英国物語ルキア【完結】
□流章
2ページ/12ページ
檜佐木修兵の朝はアッサムティーから始まる。
プライベートタイムは決められた習慣通りでないと落ち着かない几帳面な修兵は、分刻みでいつも通りに行動する。
部屋着のままで調理場へ行き、まだ誰もいない空間でお気に入りの茶葉を楽しみ朝刊を読む。
きっちりと身支度を整えた石田がやってくる頃部屋へ戻り、自分も仕事着へと着替え再び調理場へ。
乱菊の部屋へ持っていくコーヒーを点てながらコンチネンタルブレックファスト。その間にやってくる他の使用人と他愛ない会話をする。
一時はどうなることかと思ったルキアは笑顔で現れ皆を喜ばせていた。一護を除いて。修兵も安堵のため息をひとつ。
コーヒーができたらたっぷりのミルクと混ぜ合わせ、乱菊の部屋へと向かう。
乱菊は、朝と夜はコーヒー党だ。なんでも、「紅茶よりコーヒーのほうが官能的だから」だそうだ。彼女に理屈を求めてはいけない。
丁度部屋の入り口で花瓶をかかえた織姫とすれ違い、「奥様は1人?」と尋ねる。
破天荒な未亡人は、かなりの確率で寝室に誰かを連れ込んでいるからだ。
そこに異議を唱える気はさらさらない。ただ、カフェオレの数の都合がある。
誰もいない事を確認すると声をかけて部屋に入る。
「乱菊様、カフェオレをお持ちしましたよ。そろそろ一旦起きてください」
呼びかけるときは名前でないと拗ねる主君に極上に柔らかい声をかけると、掛け布に包まり「ううん」と呻く。
「王子様のキスがなきゃ起きられないわ」
挑発的な駄々に、寝言は寝てる時にしてください、と心の中でぼやく。
常人ならばうろたえそうな色気も修兵には幼子のわがままにしか映らない。
「残念ながら本日の王子様は品切れです。カフェオレで我慢を」
軽く受け流し枕元にカフェオレセットを置くと、香りにつられて乱菊はもぞりと身を起こす。
シノワ調のシルクのガウンが肩から滑り落ちて半身が露わになる。寝ぼけた顔は、まるで年齢に見合わず少女そのもの。
目を細めて苦笑すると、ガウンを肩にかけなおしてカフェオレを乱菊に手渡した。
「昨日は随分とはしゃいでいらっしゃいましたね」
テラスへ歩み寄りカーテンを開ける。
白い陽光が部屋を満たして清清しい。
「そうね…なんだかテンション上がっちゃって…。なんでだったかしら…ああ、そう、あの朽木公爵の…」
「朽木ルキアですか」
「そう、ルキア。あのコのおかげで随分面白い余興ができたわ。一護に『電気が消えたらピアノが鳴りますから適当に歌って下さい』ってランタン渡された時は何事かと思ったけど」
思い出しながら肩をゆすって笑う。
「あんなにワクワクしたのは、久しぶりよ」
修兵もつられて笑う。
確かにスリル溢れるサプライズだった。ピタリと決まったときの爽快感は、癖になるかもしれない。
テラスの戸を開くと、一斉に小鳥がさえずりながら飛び立ち、朝の清涼感を増す。
「いい天気ですよ」
「本当ね」
穏やかな時間が流れ、修兵の身体を幸福が満たす。
ああ、なんて恵まれた一日なんだろうと。
ところが。
「ほんと、いい天気だわ」
乱菊の悪い癖が顔を出す。
「クルージング日和よね」
瞬間、修兵の顔が固まる。
「そういえば最近、船に乗ってないわ」
乱菊がこういう言い方をしだしたときは、5分後にはそれは決定事項になる。昨日もそうだった。
「もう春なのねー。社交シーズンに入る前に皆と飲みたいわねぇ」と。
「…今から船旅は無理ですよ。来週には議会があるんですから」
「そうだ、ルキアの歓迎会しましょうよ。船上パーティーなんていいんじゃない?」
「今日言って今日席をとれる船なんてありませんよ。行楽シーズンなんですから」
否定的な修兵に乱菊は鋭く睨みをきかせると、立てひざをつきドスの効いた声で「ノーは聞きたくないわ」とタイを引っ張る。
「だったら船ごと買いなさいよ」
.