英国物語ルキア【完結】
□リクエストステージ「戯章」
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「…手が滑ったんだよ」
「嘘つけ、朽木の部屋に阿散井のポスター貼らせたくなかっただけだろうが」
「わかりやすすぎるよ、一護」
「違うし!わざとじゃねーし!」
「ああもう、どっちでもいいから静かにしてくれないか」
ため息がちな石田がパンと手帳を叩いて全員の注目を集めた。
「茶渡くんは?」
「今日はこっち入ってきてねぇぜ。終日、外作業。もう小屋で寝てんじゃねぇか?」
「そう…なら明日一番に伝えておいてくれないか」
「何を」
「…またしても使用人全員を連れ出す旅行命令が発令された」
石田の言葉に全員が息を飲む。
「まさか…」
「今から、とか…」
そんな心配も、日ごろのご無体を思えば無理もない事だろう。
「いや。さすがにそれはない。…と、いうより今回は発案者は奥様じゃない」
石田は立ったまま棚に寄りかかるようにして腕を組んだ。
「え?じゃぁ、冬獅郎様?」
「いや、違う」
指先で眼鏡を押し上げながら、ポスターの残骸を目端に映す。
「今回は、毒ヶ峰子爵のご招待だ」
石田の言葉に、コーヒーカップを支えていた恋次の指先がピクリと僅かに振れた。
「阿散井くんが毒ヶ峰子爵のビジネスツールとして活躍中だという事は皆知ってるだろう?今回の成功は子爵の予想を超えたレベルだったらしくてね。謝恩の意を込めて当家の全員を招いてくれるそうだよ」
そう言う石田は心底嫌そうだった。
「本来なら、奥様と冬獅郎様、阿散井くんだけで良さそうなものだけど、奥様がどうせなら全員を招くよう申し入れて、先方も快諾したという事だ」
「…期間は?」
緊迫する修兵に、石田が肩を落とす。
「…移動を含めて、一ヶ月」
「一ヶ月!?」
「…と、なる所を、なんとか一週間に縮めてもらった」
全員の口からホーっと息が漏れる。
「一週間でも長いけどな…また屋敷が傷むじゃねぇか…」
「出発自体は明後日からだ。最低限、傷まないようにカバーする事は可能だ」
「はぁー。家具全部布掛けしてかねぇとなぁー。…めんどくせぇ…残ったら駄目なのか?」
屋敷で仕事をしていたほうがマシだと一護は石田を睨む。
「奥様のご命令、だ」
それはこの館での最優先事項。
「なんでまた全員連れて行きたがるんだ…」
「さぁ、僕には解りかねるね」
肩を竦めると石田は早々に踵を返す。
「そういうことだから。明後日までに、屋敷を空けても差し支えないように準備を頼むよ」
出発までに時間があるせいか石田はいつになく余裕綽綽だ。明日や明後日に出発の旅行だって充分緊急事態なのだが、いつでも即日即時の行動を求める乱菊に仕えているせいで感覚が麻痺してしまっている。
「それって休暇なのかな?」
「招待されるんだから…休暇だろ」
「てゆうか毒ヶ峰嬢の家に呼ばれるって事?うわぁぁぁ、俺ぜってー寛げねぇー」
「そーゆー事言ってる奴程図々しく寛ぐもんだ」
ぼやく啓吾に修兵が苦笑いで応じる。
「それに家じゃないだろう。多分セカンドハウスか、経営してる宿泊施設か、そんなところだ。謝恩招待ならな」
「へぇー…なんかセレブリティな世界っすねー」
「そうだな。ええと、確か、毒ヶ峰の所有してる宿泊施設は…」
修兵が思い出そうとこめかみを押すと、横から一護が口を挟む。
「ほとんどフランス。あとは南のほうの孤島をいくつか。あんまり遠いとこは行かないだろうから、ニースかコートダジュールあたりじゃないか」
「…一護って貴族の所有してる別荘まで覚えてんの?」
呆れたように啓吾が訊くと「ちげぇよ」と一護は眉を顰める。
「前に本人から色々聞かされてたからなんとなく覚えてるだけだ」
「ああそうかい、ロメオは物知りだな」
一護はやや気遣った言い方をしたが、それは恋次にとって面白くなかった。
ガツ、と鈍い音が響いて室内が静かになる。
「れん…」
「お疲れ」
思い切り蹴られた椅子が役割を果たさぬ木の塊となって転がり、それを咎めようとしたルキアの声は早々に遮られた。
恋次が出て行った扉が静かに閉まると同時に啓吾が「なんか、恋次さん…最近、余裕ねーんだよな」と呟くように言う。
「リルカ嬢とうまくいってないの?」
壊れた椅子を起こしながら水色が啓吾を見ると、横から織姫が「阿散井くんは今頑張ってるんだよ」と神妙に言った。
「頑張ってる?」
全員の声が重なり、その視線を受けた織姫は「えっと」と慌てる。
「その…なんていうか、本当に大切なんだよ。大切にしようとしてるの…毒ヶ峰様の事」
うまく言えないんだけど、と俯きながら指先を捏ねる。
「子爵様に、負担にならないだけの立場を手に入れようとしてるの」
薄絹を纏うようなその言い分は、その場の全員によく伝わった。
「…一護」
「…わかったよ。気をつけるよ」
「後で謝っておけ」
「馬鹿、そんなもん謝ったりしたら余計に神経逆撫でするわ。今後余計なこと言わなきゃそんでいいだろ」
「そう…だな、そうかもしれん」
「うん、阿散井くん、かなり意地っ張りだから…」
眉を下げる織姫の言い分に、この家は意地っ張りが多い、とその場の全員は苦笑いした。
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