英国物語ルキア【完結】
□流章
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数時間後。
そこは小型豪華客船の上だった。
「…なんで俺らはここにいるんだ…?」
一護がぼやくのも無理はない。
つい先刻まで昨夜の片付けに精を出している真っ最中だった。
それが突然に3日間のラインクルーズを言い渡され、意味がわからぬままに松本邸内の全使用人は仕事も途中に連れ出された。
状況を理解したのは船が出発し、各々が豪華な装飾のある客室をあてがわれ、荷解きをし、ティールームへ集合させられてからだった。
「歓迎会?」
「ああ…まぁ、奥様が船に乗りたかったっていうのが本当のところだけど…」
今日は天気が良かったから、という言葉を修兵は飲み込む。そこまでの傍若無人ぶりに耐えられるのは、自分と石田ぐらいだろうと。
ルキアの歓迎会、と名打たれては誰も反論できない。一護を除いて。
「歓迎会はいいけど、仕事放り出してまでするような事じゃねぇだろうが」
それは至極最もな意見だが、松本家公爵の思想は理屈ではない。
当事者であるルキアも一護の意見には同意だったが、その言い方にムっとする。
嫌味のひとつも言ってやろうかと口を開きかけると同時に「俺んときはなんもなかったじゃん」と一護が言い、その拗ねたような言い方にルキアは噴出しかけて慌てて口を押さえる。
「それは、奥様がそういう気分じゃなかったんだろ」
重ねて言うが、松本公爵の言動の全ては理屈ではない。感覚である。
「しかしよくもまぁこんな時期に船の席がとれたもんだな…」
呆れたように言う一護に、石田が眉を寄せる。
「席じゃない。船をとったんだ」
不機嫌極まりない様子の石田が一護の言葉を訂正する。結局いつも、乱菊の気まぐれの一番の被害者はマネージメントをする彼だ。
「…船?」
「そうさ。某子爵が娘さんにプレゼントとして作ってあったプライベートシップを強引に買い取った」
「…強引に…」
「松本の名前と財力でゴリ押しできない事はない」
加えて石田の交渉力があれば。
「はぁ…金と権力持っちゃいけねぇ人種っているよな…」
眉間に皺をよせる一護の横で恋次が自分のクラバット(幅広のネクタイ)を摘み上げて「これ外しちゃいけねぇのか」と嫌そうに言う。
コックコートかラフな普段着しか身に着けた事のない恋次にとって正装はむず痒くて落ち着かない。
今まで着たことのある正装はせいぜいが人手が足りないときの執事服ぐらいだ。
「ダメだ」
「なんでだよ。チャーターしたんなら俺らしかいねぇんだろ?別に気取った格好しなくたっていいだろうが」
「ところが気を利かせた奥様は買い取った船の元々の持ち主である子爵とご家族、そのご友人を招待なさったんだ。次の停泊所で乗り込まれる」
遠い目で淡々と語る石田にその段取りの過酷さを感じる。
「げ…」
「もちろん使用人は別途日雇いが居るからキミたちは客人だ。働かなくていい。せいぜい公爵家要人として恥をかかない振る舞いをしてくれたまえ」
意地悪く石田は眼鏡を光らせた。多大なストレスに若干歪んでいる。
「…働いてたほうがマシだぜ…」
げんなりとした様子の恋次は「俺、飯以外、部屋から出ねぇから」と自分用の客室へと引き返していった。
雛森と織姫も、所在なさそうに縮こまっている。
雛森はもともと松本家でずっと勤めていた祖母の後を引き継ぐ形でメイドになったごく普通の庶民階級。
織姫は貧民外でも最悪に治安の悪い区域に生まれ、ある事をきっかけに乱菊に拾われ、それ以来買い物程度でしか外出しない籠の鳥。
どちらももてなす技術には卓越していても、社交についてはからっきしだった。
「私も、とりあえず、部屋にいるね…」
「わ、私も…」
落ち着かない様子で引き上げる2人を見送り、ルキアは少し申し訳ないような気分になる。
言い出したのが乱菊とはいえ、なにやら自分のためにこのような事態になってしまったという責任で。
もちろんこの場の責任は、完全に乱菊にあるのだが、真面目なルキアは開き直る事ができない。