英国物語ルキア【完結】
□捩章(前編)
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「いらっしゃいませ。松本様」
玄関ホールは歩くのも危なっかしいほどの薄暗がりで、わずかな蝋燭の明かりに照らされたレセプションは人がいるのかいないのかもわからない様子だった。
仮面の執事は「こちらを」と三枚のバタフライマスクを手渡す。
受け取った乱菊は一層不機嫌な顔になった。
「マスカレイド(仮面舞踏会)は趣味じゃないわ」
付き返す乱菊を「奥様」と東仙が窘める。
「主催者のご意向は尊重すべきですよ」
楽しそうじゃありませんか、と言う東仙に乱菊はいぶかしんで眉を寄せた。
「…らしく無い事を言うのね」
不審を含んだ声色に、東仙は薄く微笑む。
「いいえ。そのようなことは。…さぁ、参りましょう」
付き返したマスクを強引に乱菊に結ぶと、背中を押してホールへと向かう。
連行されるように向かった薄暗い螺旋階段は、ぐるぐると長く続き、囚人にでもなったような錯覚が不安を煽った。
「…東仙」
「はい?」
「あんた…何か知ってるの?」
「何をです?」
そう言われると、返す言葉がない。ただ乱菊は、東仙が自分をこの先へと『連れて行きたがっている』と感じていた。理由はわからないけれど。
やはり帰ろうかと思い始めた頃、大きな扉が見えてきた。
いかめしい扉は重そうで、殊更不安を煽る。
「なんか、聞こえますね…笑い声?…あと、オルガンの音…これ曲なんですかね…滅茶苦茶叩いてるような…」
修兵が緊張したような声で呟く。
「皆さんお楽しみなんだろう」
平静の執事長が戸を開き、二人を中へと押し込んだ。
途端に淀んだ空気が2人に纏わり付く。出鱈目なオルガンの演奏と正気とは思えない嬌声も。その臭気と騒音に2人は吐き気を覚えた。
「…大麻…阿片?…なんてこと…」
濁った白い空気に軽く咳き込みながら乱菊が後ずさる。
そのまま戸の外へ出ようとして、トンと背中が壁にぶつかった。
ゆるゆると振り向くと、
「東仙…」
執事長が、絶望的なほどの平静でそこに立っていた。乱菊の両肩を支えて。
「さぁ、奥様。藍染様にご挨拶を」
ぐっと背中を押されて乱菊はよろめく。部屋に立ち込める臭気と耳障りな音が頭の芯を溶かして思うように抵抗できない。
オペラホールのような会場の中心へ向かい、一段、一段、と足を引きずられる。
中ほどの席で、舞台を眺める男が乱菊に気づき、嬉しそうに立ち上がる。
「やあ、やっときてくれたんだね、松本公爵」
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