英国物語ルキア【完結】

□捩章(前編)
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「気が乗らないわ」

毛皮のコートに袖を通しながら、松本公爵はまだぐずっていた。

「…今さらそう言われましても」

筆頭執事の東仙は困ったように眉を下げる。

「今さらじゃないわよ。前から言ってるじゃない。私はあいつが苦手なのよ」

盛大なため息とともにのろのろと馬車に向かって歩き出す。

イヤだイヤだと言いながら、今さらキャンセルするわけにもいかないことは自身でわかっていた。

「ああもう、行きたくないわ」

「子供のような事を言わないで下さい。今まで何回お断りしてきたと思ってるんですか。今日こそは出席しないと、いい加減角が立ちますよ」

ため息をつきながら馬車の扉を開き、公爵を中へと促す。

「…大体、何がそんなにお嫌なんですか。…藍染公爵の」

なんとか逃げられないだろうかと注意散漫だった乱菊は、そのときの東仙の眼光を見落としていた。

酷く無色なその光は、無垢と狂気の同胞。

「全部よ、全部。生真面目でかたっくるしいし、何考えてるかわかんないし、会話しててもなんっか上滑りしてて食えないし、不気味」

首を振りながら座席に座り、「あ、そうだ」と手を打つ。

「修兵呼んでよ。修兵が一緒なら行くわ」

突飛な要望に執事長は呆れた。

「それはまた、どういうおつもりで」

「いいじゃない。連れて歩くにはいい男でしょ。どうせカクテルパーティーなんだから修兵と喋ってれば気が紛れるわ」

ね?とプレッシャーをかけられれば、使用人に抗う術はない。

「…かしこまりました。ご随意に」

務めて感情を表さないように返したが、東仙の内心は罵詈に溢れていた。

(なんと愚かしい『おんな』だ)

(貴族としての大儀も思想もない)

(『あのお方』に洗礼されるべきだ)

(そうすれば、きっと)

東仙は恍惚に打ち震えた。

女神が悪魔に塗りたくられる様は、さぞかし美しいだろう、と。





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