かうと平気でこのマダムは仰る。

通常なら「今からは無理です」となる所だ。しかし。

「私が、行くと言ってるのよ」

相手は天下無敵の我がままお嬢様。

目を細める乱菊に修兵は今度は聞こえよがしにため息をついた。

「かしこまりました。…どうぞ、外出用にお召し替えを。その間に馬車を用意しておきます」

「ふふ…相変わらず素敵よ、修兵。アンタのそういうところが大好きだわ」

自分の唇にのせていた指先を修兵の唇へと押し付ける。

「それは、どうも」

そっと乱菊の指を押しのけると、修兵は苦笑いをしながら部屋を出る。

部屋の外で控えていた日雇いのメイドに着替えを手伝うよう命じると、自らは建物から出てコテージ脇に控えていた馬車を呼ぶ。

元より、修兵にとって乱菊の気まぐれなどは想定内だった。

(まぁ、とりあえずは簡単な要望で良かった)

従者に行き先を告げながら修兵は1人悦に思い巡らせる。

海辺へ遊びに来た乱菊が言い出しそうな無理難題について、修兵は事前にいくつか手配しておいたのだ。

船に乗りたがるかもしれない、とフェリーの手配。

用意された宿泊施設が気に入らないかもしれない、と、近隣にある乱菊お気に入りのホテルの手配。

突然何の関係もない料理を食べたがるかもしれない、とデリバリーの手配。

旅先のテンションでリゾート用の服を新規に仕立てたがるかもしれない、と仕立て屋の手配。

仕立て屋に至っては、日ごろから松本家の衣服を作っている仕立て屋をわざわざ呼び寄せて近くの宿泊施設で遊ばせている。

乱菊が仕立てを望まなければ仕立て屋はただ遊んで帰るだけになるが、それでもかまわない、というのが修兵流だ。

乱菊の望む時に乱菊の望むものを。即時用意できるよう、あらゆる可能性を想定しておくのが自分の役割だと。

その想定の中に、虎徹グループ経営のエステサロンを所望する事は含まれていた。今回のリゾート地から程近い場所に支店があることも、そのサロンが乱菊お気に入りであることも修兵は知っていたからだ。

いくら松本の名を以ってしても、超人気店に当日予約を捻じ込む事は不可能。しかし数日前なら無理もきく。

今回、行き先が決まった瞬間に、修兵は滞在中の日程全てにサロンの予約を完了させていた。

「あら、早いのね」

着替え終わった乱菊がコテージの戸を開くと、そこには既に行き先を弁えた馬車と従者。

「いつも思うけど、修兵って魔法使いみたいよね」

子供のような事を言う乱菊に、笑いそうになりながらも修兵はぐっと堪えて畏まる。

「魔法なんか使えませんよ。従僕であるだけです。…さぁどうぞ」

「ありがと。…あ、そうそう、あともうひとつお願いしてもいいかしら」

「何なりと」

「毒ヶ峰嬢が用意してくれたリゾートドレスはどれも凄く素敵だけど、私には少しデザインが幼すぎるのよね。それにスレンダーすぎて胸がきついの。せっかくだから、ご当地の生地で何枚か仕立てたいわ」

乱菊の要望に、修兵は胸をなでおろす。

「…お戻りになるまでには、採寸の準備をしておきましょう」

修兵の返答に、乱菊はそれはそれは艶やかに微笑んだ。

「素敵よ、修兵。アンタが居ないと生きていけないわ」

からかうようにそう遺すと、従者に合図し馬車を駆る。

それがただの言葉遊びだとわかっていても、修兵にとってそれは生き甲斐だった。

それを、それに類する言葉を与えられるならば、どんな苦労も厭わない。むしろ歓びと成る。

遠ざかる馬車が見えなくなるまで見送ってから、修兵は踵を返した。

「そんじゃ、ま、仕立て屋を呼びますか」

アクの強い仕立て屋を思い出し、連絡する事を億劫に思いながらも、はしゃぐ乱菊の幼子のような無邪気さと、採寸に立ち会える特権とを思い、ため息を飲み込む。

近くのホテルで待機している仕立て屋を呼び寄せるためにフロントコテージへ向かう途中、遠くビーチからは他の皆の賑やかな声が聞こえる。

それをBGMのように聞きながら、知らず修兵は微笑んだ。

(平和だなぁ)

照る日差しも温い風も、皆の笑い声と混ざってこれ以上ない楽園に思えた。

乱菊だけを想い仕えていければ良いと思っていた修兵にとって、それは神様がくれた贈り物。

仲間が笑っていると、自分も嬉しいという、新しい楽園の形。



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